昼休み。


あたしが鞄からお弁当を取り出していると、友達が笑いながら話し掛けてきた。

「今日も吉野くんと昼ご飯食べるの?仲良いよね」

「まぁねー」

「そんなに好きなの?」

友達の顔を見ると何だかにやにやしている。

まったくもう……。

「あたしはじぇんとると恋愛話をするのが好きなだけっ。勘違いしないよーに」

そう言ってから教室の隅に目を向ける。

そこにはいつものようにじぇんとるがぼんやりと何かの雑誌を読んでいた。

向かいには坂井くんが座っている。

また惚気話でも聞かされてるんだろう、可哀相に。

あたしは苦笑しながら近寄っていった。






「じぇんとるー、坂井くーん。お弁当食べよ」

「おお由美ちゃん、ここ座りなよ」

坂井くんは近くの机を引き寄せてじぇんとるの机にくっつけてくれた。

あたしはお礼を言って座る。

「何の話してたの?」

「亜美の話」

きっぱりと言い切る坂井くん。

この人は……。

亜美というのは坂井くんの彼女である。

まだ付き合って一ヶ月めでとってもラブラブな二人だ。

……見ててイライラするほどに。あぁ羨ましい。

「ということはまぁたずっと惚気られてたの?じぇんとる」

さっきから聞いているのか聞いていないのか黙って雑誌を捲っていたじぇんとるに声をかける。

じぇんとるは顔をあげると一言だけ言った。

「まぁね」

そして再び雑誌に目を落とす。

じぇんとる。

一見したところ愛想のない眼鏡男だけど実際は違う。

荷物を抱えている人がいれば黙って持ってあげたり。

転んだ人なんかがいれば黙って手を差し伸べたり。

何か事情があって急いでいる人と黙って掃除を代わってあげたり。

他にも色々。

例をあげればきりがないくらい良い人だ。笑ったとこ見たことないけど。

その立ち振る舞いが落ち着いていて紳士的なのでじぇんとると呼ばれている。

本人はちょっと嫌がっているけど、広まったものは仕方ない。

まぁあたしが広めたんだけどね。


「そぉ……」

また黙って聞いてあげたんだろうなーこいつは。

ま、そんなことより。

あたしは坂井くんに向かって言った。

「人払いっ」

「またかよ?俺が相談にのってやるっつってんのに」

「坂井くんは順調すぎて参考にならないのっ。恥ずかしいからあっち行ってて」

坂井くんは仕方ねーなー、と言いながら立ち上がった。

その坂井くんにじぇんとるが声をかけた。

「坂井さん」

じぇんとるは誰にでも「〜さん」を付けて呼ぶ。

これは丁寧っていうかちょっと他人行儀だからやめて欲しいと思う。

「なんだ?」

「ここの店が安くて美味しいらしいよ」

さっきまで読んでいた雑誌の記事を指す。

なんとまぁ……。

「デートコース考えてあげてたの?」

お人よしな。

「ふむふむ……なかなか良い感じの店じゃねーか。じぇんとる、ありがとよ!」

「いえいえ。この雑誌持ってていいよ、読み終わったから」

「さんきゅう!今度何か奢ってやるよ」

坂井くんは雑誌を受け取ると軽くスキップしながら教室から出て行った。

どうせまた彼女のとこに行くんだろうな……妬ましい。

「・・・で、向井さんは?また奈良さんの話かな?」

新しい雑誌を鞄から取り出しながらじぇんとるは言ってきた。

あたしは少し顔を赤らめながら頷く。

じぇんとるには半年ほど前から奈良くんが好きなんだけどどうしたらよいか、という話を聞いてもらっている。

何しろ彼はモテモテのサッカー部のエース。

男の子の意見も聞いて慎重にいきたいのだ。

「うん・・・それで最近いいことを聞いたんだけどね、奈良くん彼女と別れたらしいのよっ」

鼻息荒く言うあたしにじぇんとるは黙って頷く。

「これはチャンスなのかしら?別れたばっかりで少し気弱になってるかもしれない」

半年ほど機会を伺っていたけど今が最大のチャンスかもしれない。

「こここ告白は手紙でしようと思うんだけど……」

「直接言ったほうがいいよ」

さくっと言うじぇんとる。

あたしは頭を抱えて突っ伏した。

「ううう……分かってるんだけど勇気がでないー。大体どうやってどこに誘って言えばいいのー」

よよよ、と半泣きになっているとじぇんとるはぽつりと言った。

「先週修学旅行だったよね」

……それが何?

怪訝そうに顔を上げるあたしの顔を見ながらじぇんとるは言葉を続ける。

「たまたま奈良さんの班と出くわしてね」

「ふんふん」

「たまたま少し一緒に見て回ることになって」

「ふんふん」

「たまたま恋愛話みたいなことになって」

「……ふんふん」

「奈良さんがイイ女いねぇ?って言ったときに」

「ふんふんふん」

あたしは身を乗り出して耳を傾ける。

じぇんとるは少し身を引きながら続ける。

「たまたま向井さんの名前が頭に浮かんだので」

「ふんふん……!」

「ちょっと離れて。紹介しといたよ。で、これ彼の携帯の番号ね」

すっとメモを差し出してくる。

…じぇんとる、あんたってホントに……!

「ありがとぉぉぉ!」

感極まってがばっとじぇんとるに抱きつくあたし。

「うんうん、あとは自分で頑張るんだよ?」

いつもより少し優しげな口調。

こいつホントに良い人だっ。

感激のあまり抱きついている手につい力を込めてしまう。

しかし、じぇんとるはあたしをやんわりと引き剥がした。

「抱きつく相手を間違えてるって」

「あ、ごめん。痛かった?」

謝るあたしに静かに首を横に振る。

「ううん、でも周りの視線が痛いかな」

じぇんとるの言葉に我に帰る。

周りを見渡すとにやにやしながらこちらを見ているクラスメート達。

ご、誤解だっ。

「い、今のはちが……!」

「お熱いねー」

「前々から仲良いと思ってたけどやっぱりそうだったのねー」

「教室でイチャつくなよー」

冷やかしが凄くうっとおしい。

まったく男女の友情ってのを理解してくれないんだから……!

それにじぇんとるは絶賛失恋中だとか前に言ってたし!

中学のときの失恋からまだ立ち直れてないような純情なじぇんとるをからかうのはやめて欲しい。

「まぁまぁ」

立ち上がって文句を言おうとしたあたしの肩にじぇんとるが手を置いた。

「その勢いをこれにぶつければ?」

あたしの目の前に突きつけられたのはさっきのメモ。

受け取ったあたしは力を込めて頷いた。

「頑張れよ、向井さん」

じぇんとるの顔は笑顔ではなかったけど、とても優しい目をしていた。

……よーし、何だか勇気がでてきたぞ。

あたしはメモを握り締めると、決意を固めた。






こんなにうまくいっていいのだろうか。

あたしは今の状況が信じられず呆然としていた。

奈良くんに勇気をだして電話してみたところ。

向こうがリードしてくれて会話が弾んで。

あれよあれよと話が進み。

とんとん拍子にデートできることになってしまった。

綺麗なお店でご飯食べたり、ゲームセンターで人形取ってもらったり。

凄く楽しい。どうにかなりそう。

それに奈良くん、女の子にされてるせいなんだろうけど会話が弾む弾む。

何をやるにしてもリードしてくれる。

まぁ要するに。

あたしはもぉ奈良くんにめろめろになっていた。





「向井って今まで喋ったことなかったけど可愛いやつだな、お前」

すっかり暗くなったので送ってもらうことになった。

駅への近道だ、ということで公園を通り抜けているときに、奈良くんがそんなことを言ってきた。

赤面して何も言えないでいるあたしに奈良くんが迫る。

あぁ……そんなに顔を近づけないで。

「いやホントに。まったく損したような気分だぜ・・・」

ゆっくりとあたしの顎に手を伸ばしてくる。

「な、奈良くん……」

「今夜どっかで泊まってかね?」

うっとりしていると奈良くんが出し抜けにそんなことを言ってきた。

「へ?」

「俺が何言いたいか分かるだろ?……楽しもうぜぇ」

少し下卑た感じの笑いを口元に浮かべる。

うぅ……じぇんとるが男はがっつくヤツも多いって言ってたけど奈良くんもかぁ。

「ま、まだ一回目のデートだし、ね?」

「固いこと言うなよ。分かってんだぜ?お前俺のこと好きなんだろ……ならいいじゃねぇか」

そういってあたしの太ももをなぞる。

ひ、ひぇぇ。

「ちょっと奈良くん……!」

さすがにちょっと嫌な気分になったのでその手を払いのける。

すると奈良くんは急に露骨に不機嫌な顔になった。

「ちっ!がたがた騒ぐなよ。最近別れたばっかでたまってんだ、いいからやらせろよ……!」

とんでもない。

あたしは奈良くんがそんな酷いことを言ってくるとは思わなかったので少し呆然としてしまう。

肩を掴んできた。じわじわと顔を近づけてくる。

「やだぁ……!やめてよぉ」

振り払おうとしても相手は腐っても運動部、とても敵わない。

もう駄目か……思って目を固く瞑ったとき。


しゅぼっ。


大きく何かが燃え上がる音がした。

「んん?!誰かいんのか」

奈良くん……いや奈良は一度あたしから身を離し、音のしたほうに身体を向けた。

薄暗い明かりの下、古ぼけたベンチにじぇんとるが脚を組んで座っていた。

大きなジッポからは青々とした炎が吹き出ており、それを使って煙草に火を点けている。

「吉野か?」

「じぇ、じぇんとる?」

じぇんとるは何も言わずに一度煙を大きく吸い込んで……ゆっくりと虚空に吐き出した。

それから夜空を見上げながらどうでもよさげに言った。

「失敬失敬……」

その態度に腹を立てたのか奈良はきつい口調でじぇんとるに食って掛かった。

「ちっ、いいとこで……!邪魔なんだよ!どっかいきやがれ」

「僕はたまたまここに座ってただけなんだよ」

まるで怯まずにじぇんとるは話す。

「ここは人気がないし周りに家もないから煙草吸おうが……大声出そうが大丈夫なんだよね」

「……何が言いたいんだよ」

じぇんとるは軽くを肩をすくめた。

「別に?いい場所だってことだよ。僕たちみたいな悪い子にはねぇ」

「ふん……」

奈良は腹ただしげに鼻を鳴らしたあと、あたしの腕を乱暴に掴んできた。

「いたい……!」

「ほら行くぞ!」

「いやぁ!じぇんとる助けて!」

「このアマ……!」

必死に叫ぶあたしの口を押さえつけてくる。

じぇんとる……!

視線の先にのじぇんとるは優しい視線を送ってきていた。

大丈夫。

そう言っている気がした。

「助けて、とか言ってるけど。奈良さんから助けなきゃいけないようことは別にないよねぇ?」

じぇんとるはあくまで穏やかな口調だ。

「嫌がる女を無理矢理、なんて馬鹿な真似はできないよねぇ、奈良さんには」

「だからテメェは何が言いたいんだよ!」

「……公式戦、来週だよね」

う、と奈良は声を詰まらせた。

「面倒なことがあったら大変だよねー……」

「……!」

奈良は少しの間じぇんとるを凄い形相で睨んでいたけれど……。

すぐにあたしを突き飛ばすように開放した。

「じぇんとる……!」

あたしは急いでじぇんとるに駆け寄った。

じぇんとるは立ち上がってあたしを迎えてくれた。

「……ったく!ブスが勿体ぶるんじゃねぇよ!貴重な休みが台無しだ」

悪態をつきながら去っていく奈良。

そこまで言わなくてもいいのに……。

あたしが少し俯いていると、その頭を軽くじぇんとるが撫でてくれた。

「ちょっと話そうか?」

「……うん」

あたしは小さく頷いた。






古ぼけたベンチに座って一時間。

あたしは休むことなく奈良の悪口を並べ連ねていた。

「……だいたいあの男は運動部のくせにあんまり逞しくないし脚細すぎるし髪も長すぎんのよっ」

「うんうん」

地面に叩きつけるように喋り捲るあたしの隣りで、じぇんとるは何するでもなく相槌を打ってくれている。

別にあたしの肩を抱くわけでもないし、慰めてくるわけでもない。

でもずっと隣りに居てくれている。

「……道具の手入れも後輩にやらせてそーな生意気顔だしっ。……最低の男だわ!」

それだけ言うとあたしはもう悪口を思いつかなくなった。

さすがに一時間以上も罵ってたらボキャブラリーが尽きてしまったわ……。

「…でも」

あたしが黙り込んでいると、じぇんとるがぽつりと呟いた。

「好きだったんだよね、ずっと」

……!

あたしは咄嗟にその言葉を否定しようとじぇんとるを睨んだけれど……。

優しい瞳で見つめ返されて何も言えなくなった。

じぇんとるは知っている。

あたしがどれだけ奈良のことが好きだったのかを。

半年以上もあたしの恋愛話に付き合ってくれていたのだから。

「うん……うん……。好きだったの。奈良くんのこと……好きだったの……!」

口に出してしまうともう我慢できなかった。

あたしはじぇんとるの胸に顔を埋めて泣き出してしまった。

じぇんとるはやっぱり何も言わないでいてくれた。

その代わり、あたしの頭を優しく撫でてくれていた。

その感触が心地よくて。

いつの間にか、眠ってしまった。






「……向井さん、向井さん起きてみて」

優しく肩を揺するじぇんとる。

気が付くとあたしは、じぇんとるの膝に頭を乗せて眠っていたらしい。

毛布代わりに彼の上着がかけてくれていたことに不覚にも涙が出そうになった。

照れくさかったので、寝ぼけたふりをして頭を彼の膝に乗せたまま虚ろに返事をした。

「そのままでもいいや。ほら、朝日が綺麗だねぇ」

彼の声に目蓋を開く。

雲の切れ間から朝の光が差し込んできていた。

朝日に照らされて雲が輝いているようにも見える。

その光景を見ていると、あたしはまた涙を溢している自分に気が付いた。

「綺麗ね……」

「うん。夜が明けた、ね」

「そうね……」

「向井さん」

「……うん?」

じぇんとるの顔を見上げると彼は穏やかな笑みを浮かべていた。

……初めてじぇんとるの笑顔を見たような気がする。

意外と二枚目じゃない。

あたしも釣られて顔が緩むのを感じた。

「頑張ろうね」

「……うん、頑張る」

頑張るよ、じぇんとる。






後日。


あたしはいつものように、じぇんとるとお昼を食べていた。

何となく気まずい。

いや、じぇんとるはいつもと同じなのだけれど、あたしが意識してしまって仕方ないのだ。

ついでに言うなら彼は自分から話題をふってこないのであたしが喋らなければずっと無言だ。

「ね、ねぇ、じぇんとる……」

「うん?」

お弁当から顔を上げた彼と目が合って、あたしは思わず目を逸らしてしまった。

顔が少し赤くなっているのを感じる。

……やばいなぁー。

「どうしたの?」

「中学時代の失恋の傷はそろそろ癒えた?」

じぇんとるは少し怪訝な顔をした。

「なんだよ急に」

「い、いや……立ち直るのに参考にしようかと思って」

じぇんとるは少し考え込むような仕草をしてから、胸ポケットから生徒手帳を取り出した。

広げてあたしに見せてくる。

そこには大人しそうな可愛い女の子が写っている写真があった。

何だかくしゃくしゃになっているのを伸ばした後があるのが哀愁を誘う。

「未練たらたら」

飄々と言うじぇんとる。

「そっか……」

そうなのかー……。

黙り込んだあたしの顔を見て彼は尋ねてきた。

「何でそんな気合の入った顔で拳を握り締めてるの?」

あ、あたしそんな顔してたのか。

何でもないよ、と首を横に振ってた。

「そっか」

じぇんとるはそれ以上は何も言わず再びお弁当にとりかかった。

あたしは写真の女の子に対抗心を燃やしている自分に気付いていた。

「じぇんとるー」

「うん?」

「男女の友情は難しいよね」

「……そうかもね」

あたしの言ってる意味を分かっているのか分かっていないのか。

じぇんとるの顔からは窺い知ることはできなかった。


もどるTOPへすすむ