「要らない苦労をした分くらいには、おいしかったわねー」
 暗に従兄を責めるような科白を早々に食べ終えたいいんちょさんが言う。
 大学生として生活し始めた最初の頃、いいんちょさんが従兄にこんなことを言った時には怒りを覚えて食ってかかってしまいそうにもなったものだが、従兄が苦笑いのようなものを浮かべているのを見て、すぐに気付いた。
 これはいいんちょさんと従兄だからこそ通じる褒め言葉であり、そこに毒の成分は一切含まれていないやり取りなのだと。
「それは何よりだ」
 答えつつうっすらと従兄が浮かべる苦笑いも、ビールやコーヒーのようにその苦みを楽しむ、快いものなのだ。
 だからこそ浮かんでくる、嫉妬というものもあるが、それは表に押し立てて従兄を責める要因にはならない。嫉妬を感じることをはっきりと自覚し受け入れれば、従兄への信頼と愛情が乗った天秤に乗せてしまえばいいだけだからだ。
 そのどちらが重いかなど、検討することすら馬鹿馬鹿しい。
 従兄といいんちょさんの会話を耳にしながらそんなことを考えつつフォークを動かし、いいんちょさんに遅れて私も食べ終えた。
「従兄よ、少し席を外す」
「行ってこい。俺はまだ飲み終えてないからゆっくりでいい」
「あ、待って。私も行くわ」
 ひらひらと手を振って送り出してくれた従兄を置いて、いいんちょさんと私は二人で連れ立って化粧直しを実行した。
 鏡を前にいろいろと苦心するこの瞬間は、苦行ではあるものの、しかし高揚感もある。
 つい最近始めたばかりで慣れてはいないが、従兄の好みは心得ているつもりだ。
 従兄は、自然体であることを好む。なかなか難題だ。
 もっとも、私としてもそれほどキツくしたくはないのでそれは願ったりというものなのだが、その前提を置きつつも手を加えるというのがなかなか難しい。
 匂いや気配に敏感であり、洞察力や記憶力に優れている従兄は、虚飾を飾ろうとすればすぐに気付く。嘘のないように、しかし、良く見えるように。
 至難と言えるこの作業だが、それも、従兄の隣を歩くという位置を保ち続けるためのものだと考えれば全く苦にはならない。
 自分を良く見せたい、という行為が浅ましいものだとは、私は思わない。
 同じ部屋で暮らし、同じ生活をして、素のままの自分を従兄には既に見せている。だが、それと同時に、一番良い自分というものも、従兄には見て貰いたいとも思う。
 従兄は最も気の置ける存在でもあるが、同時に、最も気の置けない命題であると思う。
 矛盾したこの気持ちだが、自分がそうしたいと感じているのだから、そうする。
 何故なら――

 自然体の私こそが、従兄が受け止めてくれた私なのだから。

「……ホント、素質が良いとナチュラルメイクだけで信じられない仕上がりになるものね。アナタを見てると実感させられるわ」
 と、唐突に、隣で動かしていた手を止めたいいんちょさんが言う。
 口調は呆れているようで、表情もそれに伴ったものであり、どうやら信じられないことに本気で言っているようだ。
 私はきっちりと終わらせて、出来栄えを確認してから答えた。
「いいんちょさんのおかげでこういったことの腕が鈍らない。感謝している」
 心からそういうと、いいんちょさんは目を弓にして笑い、
「そう? 光栄だけれど、大丈夫よ。私はもう袖にされてるもの」
 ということは既に従兄といいんちょさんはそういった会話をしたことがある、ということではないのか。そう口にしかけたところで、
「さて、と、もう戻らないとね」
 と機先を制するようにいいんちょさんが立ち去ってしまい、機会を逃されてしまった。
 ……やはり、いいんちょさんは侮りがたい。
 私はより一層深くそう実感した。
 手早く道具をまとめ、席に戻る。その途中、
「だからさぁ、最初はお試し期間ってことでもいいじゃん。ね? そんなの変わってくるってぇ〜。ていうかぁ、あたしが変えてあげるよぉ……なんてぇ〜?」
 と、高校生の二人組らしき席の横を通りかかった時にそんな声が上がった。
 その長台詞を最初から最後まで聞いたのには理由がある。女の子が通路に荷物を置いており、空いている分のスペースには接客中の店員が立っていたので、通れなかったからだ。
「……そうだね。だけど、僕にはそうは思えない。だから、君の要求には応えられない」
 こっちの男の子がこの女の子に脅されているのだろうか、一瞬そう思ったものの、二人の様子を見比べ、私は口を出さないことにした。
 どう見ても――男の子の方が上手だ。どんなテロにも屈さない、ということが伝わってくる、毅然とした態度だ。
 その男の子はまだ何かを言い募る相手に気付かれないようにこちらに視線を飛ばし、目礼で謝罪を送ってきた。おそらく、私が通れなくなっていることについてだろう。
 女の子の方はこちらを気に留めてすらいないというのに、殊勝な少年だと私は感心した。
 私も小さく頷きだけを返しておき、男の子の謝罪を受け取る。
 店員が接客を終えて申し訳なさそうにこちらに頭を下げながら立ち去っていったので、そちらにも同様のことを返しておき、元の席に戻る。
 と、コーヒーカップを置いた従兄と先に戻っていたいいんちょさんが、同時に声を発した。
「「あれはさっきの――」」
 二人は私の背後、先ほどの高校生二人組の方を向いていたようだが、お互いがお互いの発言に驚いた表情で反応し、
「え?」
「ん?」
 と同時に見つめ合う。
 従兄といいんちょさんはしばらく無言で視線を合わせていたが、遂に、耐えられなくなった。
「――ぉ? どうした従妹よ。いきなり腕を絡めて」
 ……私が。