「オレは駄目な男だ……」

ゴンゾウは昼間から街をふらふらと彷徨っていた。

虚ろな目をしていて、見るからに打ちひしがれた様子だ。

彼は激しくハワイで自分のやったことを悔やんでいた。

ヒカルの従姉妹をホテルに誘うだなんて。

いくら顔がそっくりだからって、オレは何て浮気な男なんだ。

しかも土壇場で断った上に、裸を見ただけで鼻血を噴いて気絶までするなんて。

情けなさすぎる。

昔のオレは百戦錬磨で女の裸くらいじゃ屁でもなかったのに。

あの顔がいけないんだ、あの顔が。

と、思い出しかけるゴンゾウだが、それだけで鼻血が出そうになる自分が憎い。

とにかく今の気分じゃヒカルには会えない。

何か気分転換になることはないものか。

そんなことを考えながら歩いていたゴンゾウが駅前に差し掛かったとき。

何気なく視界に入った旅行会社の無料パンフの広告が目に入った。

思わず近寄り手に取る。

それを一枚取ると歩きながら読みふける。

最後まで読み終わると、ゴンゾウは拳を固めて空を仰いだ。

「よし、羽合に行こう」

ハワイでの失敗を取り返すのは羽合で。

ゴンゾウは実に良いアイディアだと思っているようだが。

羽合に行ったところで、いったい何をどう取り返せるというのか。

そんなことはまるで考えず、ゴンゾウは羽合に行くことに決めた。

ゴンゾウはいたって真面目である。

そうと決めたゴンゾウは早速携帯電話を取り出し、旅行代理店に電話をかけるのであった。







と、いうわけでやってきたのはボロ旅館。

羽合には良い温泉はいくらでもあるが、残念ながら予算がない。

それにゴンゾウは別に観光に来たわけでも温泉に浸かりに来たわけでもない。

ここに来たら何かを取り返せるような気がしてやって来たのだ。

とりあえず案内された部屋に荷物を置いてくつろぐ。

上着を脱いで寝転がり、足を伸ばして身体も伸ばす。

軽く一つ息をつき、染みだらけの天井を眺めながらゴンゾウは思った。

さて、これからどうしよう。

羽合には来たが、別にここでやることはない。

もしかして自分はまるで意味のない行動をしているのではないか、と彼は自分を疑い始めた。

「……いや、そんなことはないハズだ」

ゴンゾウは口の中で小さく呟く。

いつも直感に従って生きてきたが、それで大体うまくいっている。

後悔するようなことがあってもやはり直感で補ってきた。

だから今回も何かあるハズだ、ここで。

「っちゅうわけで風呂でも入るか」

せっかく羽合に来たのだから温泉に入らないと。

ゴンゾウは着替えなどを持って部屋を出た。





ぼろっちい旅館にしてはなかなか立派な温泉だった。

女将の話によると混浴しかないらしいが、ゴンゾウにはどうでもいい話だった。

彼はヒカル以外にはまるで興味がないのだ。

ヒカルコのような女性はあくまで例外なのである。

たとえ若い女性客が入っていようとゴンゾウは気にしないであろう。

「でも……」

へっ、とゴンゾウは鼻で笑った。

こんな旅館にオレ以外の客が泊まってるとは思えんがな。

軋む戸を荒っぽく開け、ゴンゾウは洗い場に足を踏み入れる。

もうもうとした湯気で前がよく見えない。

いや、うっすらと人の影が見えた。

湯気に移る二つの巨大な影。

ゴンゾウは自分の目を疑った。

何なんだコイツらは。いくらなんでもデカすぎないか?

その二人は見た感じ三メートルはある様子だった。

妖怪かもしれん……。

真剣にそう思ったゴンゾウは拳を固めながら影に近づいていく。

ぶん殴って倒してから何者か確かめよう。

危険極まりない発想を浮かべたゴンゾウはまだこちらに気づいていない様子の影に忍び寄り拳を振りかぶった。

と、その時。

さっと風が吹き、湯気が晴れた。

そして影の姿が明らかになった。

「ん? 木下さんじゃないすか」

ノボルが寒そうな顔で立っていた。

いつも以上に大きく見えたのはただ単に湯気のせいだったようす。

ここにゴンゾウがいること自体は気にもならないようだ。

「お、弟さんか?」

ゴンゾウはそうはいかず、少々驚いた。

その彼の頭の上からさらに声がかけられる。

「おやゴンゾウ君。久方ぶりだな」

白木父ことダイであった。

相変わらず気の弱い人物なら腰を抜かしそうなほどの貫禄を漂わせている。

「お義父さんまで!」

そしてゴンゾウは相変わらず図々しくもダイを義父と呼ぶのであった。

「なんでこんなところに?」

「うむ。年に一度は家族揃って温泉に行くのが白木家のしきたりなのだよ。今年はここだ」

ほどよく寂れているのが気に入った、とダイは語る。

寂れているどころか潰れかけに見えると思うゴンゾウだが、さすがにダイの前では言えない。

そうなんすかー、と言いかけた彼だが一つ疑問が浮かんだ。

「家族揃ってって……もしかしてヒカルもここに?」

「うむ。今も湯に浸かってるぞ。妻やヒロミも一緒だ」

威厳たっぷりに肯くダイ。

「父さん、それ教えちゃマズイだろ」

少し焦るノボルだが、もう遅い。

ゴンゾウは素晴らしいフットワークでダイとノボルの間を抜けた。

広がった視界の先には、寂れた旅館の割には広い温泉。ちなみに濁り湯。

そこに白木母ことワカコがとっぷり浸かっていた。

「あらゴンゾウ君。お久しぶりねー」

笑顔でゴンゾウに向かって手を振るワカコの後ろに、ヒカルとヒロミが身を縮めて隠れている。

ヒロミは恥ずかしそうに顔を赤くして、ヒカルは恐ろしそうに顔を青くして。

「お久しぶりです!お義母さん」

元気よく頭を下げるゴンゾウ。

そして頭を跳ね上げるように上げるとヒカルに向かって跳躍するため、脚に力をため……。

ためながらゴンゾウはハワイでの失敗を思い出した。

そういえばまだ何も取り返してないのにヒカルに飛びかかるのはどうだろう。

それに毎度毎度勢いだけで行動するからオレは前みたいな失敗をするんじゃないのか。

今回は紳士的に身を退いて後で食事を一緒にしないか誘うとかが良いかも……。

変な体制で固まっているゴンゾウにヒロミは赤い顔で睨みつけた。

「そんな格好で固まってないで……!」

言いながら手近の桶を掴む。

そして思い切り振りかぶりゴンゾウの顔面に叩きつけるように投げつけた。

「とっとと出てってください!」

「ぐぼぉ!」

考え込んでいたゴンゾウは避けることも出来ずに顔の中心に桶を喰らった。

よろめきながら後ろに下がるゴンゾウ。

「ノっくんや義父さんと一緒に入るだけでも恥ずかしいのに!」

叫ぶように言いながらヒロミはもう一度桶を構える。

ぼくはいいんだ、と隣で呟くヒカルは少し寂しそうだ。

「出てってくださいってば!」

再び顔面に命中、当たり所が良かったのか軽快な音が辺りに響く。

不安定な体勢の時に良いのを喰らったのでゴンゾウは足を滑らす。

「……がふっ!」

そして華麗に転倒し、いい所にあった角に後頭部をぶつけて昏倒した。

腰に巻いたタオルは外れずに気を失い倒れている彼の元へダイとワカコが近寄る。

面白そうにしげしげと顔を覗き込みながら二人は感心した。

「今の見ました? あなた」

「うむ。まるでドリフを見ているようだったな。桶を投げられて足を滑らせて角に頭をぶつけて気絶」

腕を組み唸るダイ。

「ええ……なかなか凡人に出来ることではないわね」

ワカコも神妙な顔でダイの言葉に肯く。

まだ顔を赤くしているヒロミは変な両親に向けって怒鳴った。

「二人とも前も隠さないで何言ってんの!」

「家族なのに何を恥ずかしがることがあるか」

「ヒロミは照れ屋さんねぇ」

爽やかに笑う両親に何を言っても無駄なのはヒロミには分かっている。

ため息を吐くと、温泉に足を入れようとしていたノボルに言った。

「ノっくん。木下さん片付けてきて」

「うい」

ノボルは文句も言わずにゴンゾウを脱衣所まで担いでいった。

ちなみに彼はまだ一度も温泉に入れていない。

「まったく木下さんは困った人ねぇ兄さん」

ヒロミがヒカルのほうに苦笑しながら振り向くと、そこにはいなくなっていて。

ゴンゾウを運ばれていくノボルにとことこ付いていっていた。

その後ろ姿を見てヒロミは少しだけ顔をしかめる。

「兄さんも困った人だわ……」







「……ううむ」

ゴンゾウは顔を抑えながらむくりと起き上がった。

えらい目にあった。

眼中に入ってなかったが、そりゃ温泉入ってるとこに家族以外の野郎が来たら嫌だろうなぁ。

また無神経なことをしてしまった。反省しないと。

少し落ち込みながら辺りを見渡すと、そこは自分の取った部屋だった。

たぶん弟さんが運んでくれたんだろう、とゴンゾウは思った。

あいつも良く出来た男だよなぁ。

浴衣も着せてくれてるし布団の上に寝かされてるし。

たださすがにパンツは穿かせてもらっていなかった。

それはゴンゾウとしてもそこまでしてもらったら逆にへこみそうなので、むしろありがたい。

パンツパンツ……と持ってきた鞄を漁っていると、入り口を軽くノックする音が聞こえた。

「木下ー。もう起きた? 大丈夫?」

ヒカルだった。

ゴンゾウは反射的に心配してくれたのかぁぁぁ、と駆け寄りそうになったがグっと堪える。

クールにいこうクールに。

とりあえず、すぐには返事はせずにゆっくりとパンツを穿く。

深呼吸を軽く一回。

よし、とゴンゾウは頷いてドアを開けた。

「よぉヒカル」

「や。元気そだね」

やんわりと微笑むヒカル。

クールに無表情な感じで対応しようと思っていたゴンゾウだが、ヒカルに笑顔につられてしまった。

自分でもバカみたいだと思うくらいに緩んだ笑顔になってしまった。

「入っていいかな。飲まない?」

と、手に持った日本酒の瓶を掲げるヒカルにゴンゾウは自分の耳を疑った。

ヒカルの方から飲もうと言ってくるなんて信じられない。

「……おう入れよ」

「お邪魔するよー」

ひょこひょこ部屋に入ってくるヒカルを押し倒したくなる衝動を抑え、座布団を勧めておく。

ゴンゾウはコップを用意してテーブルの向かい側に座った。

ヒカルはコップに酒を注いでゴンゾウに渡しながら言った。

「さっきはヒロミが荒っぽいことしてごめんよ。あの子恥ずかしがり屋だから」

「いや別に。てかヒカルにもっと荒っぽいことされた記憶がいっぱいあるんだが」

そりゃそうだ、とヒカルは笑った。







それから少しばかり飲みながら歓談していた二人だが、ヒカルが急に表情を変えた。

無表情になったというわけではないが、笑顔が消えて神妙な顔でゴンゾウに言う。

「木下さ……。こないだハワイから戻ってきてから少し大人しくなったね」

「まぁな」

ヒカルコの失敗があってからは少し落ち着こうと思ったので最近はヒカルへのアプローチを控えているのだ。

「……もしかしてさ、ぼくのこと嫌いになった?」

上目遣いでこちらを見てくるヒカル。

酒のせいだけだろうか? 少し頬が赤く染まっている。

ゴンゾウの中で何かが切れる音がした。

「そんなわけないだろ愛してるぞヒカルぅぅぅぅぅ!」

テーブルを乗り越え、ヒカルに跳びかかるゴンゾウ。

ヒカルは慌てず騒がず手に持っていた酒瓶でカウンターでゴンゾウの顔面を殴る。

「ぐほぉっ」

顔を抑えて仰け反るゴンゾウにヒカルは腹を抱えて笑った。

「バッカだー。引っ掛かった引っ掛かった」

やはり少し酔っているようで無邪気な様子のヒカルをゴンゾウは恨めしげに見る。

「ヒカルぅぅぅ」

「あはは。ごめんって」

とろんとした目つきになっているヒカルはゴンゾウを見つめる。

「やっぱヒカルコのせい? 大人しくなっちゃったの」

「ヒカルコとのことを知ってるのか!?」

一気に酔いが覚めたゴンゾウはヒカルに詰め寄る。

ヒカルはのんびりした口調で言葉を返す。

「聞いたよー。色々とえっちぃ展開になったらしいじゃん」

「ち、違うんだ」

狼狽するゴンゾウにヒカルはにやにやしながら言葉を続ける。

「酔わせてホテルに連れ込むなんてケダモノー」

「あぁぁぁ」

頭を抑えて崩れ落ちるゴンゾウ。

「しかもギリギリで何もしなかった上に鼻血噴いて気絶ぅ?」

「……いっそ殺せ」

そこまで伝わってたとは。

真っ青な顔でひっくり返っているゴンゾウの頭をぽんぽん叩いてヒカルは笑った。

「大丈夫だって。ヒカルコは気にしてないってさ」

「……ホントか?」

「うん、ゴンゾウの純情さに乾杯って言ってた」

「うぁー」

突っ伏して悶えるゴンゾウを見てヒカルはまた笑う。

しかし、とヒカルは腕を組む。

「ぼくと同じ顔で女の子ならヒカルコの方が良くない? 木下ってやっぱホモ?」

ゴンゾウはがばっと身を起こした。

「それは心外だなっ。前から言ってるだろ? オレはヒカルが好きなだけで男とか女とか関係ない」

きっぱり言ってゴンゾウはヒカルの目を見つめる。

ヒカルは少しだけ戸惑った様子を見せて目を逸らした。

「……それさ、前から思ってるけど具体的にぼくとどうなりたいわけ?」

「ちゅーしたりとかしたい。えろいことも」

即答するゴンゾウ。

ヒカルはううっ、と小さく唸る。

苦りきった顔をしていた。

「何だよー。イヤなのかよー」

口を尖らすゴンゾウにヒカルは跳ね除けるように手をひらひらと振る。

「イヤに決まってんじゃないか」

「何でだよー」

「……あのね? 木下」

ふと神妙な顔になったヒカルにゴンゾウも思わずしっかり座りなおす。

「なんだ」

ヒカルは少し顔を伏せて言葉を探していたようだが、思い切ったように顔を上げた。

「正直ね。木下の気持ちは嬉しいんだ。男でも女でも関係ないっていうの」

それは本当に嬉しい、と繰り返すヒカル。

「でもぼくは男と付き合うってのは抵抗あるんだ。……木下と遊ぶのは楽しいんだけど」

「……うむ」

何やら大事な話をしているな、と気づいたゴンゾウは静かに頷く。

「友達じゃ駄目なのかなぁ? もう今のままでもいいじゃないか」

訴えるような口調にヒカルの目をゴンゾウは見つめ、しばらく考える素振りをした。

それからゆっくりと口を開く。

「ずっと今のままでもいい、と思わなくもない」

「だったら……」

だが、とゴンゾウはヒカルの言葉を遮る。

「オレは我慢できなくなる時がある。多い。だから素直に迫ってるのだ」

「そんな正直な……」

泣きそうな顔になるヒカルの肩をゴンゾウは突然ぐいと掴んだ。

「ななな何を」

慌てふためくヒカルだがゴンゾウは珍しく落ち着いた顔をしていた。

ゴンゾウは優しく言った。

「ヒカルは今のままでいい。オレも今のまま迫らせてもらうが、イヤなら存分に抵抗してくれ。

オレはヒカルの気持ちがオレに向くのを待ってる」

ヒカルは驚いた様子でゴンゾウの顔を見ていたが、すぐに俯いてしまう。

「たぶん変わらないと思うよ」

意外ときっぱり言うので少したじろぐゴンゾウだが、平静を装った。

「それでも待ってる」

なんかオレ格好こと言ってるぞ、とゴンゾウは自分に惚れ惚れする。

ヒカルは結構長い間、俯いていたがやがて顔を上げた。

晴れ晴れとした笑顔だった。

「それだったら、まぁいいかな。好きなだけ待ってるがいいよ」

ゴンゾウが見た中でもベスト10に食い込む笑顔だった。

薄っぺらい平常心があっさりと限界を迎える。

肩を掴んでいた手をするすると腰にまわし、ヒカルの身を引き寄せた。

「ちょ、ちょっと」

「イヤなら存分に抵抗してくれ」

さっきの台詞を繰り返すゴンゾウ。

ヒカルは手足をじたばたさせながら叫んだ。

「抵抗できるかー!」

「わははは!今夜は寝かさないぜぇ!」

高笑いしながらヒカルを組み伏せる。

そのときにヒカルの浴衣が少し乱れたりしたのでゴンゾウはもう最高にテンションが上がる。

「いただきま……」

「そこまでー!」

浴衣に手を伸ばそうとしていたゴンゾウの身体が吹っ飛ぶ。

ごろごろと畳の上を転がった後、素早く身を起こしてゴンゾウは突然の乱入者に目を向けた。

「妹さんか!」

ヒロミだった。

腕を組んで仁王立ちをしている。

いきなりゴンゾウに跳び蹴りをかましたらしい。

「さっきから覗いてたけど!それ以上は私が許しません!」

無理矢理とかダメ! と鼻息荒く言うヒロミ。

ゴンゾウが入り口を見ると白木一家が揃って覗きをしていた。

「なんてこったい」

「ゴンゾウ君は情熱的で見てて楽しいなぁ。おまえ」

「そうねぇ」

ダイとワカコにいたってはお茶を啜りながら覗いていた。

ノボルもいたが、どうでも良さげに欠伸をしながらゴンゾウに言った。

「まぁせめてヒロちゃんの目の届かないとこでハッスルしてくださいよ」

ヒカルを襲うこと自体はそれほど気にならない様子である。

ヒロミがプラトニックで清い関係について語るのを聞き流しながら身を起こしたヒロミに向き直る。

ゴンゾウは悔しげに唸りながら宣言した。

「いつか絶対に友達以上になってやるからな!」

ヒカルは何も言わずにアッカンベーと舌を出す。

目が笑っていたのがゴンゾウにはとても嬉しかった。

やっぱりヒカル以外は考えられんな、と思いながらヒロミに座布団で叩かれるゴンゾウだった。

「聞いてるんですかっ」

「もうほっとこうぜヒロちゃん……」


『そうだハワイに行こう』に戻る。




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