ヒカルは愛車のモペット(注1)にまたがって会場に向っていた。
今日はノボルとヒロミの学校の体育祭があるのだ。
さすがに体育祭までは見に行く気はなかったのだが、どういうわけかは知らないが今年はノボルと
ヒロミの学校が共催して体育祭を開くらしい。
お嬢様、お坊ちゃま学校とスポーツ推薦があるような硬派な学校がどういう経緯でそんなことに
なったのかは非常に疑問ではあるが、面白そうなので見学しに行くことにしたのだった。
会場が見えてきた。郊外にあるグラウンドがそうだ。
人がちらほらと増えてきたので、エンジンを切りペダルをこいで間を抜ける。
ヘルメットを脱ぎながら周りを見渡すと屋台もいくつか出ている。ほとんどお祭り状態の様子。
「思ったより人いるなぁ・・・。木下に場所取り頼んどいて正解だったよ」
駐輪所にモペットを停めて、サイドバックから重箱を取り出す。
今日は気合を入れて皆の弁当を作ってきたのだ。我ながら主婦みたいだな、と思いながらも
重箱を抱えてゴンゾウを探し始めた。
きょろきょろとゴンゾウを探していると、自分を呼ぶ声が聞こえた。
誰かと思って声のしたほうを向くとグラウンドから手を振っているマコの姿が見える。
ちなみにヒカルはグラウンドと柵で区切られた客席側を歩いていた。
「ヒカルさーん、お久しぶり!今日はヒロミとノボルくんの応援ですか?」
ヒカルは両手で抱えている重箱を掲げて見せた。
「そうだよ。弁当たくさん作ってきたから良かったら食べに来てね」
「はーい、ぜひぜひ行かせてもらいますよ!」
元気よく答えるマコにヒカルは尋ねた。
「ところで木下見なかった?場所取り頼んだんだけど見当たらなくてさ」
「木下さんはあそこで陣取ってますよ。グラウンド側からは良く見えます」
ヒカルがマコの指差す方に視線を向けると、ゴンゾウが広々とシートを敷いて場所を取っていた。
ちょっと取りすぎなくらいで、周りの客が少し迷惑そうな顔をしている。
しかし、どっかり腕を組んで座っているゴンゾウが妙な迫力を出しているせいで誰も文句を
言えないようだ。ちょっとマナーは悪い感じもするけど、場所は広いに越したことはない。
ヒカルはゴンゾウに近づいて声をかけた。
「木下、場所取りありがと」
ゴンゾウはヒカルの声に瞳を輝かせて振り向いた。
「おお!遅いぞヒカル!オレは昨日の夜から忍び込んで場所を取っていたというのに」
「頑張りすぎ・・・でもサンキューだ」
突っ込みつつも素直に礼を言うヒカル。靴を脱いでシートに上がり、木下の隣りに腰を下ろす。
ヒカルは重箱を脇に置きながら言った。
「おお、なかなか良い場所じゃん。木下でかしたぞ」
「だろ?じゃあ見返りに膝枕でもしてもらうとするか」
そう言いつつヒカルの膝に手を伸ばそうとするゴンゾウの手を叩くヒカル。
「やだよ、気持ち悪い。でも頑張ったからご褒美はあげようかな」
重箱を開け、そのうちの一箱をゴンゾウの前に差し出す。
「ぼくの手作りのお菓子の数々だ。これ食べながら観戦してよう」
「おお!これは良い!良いな!」
目を輝かせて喜ぶゴンゾウ。重箱の中にはスウィートポテトにラングドシャ、パウンドケーキに
ミルキーシフォンなどが詰まっていた。どうやらヒカルは洋菓子が好みらしい。
お菓子をぱくつきながら待っていると入場行進が始まった。
東門からはヒロミの通う学校の生徒が、西門からはノボルの通う学校の生徒が入場する。
ヒカルの席の間を通ったとき、ヒロミはこっそり手を振ってきたがノボルは照れくさいのか
気付いてないのか無反応だった。
開会式の様子は割愛して競技に入る。
せっかく合同でやるのだから変わった競技でもやるのかと思いきや、普通に100M走などから
始まった。遠目で眺めていると、マサキが出場していた。
始まる前にアナウンスが流れる。
『これから競技が行われますが、飛び入りで参加したい方がいらっしゃれば奮ってご参加ください。
高校生なんぞには負けんぞ!という熱い心を持った方は誰でも大歓迎でございます』
「マコちゃんじゃないか・・・放送委員だったのか」
「面白いな、オレちょっと参加してくるぜ」
ゴンゾウは乗り気になったようで立ち上がる。
「ゴンゾウ君はお若いですのぉ。体力へっぽこなワシはここで見学しているのじゃ」
ヒカルはふざけた口調で手をへらへらと振る。
「・・・そのゴンゾウ君って呼び方いいな。今度からそう呼んでくれよ」
「ヤダよ。行くならさっさと行って来なさい」
「ちぇっ。まぁいい、オレの格好いいところを見せ付けてやるからしっかり見てろよ!」
「はいはい」
生徒が集まっているトラック。
100M走に向けて軽く準備運動をしていたマサキは目の前に現れた人物を見て腰を抜かしかけた。
「なんだ。テメェも出るのか、ガキ」
横柄な物言い。全身から滲み出る自信。二枚目だが目つきが悪い。
マサキの最も苦手な人物のゴンゾウだった。
「ききき木下さん!なんでココに!?」
「兄妹の活躍を見に来たヒカルについてきたんだよ。で、ついでに参加しようと思ってな」
そう言いながらスニーカーの靴紐も結びなおしているゴンゾウ。
結び終わると顔を上げて言った。
「オレはヒカルに良いトコを見せなければならんのでな。ガキどもには負けてられん・・・覚悟しな」
マサキは思った。
俺はレース中に殺されるかもしれん。
『さぁさぁ最初の競技が始まりますよぉ。第一の競技は男子100M走!さぁこのレースどうなると
思います?解説の白木さん』
それを自分の席で聞いていたヒカルはお茶を吹いた。
「解説って・・・どんな体育祭なんだ」
『そうですね・・・。うちの学校の男子は良い意味でも悪い意味でも育ちがいいですからね。
それに対して相手はスポーツ推薦もある学校ですから。結果は見えているような気もします』
自分の兄がお茶を吹いているとも知らずに淡々を解説するヒロミ。
『まぁそうですね。私としては少しは良い勝負になるといいなーって思うんですけど。
・・・あ、そうこうしているうちにレースが始まりますよ!』
マサキとゴンゾウ、あとは名も無き生徒たちが配置に着く。
よりによって自分の隣りに並んでいるゴンゾウにマサキは冷や汗をかいていた。
走ってる途中で首根っこ捕まれたりしないだろうか・・・。
隣りをちらりと盗み見てみる。
ゴンゾウは頭が悪そうに見えるくらい爽やかな笑顔で客席に手を振っている。
視線の先を追ってみるとヒカルがお菓子をぱくついていた。
「ヒカルさんじゃないっすかー!」
思わず声をかけると、ヒカルは微笑みながら手を振ってきてくれた。
何かやる気でてきたなぁ。
意気込みを取り戻したマサキの肩にゴンゾウが手を置いた。
「ガキ・・・ヒカルに色目使ってんじゃねぇぞ?」
「そそそんなことしてませんよ!も、もうすぐ始まりますから並びましょうよ、ね?」
意気込みを失ったマサキは青い顔をしながら配置に戻る。
ゴンゾウは周りに嫌なプレッシャーを与えながら配置に着いた。
体育教師が耳を塞ぎ、銃を構え、撃つ。
乾いた音が辺りに響き、競技が始まった。
マサキは必死に走りながら思った。
確かに俺は走るのは専門じゃないさ。
でも体育に時間で100M走測ったときなんかはそこら辺の陸上部よりは速いんだ。
それなのに、それなのに・・・!
目の前にはゴンゾウの背中がある。しかも遥か前方に。
ゴンゾウは両手をあげながらゴール・イン。
ぶっちぎりだった。
とことこと二位になったマサキは悪くない順位なのに敗北感で満たされていた。
一位と書かれた旗を係員に渡され、客席に向って腕を掲げる。
ヒカルは普通にぱちぱちと拍手してゴンゾウの勝利に祝福している。
マサキはゲンナリしながらゴンゾウに話し掛けた。
「ゴンゾウさん、何でそんな速いんすか・・・」
「はっ、俺は下手に技術のいらんことなら大体こなせるぜ?」
説明になっていない。
『おーっとコレは困った!一般参加のお客さんの・・・木下ゴンゾウさんが勝ってしまいました!
これでは両校共にあまりポイントが貰えません!情けないぞ!うちのひょろい男子はともかく
スポーツ推薦とかしてる学校!』
マコの気合の入った実況に両側の高校の男子たちは「うるせー!」「ほっとけ!」などと騒いでいる。
『ぶっちぎりでしたからね。見てて少し清々しかったです。まぁ次の競技に期待ということで』
『そうですね!・・・おっと?今入った情報によると木下さんは受付で参加できる全ての競技に
エントリーしたようです!これはどうなってしまうのかー!?』
『木下さん、元気ですね・・・』
「すまん・・・」
席に戻ってきたマサキの肩をノボルは叩いた。
「おつかれ。まぁ気を落とすな。あの人は前々から良い体つきをしてるとは思ってたんだ」
「今たまたまタイム計ってたんだけど・・・タ、タイムがな?」
「みなまで言うな。聞きたくない」
震えながらストップウォッチを差し出す同じクラスの男子を制し、ノボルは拳を固めた。
「短距離系は勝てんかもしれんが、あの人もたぶん人の子だ。中盤には疲れてくるだろうから
それまで耐えればいい」
「あの人にそんな常識が通じるだろうか・・・」
「たとえ!」
弱気ながらあり得そうなことを言うマサキの言葉を吹き飛ばす勢いでノボルはクラスの皆に向って
言い放つ。
「あの人が超人だろうが!最後に最も得点が稼げる
『大逆転☆ちきちき殺人レース@医者と看護婦の準備はありますよ』
には俺が出る。スタミナなら誰にも負けない自信がある」
頼もしいノボルの言葉にクラスは沸いた。
ノボルは遠くの客席を睨みつける。
その視線の先にはまだお菓子をぱくついているヒカルと次に備えてストレッチをするゴンゾウの
姿があった。
負けない・・・!
拳を再び固く握り締めるノボル。
体育会系のイベントには燃える男なのであった。
睨まれてることに気付いていないヒカルの席。
「どーよヒカル!?俺の活躍見た?見てたか!?」
「あーもぉ。見てたってば。木下速いなー」
鼻息荒く迫ってくるゴンゾウをヒカルはおざなりな口調で褒める。
「だろ!?よーし、次も気合入れてくぜ!」
それでも十分満足したゴンゾウは腕をぶんぶか振りながらグラウンドに去っていった。
「あんなに動けるなんて・・・男って羨ましいな」
それを見送りながら小さく呟くヒカル。
胸に手をあてて僅かな膨らみをなぞり、ため息をつく。
「こんなの身体じゃなかったらな。もっとぼくも・・・」
ちょっぴりアンニョイな気分に浸っていたヒカルのズボンの中で携帯電話が震えた。
気を取り直して携帯を取り出す。
そこに表示されている名前を見て少し驚いた。
「もしもし父さん?・・・え、何?・・・今からこっちに来るって?母さんも一緒?・・・そう。
うん、分かった。待ってるよ、じゃ」
携帯を耳から離し、ヒカルは空を仰いだ。
「父さんと母さんが来るのか・・・。騒がしくなりそうだなぁ」
突き抜けるような青い空。
体育祭はまだ始まったばかりだ。
(注1)電気自転車をさらに一回り太くしたくらいの感じの原付。
ペダルが付いていて、エンジンを切れば自転車のようにこいで進める。
街で乗るのにはかなり使い勝手が良い。
『その二』に続く。