二月三日
「豆まきの準備は済んだか? 先生」

「ぬかりはないぞ。この日のために刃も研いでおいた」

「いい心がけだ」

「……自分で自分を研ぐのはちょっと情けなかったがの」

「豆たちも覚悟はいいか」



(任せてくれよダンナ!)

(俺たちさえいれば余裕だっつの)



「いい返事だ。いざとなったらお前らには俺の血をぶっかける。覚悟しとけ」



((了解!!))





「な、何でこんな物々しい雰囲気なのにゃ?」

「わざわざ私たちに変化までさせて……ただの豆まきじゃないの?」



「鬼が来たら大変だろう。準備はしっかりしとかないとな」

「まったくだの。慎重になりすぎるくらいで丁度いい」



「鬼?」

「何言ってるの、鬼なんているワケ……」



「いるぞ」

「お、鬼を舐めてはいかんぞ。まだ若いから知らんかもしれんがアレに出くわすとエライことに……」

「ああ。うちには来ない確率の方が高いが、油断は禁物だ」

「だの。……さて、ちょっと見張りに立ってくるでの」

「頼りにしてるよ、先生」





「……ウチらはどうするべきなのかにゃあ?」

「……部屋の隅にでも引っ込んでましょうか」




二月三日+
鬼、と言っても昔話にでてくるような赤鬼や青鬼のようなものではない。

俺が勝手に『鬼』と呼んでいるのは、捨てられ朽ちたモノたちの成れの果てのことだ。

きちんと煤払いをした上で処分されたモノたちはちゃんと成仏できるし、せめて丁寧に扱われるか

道具としての使命を全うできたモノたちも大丈夫だ。

だがいい加減に扱われ、適当な処分のされかたをしたモノたちは黙っていない。

今日のような節分の日に怒り狂って暴れるのだ。

何で節分の日に暴れるのかはよくは知らんが、付喪神絵巻とかに出てくるご先祖にでも倣ってるのかね。

まぁそれはどうでもいい。

コイツらが面倒なのは、俺みたいなタイプを好んで襲うということだ。

こんなことは言いたくないが、異能者の血を求めているらしい。

異能者の血を吸って付喪神に成り上がりたいとのことだ。

もともと大した月日も重ねていないモノたちが最後の力を振り絞って動いている存在。

どいつもこいつも自棄になってるから敵に回すとなかなか危ないヤツらなのだ。

俺と関係ない場所で発生したのならば放っておいていいと思うが、近所に現れるとまずい。

襲われるのが俺だけならいいが、そうもいかないだろう。

ていうか中学の頃に一回襲撃されたが、あれは危険だ。

警戒だけはしておかないといけない。





「……ということだ」

「ふーん。無機物な連中は結構タチが悪いんにゃあねぇ」

「アンタらナマモノだって化けたりするクセに。お互いさまじゃない」

せっかく丁寧に説明してやったというのに、目の前の子猫とシャーペンはしょうもないことを言い合っている。

まぁいいさ。こいつらはどうせ戦力にはならん。

「ツクモガタリ。鳩どもからの報告だの。街外れの山に不穏な気配があるとのことじゃ」

「……またあそこか。前回もあの山から出たんだよ」

「ということは」

少し嬉しそうに口元を歪める妖刀先生に、俺は大きく頷いた。

「あそこはよく馬鹿な業者が不法投棄しているからな。間違いないだろう」

「征くか?」

「征くとも」

俺は部屋着代わりのアロハシャツを脱ぎ捨て、代わりに黒いコートを羽織る。だって外は寒いから。

「――鬼退治にな」


二月三日++
山に一歩足を踏み入れると、木々が、岩が、小動物たち、虫たちが、落ち着きなくざわめいていた。

俺に気づいたモノたちは次々と危機を報告してくる。

「はいはい。何とかするから」

「しかしツクモガタリよ。暴れるのは構わんが街に降りられると不味いのではないか?」

「それならもう、準備はしてきた。……シャーペン、猫」

俺の呼びかけに、不満げな顔で人に化けているシャーペンと猫が前に出てくる。

「はいはい。コレでいいの?」

「ダンナ。これ結構重いのにゃあ」

用意してきたのは一抱えほどの袋に詰めた大豆と、ポリタンク。

俺はまず袋を受け取ると、中身をその場にぶちまけた。

「アンタ、何する気なのよ」

「いいから見てろ」

続いてポリタンクの蓋を開けると、中に入っていた液体を大豆の上に降り注いだ。

「……おお!」

「にゃ!?」

「ええ??」

三者三様の驚く声。

液体を振り掛けられた大豆は一瞬、薄紅色の光を発して瞬いたかと思うと。



「「大豆軍団、参ッ上!!」」



大豆の一粒一粒が全て、小学校高学年程度の容姿の少年少女に変化したからだ。

それらの総数はかなりのものだ。恐らく数百は下るまい。

「貴様らは山を囲んで警備しろ。無理に戦う必要はないが、鬼どもを山から決して逃がすな。いいな?」



「「了ッ解!!」」



「では、散れ」

ばっと俺が手を掲げたのを合図に、大豆小僧たちは山の周りへと散っていった。

「ななな何なのよ今のは」

腰を抜かしかねないほど驚いているシャーペンに、懐に入れたあった小さなペットボトルを見せてやる。

その中には桜色の液体で満たされていた。

「俺の血を水で薄めたものをかけてやったんだよ。何か知らんが俺の血はかなり美味い上に、
ほんの一滴でも飲むと変化できるようになるらしい。だから俺の血をやる代わりに言うことを聞け、と」

まぁキビダンゴみたいなもんだな、と台詞を締める。

「はぁー……アンタもとんでもないわねぇ」

「一種の式神というやつだのぅ」

感心したような呆れたような声を漏らすシャーペンに、俺はおどけた調子で言ってやった。

「九十九と語りて鬼を成す。我、ツクモガタリなり。……ってな」

ヒメちゃん辺りが喜びそうな台詞を言ってみると、妖刀先生が妙に反応した。

「おぉ……。良い、良い感じではないかツクモガタリ。今夜はそのノリで行こうではないか」

鼻息も荒く興奮している妖刀先生を適当に往なしつつ、シャーペンと子猫に退去命令を出しておく。

何しろこの山は戦場になるからな。非戦闘員がいると危ない。

「じゃ、ウチは帰って布団を暖めておくから、早く帰って来るにゃあよー」

「……どうでもいいけど、無茶しちゃダメよ」

シャーペンと子猫がそれぞれの言葉を残して去っていくのを見送ったあと。





「うわぁぁぁっ」

「でたー!?」





遠くの方から大豆小僧たちの悲鳴が聞こえる。

戦闘、開始だ。




二月三日+++
悲鳴が聞こえた方に向かってみると、そこでは大豆小僧たちと鬼たちが戦いを繰り広げていた。

耳障りな、金属音のような雄叫びを上げつつ、暴れ狂う鬼。

それらの姿形は一匹一匹異なるが、おおむね似たような格好だ。

例えば不法投棄されたテレビが鬼と化した場合。

本体であるテレビから、虫のような手足が生えており、捻りくねった角状の突起が頭頂部(らしき場所)から
飛び出ている。

人間のような手足が生えているものもいれば、蝙蝠の羽にも似た翼を生やしたものもいる。

共通点は角。それ以外は本体から何か生えてるってことだな。



「おぉ、おるわおるわ」

「これはまた結構な数だな……」



大豆小僧たちは数にまかせて鬼どもを取り囲んでいるが、所詮は大豆。

少々押され気味だ。

大豆小僧を角で貫き、変化を解かせて次の敵を探していた鬼のうちの一匹が、こちらに気づいた。



グギギギッ! ギギギッ!



そいつが咆哮すると、それを合図に他多数の鬼どもがこちらに殺到してくる。

「先生、任せた」

「承知」

隣に立つ妖刀先生は嬉しげに両手を振るう。

闇夜の中でも美しく煌めく刃に口付けて、蕩けたような笑みを鬼どもに向けた。

「さぁ、せいぜい楽しませてくれよ? この身の疼きを止めておくれ」

無鉄砲に突っ込んできた鬼を、豪速で振るった大太刀で両断する。

鬼はただの冷蔵庫に戻り、力を失い地に伏してしまう。

いい感じだな。妖刀先生。

妖刀と化した刃の切れ味と、人間離れした膂力から放たれる斬撃は相当な威力がある。

やっぱ木刀やライデンが異常なだけで、結構強いよなぁ。先生は。

仲間があっさりと斬り捨てられ、鬼ども少し怯んで攻めの手を一瞬止めた。

「何をぼーっとしておる鬼どもぉぉっ」

雄叫びを上げつつ影を渡り、足を止めた鬼の背後へと一瞬で移動、叩ッ斬る。

影から影へと跳び回る妖刀先生は、ほとんど瞬間移動をしているようなもの。

反撃のタイミングさえ掴めない鬼どもは、次から次へと倒されていく。

ふん。この調子なら案外早く終わりそうだな。

「ここは任せるぞ妖刀先生。俺は別の場所の様子を見てくる」

「うむ! 無理はするんでないぞ!」

「そっちこそな」

一声かけると、俺はその場にいた大豆小僧を何匹か引きつれ、別の地点へと向かうことにした。

このまま楽に終わればいいんだが、な。




二月三日++++
俺はライデンのように、自分自身が何かやりたいタイプではない。

せいぜい周りに頼ってがんばって貰うくらいだ。



迫り来る鬼ども。

眉をひそめたくなる叫びと共に爪や角を突きつけてくる。

あんなものを喰らえば、俺の身体なんぞ易々と貫かれてしまうことだろう。

だが焦ってはいけない。

「ふん」

それに向かってついっと指を振り下ろす。

すると木々の根が地面から盛り上がり、地を這う鬼どもの足を引っ掛けた。

躓いてすっ転び、足元に倒れこんだ鬼のうちの一匹をを踏みつける。

「やれ」

俺の声に答えて、大豆小僧たちはまだ立ち上がれないでいる鬼どもを袋叩きにしていく。

がんがんと金属の凹んでいく音を聞きつつ、続いて指を振り上げる。

木々の間を縫うように飛び回り、こちらの様子を窺っていた鬼たちに木の枝が絡みつき動きを封じていった。

あとはもう簡単だ。先ほどと同じように大豆小僧たちが地面に引きずり降ろし、叩き潰すのみ。



これが今の俺のとりあえずの戦法だ。

もうこの山には話をつけてあるので、完全に地の利はこちらにある。

妖刀先生よりは時間はかかるが、まず負けはしないだろう。

……しかし。

腕を組んで山頂を睨んでいた俺に、大豆小僧のうちの一匹が報告に駆け寄ってくる。

「報告でっす。鬼15匹無力化に成功。こちらの損害は約60粒でっす!」

さすがに結構やられるな。

「やられた大豆どもはどうしたいと言ってた?」

「このまま土にかえるから放っておいてくれていいそうでっす」

「わかった。ご苦労だったと伝えておいてくれ」

「了解でっす! では引き続き索敵? に戻りまっす」

「ああ待て。麓の見張りに伝えろ。半分は麓に残して、山頂に向かって包囲網を狭めていけとな」

「らーじゃっす!」

さてさて。

改めて山頂に視線を向ける。

どうも鬼が弱すぎる。まだ何かある。

……まぁいい。どうせ鬼の目当ては俺だ。少しでも街から離れた方がいいだろう。

次の移動先は山頂。

そこでまとめてケリをつけてやろうじゃないか。


二月三日+++++
山頂に辿り着くと、そこには不法投棄された大量のモノが積み重なっていた。

ブラウン管の割れたテレビ、古びた冷蔵庫、痛んだタイヤ、穴の開いたソファー……。

それらの一つ一つが鬼と化しており、山を成しているのだ。

……これは、不味いかもしれんな。

空を見上げてみるが、生憎と今夜は晴れている。

せっかく鬼が固まっているのだからまとめて雷で焼いてしまいたかったのだがなぁ。



グギギギッ



ギャリギャギャリッ



どうしたものかと攻めあぐねていると、重なり合っている鬼どもが次々と雄叫びを上げた。

不愉快な声に顔をしかめる俺の目の前で、鬼の山が大きく歪み始める。

みちりみちりと。ぎりぎりと。

鬼たちはその身を歪ませ、変化させ、身体を絡め合っていく。

「な、何ですかありゃあ」

「合体だろ。一匹一匹じゃあとても力が足りないから、力を補い合ってるんだ」

「ははぁ……。止めなくてもいいんで? まずくないですか?」

「まずい。……が、ちと止める手段がなぁ。無くは無いが、どうしたもんだか」

「大丈夫なんでっすかー?」

慌てる大豆小僧の頭を撫でてやりつつ、鬼の合身を見守る。

今夜出くわした鬼どもが雑魚ばっかりだったのは、この隙を作るための囮だったのかもしれんな。

だとしたらすっかり時間を稼がれてしまったもんだ。

しかしこうなったら仕方がない。

俺は鬼どもに少し感心しつつ、合体が終わるまでは黙って見逃してやることにした。


二月三日++++++
目の前にある鬼の山。

それは耳を塞ぎたくなるような嫌な音を発しつつ、見る見るうちにその大きさを圧縮させていく。

合体が進めば進むほど小さくなるとはまた奇妙な話だ。

まぁ奇妙なことは俺の周りでは珍しくもないんだけどな。

とにかくじっと見ているのも退屈になったきた俺は、豆小僧たちに指示を飛ばすことにした。

とにかく合体中は身動きがとれない様子だし、出来るものなら今のうちに倒してしまうか。

麓からも集結しつつあった豆小僧たちに完全に鬼の塊を包囲させ、腕を掲げ。

「――潰せ」

振り下ろす。

その仕草を合図に、ときの声を上げて豆小僧たちが鬼の山へと群がっていく。

がつんがつんと鈍い音が辺りに響き渡る。

さて、この調子でいけば合体前に粉砕してしまえるかな。

「……ふぅ」

少し疲れたな。

どっか腰を下ろせそうな手ごろな岩でも……。


ギャギャギャギャギャギャギャギャッ


「む」

今までのものとは桁違いの音量の叫びに振り返ると、そこには惨状が広がっていた。

ただのクズの山だった鬼の塊から、大量の捻じくれた角が飛び出て、大豆小僧たちを貫いていたのだ。

「お、お先に失礼しまっす」

「無念だー」

うめき声を上げつつ、ただの大豆に戻っていく小僧たち。

角だらけでまるで海栗か毬栗のような鬼の塊は、一瞬身を震わすと瞬く間に縮んでいき。


ギリギリギリギリ……


……人型になってしまった。

いや、正確には人の姿ではない。

額からは不恰好な角が生えているし、両手も肘から下はいかにも化け物といった具合に巨大で凶悪なデザインになっている。

その鋭い爪は何かを傷つける以外には役に立ちそうもない。

だが、角と腕以外は大豆小僧たちと同じくらいの年頃の姿。小学校高学年ほどの少年だ。

足首まで伸びた鉄が錆びたような色の髪を揺らしながら、俺を睨みつけてくる。

髪と同じ錆色の瞳を受け止めながら、俺は肩をすくめた。

「何だ何だ。鬼がちっちゃくなったぞー」

「これならイケるんじゃないっかな!」

「いっちゃえー!」

……やめとけばいいのに。

敵が小さくなって俄然やる気を出した豆小僧たちは一斉に飛び掛っていく。

鬼は俺から視線を逸らすこともせず、無造作に腕を振るった。

「……ひっ!?」

小さな悲鳴を上げることができたのはほんの数粒。

豆小僧たちは鬼の腕の一振りで、かなりの数がまとめて薙ぎ払われてしまった。


ギギギギギ


鬼は両腕を大きく広げながら、俺に向かって悠然と歩き出す。

どうしても、血が欲しいんだな。

抵抗したいが、豆小僧はもう何粒いても意味がない。

山頂はちょっとした展望台になっているので木の枝を呼ぶには少し距離がある。

「さて……」

「ワシの、出番だの?」

俺の言葉を遮り、空から舞い降りてきたのは妖刀先生。

「先生」

わざわざ格好付けて登場するなぁ、まったく。

「くくく。待たせたな」

いや、特には待っていなかったが。

妖刀先生は大太刀をびしりを鬼に突きつけながら、嬉しげに口元を歪ませる。

「さぁ、めいんでぃっしゅを頂こうではないか!」


二月三日+++++++
「めいんでぃっしゅ、とか言って先生」

自信満々な様子の妖刀の背中と鬼を交互に見やる。

「勝てるのか、鬼に」

「勝ってみせるとも!」

少々頬を膨らませつつ振り返ってくる。

「だからアレの御代わりをおくれ」

アレ、というのは大豆小僧たちを作るのにも使った血を薄めた水のことだ。

俺から離れても大丈夫なように先生にも少し持たせておいたのだが。

「今は近くにいるからもう大丈夫だろ」

「少しでも力を付けておきたいんでの。いいからおくれっ」

「仕方ない……」

懐から小さなペットボトルを取り出し、妖刀先生に差し出す。

「ふふ。頂くでの」

にまにまと嬉しそうに笑みを浮かべながら受け取る。

いや、戦うなら早くしてくれないと大豆小僧たちがえらい勢いでやられていってるんだがなぁ。

幸せそうにこくこくと喉を鳴らして俺の血を飲んでいる先生の後ろで、大豆たちは次々に吹き飛ばされている。

肥大化した腕を振るい、大豆たちを切り裂き、叩き潰し、投げ飛ばしまくっていた。

「ぷふぅ」

いかにも堪能しました、という表情を浮かべながら妖刀先生はくるりとこちらに顔を向けた。

「……美味しいよー。美味しかったよー」

「何も泣かなくても」

ぽろぽろと涙を瞳から溢れさせつつ、しずしずとペットボトルを返してくれた。

……もし人手が足りなくなったらこのペットボトルにも働いてもらおう。

「いやぁ……。こんなもん貰ったら何でも言うこと聞きたくなるのは当然だの。……さて」

ぐしぐしと目元を擦ると、ようやく先生は鬼の方に向き直った。

「そろそろ気合入れて……ぬおっ!」

いきなり鬼に切りかかられ、先生は慌てて爪を小太刀で受け止める。

俺たちが無駄話している間に鬼は随分とがんばったらしい。

大豆小僧の大半は削られてしまっている。

無言のまま爪を押し付けてくる鬼の胴を狙い、先生は大太刀を振るう。

しかし鬼の片腕も空いていた。

鬼はがっちりと受け止め、双方共に膠着状態になってしまった。

……ちょっと離れて見ておくかな。

俺は小走りにその場から距離を取って見物することにする。

少し離れた林の中に入り、そこから改めて様子を見ると二人? ……二人でいいか、は壮絶な勢いで切り結んでいた。

妖刀先生の大太刀小太刀、鬼の両腕の爪。確かに二人とも二刀流だ。

互いから片時も目を離すことなく、両手の武器を存分に振るっている。

速さと力の強さはほぼ互角かな、と思っていると少しずつ先生が押され始めてきた。

鬼が少しずつ攻撃の仕方を変えてきたのである。

最初は五指の爪を同時に叩きつけていたのを、指の一本一本のタイミングをずらし始めたのだ。

それを両腕で行っているのだから、爪の軌道のパターンは大して多くないとしても……。

「むぅ……!」

ほとんど十本の短刀で同時に切り掛かられているようなものだろう。

腕が異様に大きいから出来るこその芸当だな。

焦れてきたのか、軽く妖刀先生はその場で飛ぶと、自らの影に沈みこむ。

対象が突然いなくなり、大きく空振ってしまう鬼。

たたらを踏んでよろけた鬼の背後に、大きく刀を振りかぶった先生が現れる。

「……やぁ!!」

渾身の力で切りつけるが、鬼はよろけた勢いを利用してそのまま前に転がって避ける。

……むぅ、浅いな。

背中を少し切られたようだが、鬼は怯む様子もなく体勢を立て直すついでに地面の土を抉り掴む。

それを人外な握力で圧縮、即席で西瓜ほどの大きさの硬い土団子を作ると、振り返り様に先生に投擲する。

「ぬおっ」

直撃を喰らい、軽く吹き飛ばされる。

特にダメージはないようだが、代わりに鬼にしっかりと距離を取られ、体勢を立て直されてしまった。

「や、やるではないか」

土を払いつつ、妖刀先生は不敵に微笑んでみせる。正直あんまり似合ってなかった。

「先生ー。援護しようかー」

「いらん! そこで見ておれぃ!」

ちょっとばかりムキになった様子の先生。

まぁいいけど。あんまり長期戦になるようだったら問答無用で割り込むから。


二月三日++++++++
妖刀先生と鬼の戦いは続いている。

爪と刀を打ち合わせ、鋭い刃同志がぶつかり合う音は俺より他に聞く者はなく、夜の闇に溶けていく。

……なんてな。

妖刀先生の希望もあって黙って観戦しているが、正直言って少々もどかしい。

二人は基本正面から斬り合っていて、妖刀先生が隙を見つけては影に潜り背後から斬りつける。

しかし鬼も慣れてきたもので、逆にもぐら叩きの要領で脳天から叩き潰そうで試みてたり。

戦いはもはや泥沼と化したと言ってもいいだろう。

両方とも決定打に欠けるのだ。

そもそも腕力が鬼とほぼ互角な妖刀先生に問題がある。

年齢? から考えるともっと力があってもいいはずなのに。

または影に潜る以外にも何か能力を持っていてもおかしくないのだが……。

手ごろな岩を見つけて、それに腰掛けながら俺はため息を漏らす。

正直先生は戦いに向いてないんじゃないかと思うときがある。

もともと飾り刀として生まれたわけであるし、日々のんびり過ごせばいいものを。

「……くぅっ」

そんなことをつらつら考えていると、目の前にまで先生が吹き飛ばれてきた。

何とか足から着地した先生は、俺に気づくと照れくさそうに笑みを浮かべる。

「おお。もうちっと待っててくれんかの。何とか仕留めるんでの」

「んー……」

夜が明けるまでに済ませたいので、あまり待っていられないというのが本音なのだが。

「がんばれ」

「おうとも!」

再び鬼に向かって駆け出していく先生を見送る。

まぁ先生の人生? は先生のもんだ。好きにすればいいさ。

あまり長引くのは困るけどね。

大きく伸びをしながら夜空を仰ぐ。

月はもう、傾き始めていた。


二月三日+++++++++
斬り合い続ける二人。

腕力はほぼ互角のようであったが、やはり無理矢理変化している鬼には持久力が足りない様子。

だんだんと太刀筋が鈍くなってきて、腕が上がらなくなってきている。

そしてとうとう。

「――だりゃあっ!」

妖刀先生の一閃が、鬼の左腕を肘の辺りから切り落とした。

痛みを感じているのかどうかは知らないが、鬼は耳障りな悲鳴を上げつつ後ろへ跳躍しようとする。

「逃すかぁぁっ」

しかし先生はそれを許さない。

空いていた小太刀で鬼の胴を刺し貫き、そのまま地に叩きつけた。

そして柄辺りを踏みつけ、小太刀を釘代わりに鬼を地面に縫い付けてしまう。

さらに追撃、大太刀を素早く振るうと、残った右腕も肩の辺りから斬り飛ばす。

……おお。がんばったじゃないか先生。

「――討ち取ったりぃ!」

大太刀を高々と掲げ、全身を喜びで震わせている。

ああ、目の端に涙まで浮かべちゃって。……そういやまともに勝負して勝ったの初めてか?

とにかく勝負が終わったようなので俺は先生に近づいていく。

「見たか。見ていてくれたかのツクモガタリよ!?」

「見てたぜー。がんばったなぁ先生」

「うむ! いやぁ感無量とはこのこと……」

「でも気を抜くのはちょっと早いんじゃないか」

「おっ?」

先生が間の抜けた声を漏らした瞬間、先生の後方から弾けるような音が響いた。

「のおおお!?」

先ほど切り落とした両腕が分裂し、大量の鬼どもへと戻っていたのだ。

そんな不思議な話でもない。合体していたのが元の姿へと戻っただけなのだから。

鬼どもは一瞬で俺たちを包囲し、飛び掛ろうと身を屈め……。

「今からまたこの数を相手するのかの!?」

そして大体予想していた俺は、慌てず騒がず指を打ち鳴らす。

それを合図にして。



ギギギギッ!?



ギャギャッ

ギィィィィィッ



山頂に鬼どもの悲鳴が響き渡る。

「おいおい。もう夜も更けてんだから静かにしろよ」

言いつつもう一度指を鳴らすと、一瞬だけ悲鳴が大きくなった後、辺りは静かになった。

「……ツクモガタリよ」

先生が何だかふて腐れたような表情を浮かべてこちらを見ている。

「何だよ」

「これは一体どういう有様なんだの」

言われて山頂を改めて見回す。

再度大量に現れた鬼どもは全て、地面から突き出た岩の槍に貫かれ完全に沈黙していた。

ほとんどは一本の槍に貫通されてるだけだが、何匹かは二本目三本目に貫かれている。

「言わなかったか」

俺は地面に向かって親指をぐっ! と立てて感謝の念を伝えておく。

「山とは話がつけてあるってさ」

地の利を味方にするのは勝負の基本。つまり地を味方にしておけば最早勝ったも同然ということだ。

「聞いてないでの。ていうかこんなことが出来るなら大豆やワシはいらなかったのでは」

「そうでもないさ。俺の目の届かないところとかカバーして欲しかったし」

「ふむぅ」

まだ何か不満げな先生を適当に流しつつ、残った鬼の塊。少年型鬼を見下ろす。

小太刀で地面に縫われている鬼は、もう迂闊に動くことも分裂も出来ないと悟ったのだろう。

ただ憎々しげに錆色の視線をこちらに向けている。

「さて。こいつはどうするのかの?」

「どうするもこうするも。最初から俺のやることは決まってるさ」

俺は自分の親指の腹を噛む。

ぷっくりと血の玉が滲み出すのを見て、先生はぽつりと呟く。指を咥えながら。

「……もしかしてそれは頑張ったワシへのご褒美かの?」

「違う」

さて、そろそろ締めに入ろうか。


二月三日++++++++++
「……ではその血は何に使うんだの」

物欲しげな妖刀先生を尻目に、俺は黙って指に浮かんだ血の球を鬼の口元へと落とした。

「な、何を?」

鬼は必死に舌を伸ばし、口の端に落ちた血を舐めとり口に含む。



ギギギギィッ



全身を振るわせ、しばし惚けた表情を浮かべた後、静かな視線を俺に向けてきた。

先ほどまでとは違い、知性の光を感じられる。

「どういうつもりだ。我らに血を与えるなどと」

どうやら口も利けるようになったらしい。

「欲しかったんだろ。俺の血が。もっと喜べよ」

「……我らを調伏しただけではなく、使役でもしたいのか?」

「別に」

挑むような鬼の視線を鼻で笑い飛ばしてやる。

「そういうのが欲しかったら俺は別のやり方を選ぶさ。それよりせっかく力をやったんだ」

小太刀を抜いてやり、鬼に手を刺し伸ばす。

「今やった血の量なら一週間は化けていられるだろう。……あとはわかるな?」

差し出した手をじっと見つめて、鬼はしばし黙り込む。

「……くくっ」

鬼は上半身を軽く振るうと、切り飛ばされた両腕を再生させた。

今度はごく普通な細い少年の腕が出来上がる。

鬼は俺の手を取って身を起こすと、そのまま正座で姿勢を正した。

「ツクモガタリ。……いえ、旦那様。我ら、受けたご恩は決して忘れはしませぬ」

深々と頭を下げる鬼。まったく生真面目な奴らだ。

「いいからもう行け。その血で足りなければ俺はもう知らんぞ」

「はい。――ありがとう、ございました」

もう一度深く深く頭を下げた後、鬼は静かに俺たちに背を向けてどこかへと去っていってしまった。

それを山頂に転がっていた鬼の残骸が追いかけ、山中からも少しずつ気配が消えていく。

山を出る頃には完全に合体してしまうんだろうな、きっと。

その背中を見送りつつ、先生はぽつりと呟いた。

「……なんだったんだの。今のやり取りは」



「つまりアレだ。ちょっとだけ力やるから……」

俺は顔に笑みが浮かぶの自覚しつつ、妖刀先生に向き直る。

「……持ち主のところに戻るなり何なりしろってことだよ」

「そ、それはマズくないかの?」

「いや、あいつらは真面目そうだからなぁ。元の持ち主のところじゃなくて、
不法投棄した馬鹿な業者のところに行くんじゃないか」

「……行ったあと、どうなるのかの?」

口の端を持ち上げながら、俺はもう一度鬼たちが去っていった方角に顔を向ける。

「どうなるんだろうなぁ?」

そんな俺の姿を見て、ううむ、と腕を組む先生。

「お主はどちらかと言えば正義の味方かと思っていたが……いやはや」

む。何を失礼な。

「俺は『正義』の味方だぞ?」

「ぬかせっ」

「あははは」

そして俺と妖刀先生は用事も終わったので連れ立って帰ることにした。

ちなみに無事だった大豆もみんな山に還ることを選んだ。

どうもこの山が気に入ったらしい。

正直帰りの荷物が減って助かったとか思ったのはここだけの話である。







後日。

新聞の三面に、どこかの業者が何者かに襲撃されたという記事が載っていた。

死者こそは出ていないようだが、襲撃されたついでに不法投棄していた事実まで暴かれしまい、
他多数の不幸が重なって倒産することになるらしい。

……いやはや、物騒な話だなぁ。









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