日が大分落ちた公園で、惨劇が繰り広げられようとした。
 まさに、そこに私は立ち会ってしまった。
「あ、あた、あたしが……あたしはこんなにしてるのにぃ!」
 頼りの少年達が蹴転がされ、足蹴にされている間、彼女は震えて俯いているだけだった。
 しかし、その震えはだんだんと大きくなり、そして、男の子が何かを告げた瞬間、それは頂点に達した。

「何!? 何なのよ!! あんたはどうして思い通りにさせてくれないのよ!! どうしてあたしがやってるのにうまくいかないのよぉ!!」

 ヒステリーを起こしたように――否、明らかにヒステリーを起こして、彼女は頭を掻き毟って叫んだ。
 それは、あの男の子を誘うことに失敗し、さらに今、その八つ当たりまでも叩き潰された少女だ。支離滅裂な言葉を叫んで男の子を凝視している。
 その様子を見た男の子は、しかしただ淡々とした表情で眉を顰めるだけ。
 それを見て、さらに逆上する彼女は、次第にその口から出る言葉すらも震えを帯び、破綻し、そして、意味を為さないただの叫びと変わっていく。
 そして、それは、

 彼女の精神の様子を表していた。

「――――――――――――――――――――――!!」
 聞き取れない叫びを上げて、彼女は肩から掛けていた小さなポーチから、ある物を取り出す。
 ぬら、と、濡れた光が私の目に焼き付いた。
 逢魔が時の残滓を反射して、赤く染まった剃刀が、その手に握られていた。
 小振りな、しかし、鋭い凶器は、手の震えと同期して細かく揺れているものの、強く強く握られている。
 次の瞬間には、取り出した凶器でしっかりと男の子を見据えていた。
「…………」
 だが、男の子に変化は無かった。
 ただ淡々と、淡々とした表情で彼女を、今の状況を見ていた。
 まるで、どれだけの変貌を見せつけられようと、

 貴女には興味がないとでも言うかのように。

「ァ――――――――――!」
 動き出す。
 狂気は既に見えている。
 凶器は既に見せている。
 ならば、彼女に残された選択肢は既に一つ。
 動き出す。
「――!? おい!!」
 先ほど男の子を助けた人影が叫ぶ。
 だが、間に合わない。
 彼が蹴り飛ばした少年達は相当な距離を飛んでいたし、それに追い討ちを掛けていた彼もその距離分だけ男の子とは離れていた。
 彼には、止められない。
 彼女の持つ凶器が、朱色に濡れて鈍く光り、そして、

 真っ赤な鮮血で、その身を彩った。



「はい、そこまで〜」
 場違いなほど軽い口調が、その場を制した。
 振り上げ、振り下ろされた剃刀は男の子の顔を目掛けて向かい、しかし、その軌跡に割り込んだ掌がそれを受け止めていた。
「俺ももうそれほど若くもないんでなぁ。これ以上暴れるなら、警察呼ぶよ」
 当然、無事では済んでいない。
 ハンカチを巻いた程度の掌で、勢い良く振られた剃刀を噛み込み握った代償として、薄布にじわじわと広がる鮮血が見える。
 が、彼はあくまでそれを気に留めず、穏やかな様子で女の子に接していた。
 警察、の二文字でびくりと肩を震わせた女の子の手からゆっくりと剃刀を取り上げる。
「これはもういらない」
 ぱたっ、と足下に弾ける朱の色。
 唐突な介入に混乱と緊張で身を固めていた女の子が、その音で緩やかに手を下ろす。
「あ……」
 自分の指に付着する血の赤を見つめて、女の子はその身をまた震えに蝕まれ始める。
 しかし、
「大丈夫だ」
 彼がそう言ってそっと肩を叩くと、震えは収まり、次第に肩の力が抜けていく。
 あたかも、張り詰めていた糸が緩やかにゆとりを取り戻していくように。
「従兄よ……!」
 私の隣で息を張り詰めて見守っていた彼女が駆け出す。
 彼は苦笑いを浮かべて振り返った。
「従妹よ、すまん。あとお願いがある。いいんちょと一緒にこの子の話を聞いてやってくれ」
 え? と唐突にバトンタッチをされて戸惑う私を余所に、はっきりと彼女が頷いてしまっていた。
「分かった。任せてくれ」
 理由すら問わずに彼女は行動を決めてしまった。
 私は何かを言い返そうとしたが、やめる。
 彼女のように全幅の信頼を寄せて即答することはできないが、彼のお願いを聞くことが嫌というわけではないのだ。
 きっと理由があるのだろう、と適当に自分を納得させて私も歩み寄る。
 ただ、ちょっと文句を付けるくらいはいいだろうとも思う。
「自分でしないの? ここまでやっておいて」
 彼はやはり、苦笑いしながら答えた。
「俺だけにあの子が頼るようになっても困るし、女同士でしか話したくないこともあると思う。それに……」
「それに?」
 言い淀んだところを追及すると、苦さを増量した顔が返ってきた。
「俺なんかが善人の真似事するのは、ここらへんが限界だろ?」
 ぴっ、と指先に滴る血を弾きながら、そんなことを言った。
 弾かれた血は、もう毒々しいまでの赤を放たない。
 朱の光は、訪れ始めた夜に消え去っていた。