とある街に、少々変わった体質を持っている少年がいた。
その体質とは、ありとあらゆるモノやイキモノと会話が出来るというものだ。
また、それだけではなく彼の周りに他人がいなければモノなどは自分の意思で動くこともある。
彼にとって世界はざわめきで満ちており、静かな場所など存在しない。
無音という感覚も味わったことがない彼なので、少々騒がしかろうが、普通に眠ることができる。
そんな彼が眠る部屋では、様々なモノたちが今夜も会話に花を咲かせていた。
(お月さまがとってもキレイな夜なのにゃあ)
(そうねぇ……)
その中で、彼に飼われている猫と、彼に使われているシャーペンが窓際に置かれた机の上で佇んでいた。
少年さえ近くにいれば、普通のイキモノとモノ同士が会話することも可能なのである。
この一匹と一本は、少年の体質のおかげで生物と無生物の間で友情を築けていた。
(こういう夜は祈るのにゃ。月に願いをってやつなのにゃあ)
猫は大きな瞳をいっぱいに広げて月を見つめている。
その小さな足の付近に転がっているシャーペンは猫の可愛らしい行動に和んで微笑む。
(ふふ。願い事ってなんなのよ?)
(もちろんネコマタになれるように祈ってるのにゃ)
猫は胸を逸らし、得意げな様子だ。
(そのためにはとっても長生きしないといけないのにゃ。だから今は長生きできるように祈ってるのにゃ)
(……はぁ)
一途な猫に感心しつつも、シャーペンは少し呆れた様子だ。
(私にはその感覚がわからないわね。生まれたままの姿で生きていけばいいのに)
(生きるには夢も必要なんですにゃあ。祈るだけでも楽しいのにゃあ)
(そうなのかしらねぇ……)
猫の言葉に、シャーペンも月に意識を向けてみる。
実に見事な満月だった。
これほど見事な月ならば、確かに願いの一つも叶えてくれそうな気もしてくる。
(まぁ、願うだけならタダだしね?)
(そーいうことにゃあ。意味があるとか無いとかそういうことはどうでもいいのにゃ)
(意味が無いことは無いよ。叶えられる願いなら叶えてあげるよ)
一匹と一本の会話に、突然別の声が加わってきた。
聞き覚えのない声に、猫とシャーペンは顔を見合わせる。
(今のは誰の声にゃ?)
(聞き慣れない声ね?)
部屋の中を見回しても、その声の主は見当たらない。
(こっち向いてこっち)
謎の声が再び声をかけてくる。
猫とシャーペンは声のした方に意識を向けるが、視線の先にあるものは夜空に浮かぶ月一つ。
(……って、まさか)
何かに気付いたらしいシャーペンは青ざめたような雰囲気になる。
(何のことにゃ? どうしたのにゃ?)
よくわからない猫は事情が知りたくておろおろしている。
(覚悟はいいかな)
(か、覚悟って)
シャーペンが戸惑った声を上げるが、謎の声は気にする様子もない。
(この声はどっから聞こえてくるのにゃー)
声の出所がまだわからない猫はひたすら困っている。
(この声は……信じられないけど……たぶん……)
(それ)
シャーペンの声を遮るように、謎の声は軽く掛け声を一つ。
その瞬間、強烈な光が猫とシャーペンに降り注いだ。
(にゃあああああ!?)
(きゃあああああ!?)
何事かと他のモノたちも騒ぎ出すが、光の奔流は止まらない。
周りのモノから見れば、光の柱の中に猫とシャーペンが溶け消えたように見えていた。
「……うるさい」
この騒ぎに部屋の主である少年がようやく目を覚ました。
いくら騒がしいことに慣れているとは言え、猫とシャーペンの悲鳴はさすがに煩かったようだ。
もそもそと身を起こし、寝ぼけ眼で悲鳴の聞こえた方に視線をやる。
窓際に置いた机の上に何やら人影が二つ。
眉をひそめ、目を凝らす。
部屋が暗くてよく見えないが、両親は留守にしているのでこの家に少年以外の人間がいるのはおかしい。
泥棒か、と警戒した少年は掛け布団の中に手を差し入れた。
「先生、頼みます」
呟きながら掛け布団の中から手を抜く。
(おお、久々に出番)
その手には抜き身の日本刀が握られていた。
単体でも物の怪の類と化しているこの刀と少年の体質。
その二つを組み合わせることにより、影を通していつでもどこでも刀を召還することが出来るのであった。
機会がないので普段はあまり呼び出さないのだが、今回のような緊急事態だと話が別だ。
「泥棒さんたちよ。大人しくお縄に付くなら痛い目には合わなくて済むぜ」
少年はふらりと立ち上がりながら人影に声をかける。
(こちらとしては大人しくしてくれない方がありがたいがの)
くつくつと笑いながら、妖刀は暗がりの中で不自然な輝きを見せている。
そもそも暗がりの中なのに輝いているという時点で十分不自然なのだが。
二つの人影は戸惑った様子で身を寄せ合っていたが、その片方が不審な動きを見せた。
身を屈めると、物凄い勢いでこちらに跳びかかってきたのだ。
無謀な行動に少年は舌打ちする。
「先生。出来れば峰打ちで」
(保証はできんなぁ。手元が狂うかもしれんなぁ)
妖刀に釘を刺したが、明らかに信用できない言葉が返ってくる。
自室で刃傷沙汰が起こるのは嫌だなぁ、呼ばなきゃよかったか。
などと少年が後悔している間にも、手の中の妖刀は刃を閃かせ……。
「ダメ! ダメよ!! 斬らないで!」
机の上に残っていた人影が悲痛な叫びをあげた。
それに意表を突かれた少年は妖刀の柄から手を離してしまった。
(お、おおう)
急に支えを失った妖刀は間抜けな声を漏らしつつ、床に転げ落ちる。
そうしている間に、少年は跳びかかってきた人影に体当たりを喰らい、押し倒されてしまった。
少年を押し倒した人影は思いっきり顔を近づけると。
……ぺろぺろと少年の顔を舐め始めた。
「何だ何だ何なんだ」
「最高にゃ! 最高なのにゃ!」
戸惑う少年を置いてけぼりで、少年の上に乗ったまま人影は感無量といった様子で顔を舐め続ける。
密着されて顔がよく見えるようになったが、その人影は少年にはまったく見覚えの無い少女だった。
不意を突かれすぎて抵抗もできずに黙って顔を舐められていると。
「こ、こらこら! アンタ何してんのよ!」
もう一つ人影も机から降りて近寄ってきた。
声から察するに、こちらも若い女のようだ。
ずかずかと歩み寄ってくると、押し倒した体勢のままの少女を引き剥がしてくれた。
「喜びを全身で味わってたのにゃあ」
「今、自分がどういう状態なのか自覚しなさいって」
騒がしいやり取りをしている二人の少女。
少年は無言のまま、部屋の明かりを付ける。
明るくなった部屋の中で、少年の前にはやはり見知らぬ少女が二人。
何故か少年と同じパジャマを着ている少女と、少年の通っている高校の制服を着ている少女。
(何と。曲者はオナゴか。オナゴはちょっと斬れ……いやそれもアリかもしれんの)
物騒な葛藤をした上に、危険な結論を出した妖刀に少年はとりあえず布団を被せる。
「先生、またね」
(出番はもう終わりかっ……)
妖刀は切ない声を漏らしつつ、どこかへと消えていってしまった。
少年はしばし少女たちを眉をひそめつつ眺めた後、ぽつりと言った。
「お前ら……シャーペンと猫か?」
その言葉を聞いたパジャマ姿の少女は顔を輝かせて喜んだ。
「その通りにゃ! さっすがダンナにゃ。説明なんていらないんにゃね」
はしゃぎながら少年の胸に跳び込んでくる元猫少女。
「いや、説明は欲しいが……」
抱きとめて、猫だった頃のように喉を撫でてやる。
気持ちよさそうに目を細めている元猫を眺めつつ、元シャーペンに訊ねた。
「何があったか説明してくれるか? シャーペン」
「何でアタシに訊くのよ」
元シャーペンは何故かふてくされた様子だ。
「明らかにお前の方がしっかりしてるからな。こいつ相手では話にならん」
えらい言われようの元猫だが、気にせずごろごろ甘えている。
「そ、そこまで言うなら仕方ないわね。じゃあ説明するわよ」
何故か赤面している元シャーペンは、簡単に事情を教えてくれた。
かくかくしかじか。
「要するに月からビームみたいなのが出て、気が付いていたら人型になっていたと」
布団の上に腰を下ろし、膝に元猫を抱いている少年はうんざりした様子でうめく。
「そういうこと」
向かいに座っている元シャーペンも同じくうんざりしているようだった。
「お月さんにまで俺の体質が及んだっていうか、お月さんは元々喋れるんだろうな。きっと」
その点に関しては少し関心した模様。
「月光を集中照射されて、何で人間の姿になっちゃったのかしら」
「数十年分の月光で照らされたから、猫又や九十九神になるのに十分な力が手に入ったんじゃないか」
月の光は魔力を帯びてるっていうしな、と少年は続ける。
「だからっていきなり人間の姿に……」
「力の行き所が無いから、無意識のうちに人型になったんだろ。人に化けるのって力消耗しそうだし」
窓ガラスなんかも浴びてるだろうが、あいつらは何で平気なんだろうな、と少し不思議そうな少年。
少年の解釈に元シャーペンはため息を一つ。
「まぁ……なっちゃったものは仕方ないわね。それよりこれからどうするか考えないと」
「だな」
「念願のネコマタになれたのにゃあ。幸せにゃあ。たまらんにゃあ」
ぐりぐりと自分の頬を少年の顔に押し付けている元猫だけが呑気にしていた。
そして夜が明けて。
少年はリビングにてごろごろとソファーに寝転がりながら新聞を読んでいた。
ときおり眠たげに欠伸をしつつ、非常にまったりとした時間をすごしている。
何しろ今日は土曜日。
学校もない上に、両親も昨日から温泉旅行にでかけていて留守にしている。
月曜の朝まで帰ってこないので優雅なものだ。
「んー……」
少年は寝転がったまま伸びをする。
「いい日だなぁ」
「何か考えることはないワケ? この状況に」
いらいらした口調で少年を見下ろす元シャーペン。
腰に手をあてて目を吊り上げている。
全体的に美人と言ってもいい容姿なのだが、いささか鋭い雰囲気なのは目つきのせいだろう。
「と、言われてもな。俺にはどうしようもないしな」
これからどうしようか昨夜は少し悩んだが、一晩明けてしまうと何だかどうでもよくなってしまった。
もうなるようにしかならないだろうと達観してしまっている。
「そうそ。悩んでも仕方ないのにゃあ」
どうでもよさげな意見に同調するのは、先ほどから少年にべったりと抱きついている元猫。
昨夜から今現在に至るまで、片時も少年から離れてはいない。
くりくりした大きな瞳が特徴的な少女になってしまった元猫は、リラックスしているのか舌が出しっぱなしになっていた。
そのせいか可愛いらしくも頭が悪そうに見える。
「アンタもあんまりベタベタするんじゃないわよ。コイツだって年頃の男なんだから。何されるかわかったもんじゃないわ」
「むしろ望むところだにゃあ。せっかくニンゲンになれたんだし、子作りに励みたいのにゃあ」
「何言ってんのアンタは……!」
まだまだイラついた様子の元シャーペンは出しっぱなしの元猫の舌を摘んで引っ張る。
「うにゃにゃにゃにゃ」
舌を引っ張られた元猫は涙目になりつつ、少年から引き剥がされてしまう。
「何をするのにゃー」
「うっさい。もっと真面目に生きろってんのよ」
「猫にマジメに生きろとはムチャを言うにゃあ」
「お前らは元気だなー」
我関せずと新聞を再び読み始めていた少年の頭を元シャーペンは軽く叩く。
「アンタはアンタで淡白すぎんのよ。少しは動揺しなさいっての」
叩かれた頭を掻きつつ、少年は新聞から顔を上げずに返事を返す。
「普段からモノや動物が喋ってるのが俺の世界。喋ってたモノが人型になったくらいで今更驚くかよ」
「さっすがダンナ。キモが座ってるのにゃあ」
少年の発言に元猫は感心した様子でまたまた抱きつきにかかる。
「開き直ってるだけにも見えるけどね……」
元シャーペンは、元の姿の時には感じなかった頭の痛みにうんざりしてくる。
結局昨夜からごろごろしているだけの少年と元猫に痺れを切らし、元シャーペンは声を張り上げた。
「ああもう! これからのことも考えないとダメでしょ! いつまでもダラダラベタベタしてんじゃないわよ!」
怒声を叩きつけると、それと同時に元シャーペンの髪から鋭いモノが大量に飛び出してきた。
それらは猛烈な勢いで少年と元猫の身体に次々と突き刺さっていく。
「いててて!?」
「にゃにゃにゃ!?」
悲鳴を上げて跳びあがる少年と元猫。
「へ? へ?」
撃ち出した本人も何が起こったが判らずに戸惑っている。
二人の背中や尻には、何か黒っぽい針状のモノが浅く刺さっていた。
「……なんだこりゃ。シャーペンの芯みたいな……何かだな」
「痛いのにゃ痛いのにゃ」
元猫は涙目で背中に刺さったモノを抜いていく。
少年も同じく抜きながら、それを眺めて感心したような声を漏らした。
「コレからは声が聞こえない……」
喋らないモノというのを珍しく見た少年はしげしげと黒い針を調べていたが、すぐにそれは煙のように掻き消えてしまった。
「消えて良かったのにゃ。抜く手間が省けたのにゃ」
無邪気に喜ぶ元猫だが、よく分からないモノを撃ち出してしまった元シャーペンは当惑した様子で髪を触っている。
少年もさすがに驚いたらしく、元シャーペンの髪を撫でる。
「何だったんだ。今の」
「私が聞きたいわよ。て、ていうかあんまり触らないでよ」
頬を僅かに赤く染めた元シャーペンに手を払われてしまった少年。
少しだけ考え込む仕草を見せたが、すぐに再びソファーに寝転がってしまった。
「まぁさすがは妖怪、ということかな」
それで話は終わってしまったらしい。
妖怪呼ばわりされて文句を言いかけた元シャーペンだったが、正にその通りなので何とも言えない。
「また針を飛ばされても困るから現状を整理するぜ」
少年は寝転がりながらだが、今の状況を簡単にまとめはじめた。
「一つ。食べる物の量は変化前と変わりはないので食費の心配はなし。シャーペンは空腹感とか感じないんだな?」
黙って頷く元シャーペン。
空腹感がどういう感覚かはわからないが、身体に不調は特に感じていないので、今のところは問題ないであろう。
「一つ。さっき気付いたが、お前らが着てる服からも声が聞こえない。ということはその服も幻みたいなものなんだろう」
なんでパジャマと制服なのかは知らんが、と続ける少年。
「たぶん私たちにとってのニンゲンの格好というものがこれだからだった思う」
スカートの裾を摘みながら元シャーペンは答えた。
なるほどね、と頷く少年。
ちなみに元猫は話が退屈なので部屋の隅で毛糸球を転がしていた。
毛糸球の悲痛な声が部屋に響いているが、みんな慣れっこなので特に気にしない。
「一つ。寝る場所は俺の部屋の押入れでいいだろ。親にさえバレなきゃ問題なし。昼間は出かけるか静かにしてろよ。というわけで話し合い終了ね」
「ちょっとちょっとちょっとちょっと」
あっさり話を終わらされて焦る元シャーペン。
「そんなんでいいワケ?」
「食費と衣服代の心配もないのに何を悩むってんだ」
軽い調子で返されてしまった。
「そりゃそうかもしれないけど。その……お、女の子二人と住むことに対して何か思うことはないの?」
「人型になっただけだろ。今までと対して変わってないぞ」
「……うーん」
少年があまりにも動じないので、もしかして大したことじゃないのかも、とさえ考え始めてしまう元シャーペン。
元猫はまだ毛糸球で遊んでいる。
気だるい様子でソファーに顔を押し付けていた少年だったが、ふと何か思いついたらしく身を起こした。
「そうだ。お前らせっかく人型になったんだし、どこかに遊びに連れてってやろうか?」
悩みはしなくても家族? サービスには気を配る少年なのであった。
「行くのにゃ行くのにゃ。遊びに行くのは大歓迎なーのにゃ!」
毛糸球を放り出して大喜びの元猫。
「そんなことしてる場合じゃないような気もするけど……まぁ今日くらい構わないわよね」
元シャーペンも満更ではない様子だ。
「よし。じゃあどこに行きたい?」
「ゆ、遊園地に行ってみたい……」
普段から持ち運ばれているので大抵の場所は行ったことのある元シャーペンだが、今の身体で体験できるモノには興味があるらしい。
「なるほど。元猫は?」
「遊園地も行きたいけど、とりあえず服屋さんに行きたいのにゃあ」
「ほぉ」
意外な発言に少年は少し驚く。
「ニンゲンに化けれたからにはお洒落してみたいのにゃあ」
言いながら元猫は手のひらを音を立てて合わせた。
すると着ていたパジャマが一瞬陽炎のように揺らいだかと思うと、元シャーペンと同じ制服姿に変化した。
「おおー」
「な、何よソレ」
突然の超常現象に驚かされる二人。
「何というか感覚的に出来る感じなのにゃ。シャーペンさんもいろいろと試してみるといいのにゃあ」
その言い方から察するに、何故出来るかは自分でも判っていないらしい。
「非常識ねぇ」
眉をひそめる元シャーペンに、何か言いたそうな様子の少年。
しかし下手なこと口にしてまた針を飛ばされては困るので黙っておく。
「好きな服に変えられるみたいにゃから、服屋さんの服を参考にするのにゃー」
「それはいい考えね。いつまでもこの格好ってのも飽きるし」
どうやら元猫の意見に元シャーペンも賛成のようだ。
異論などあるわけもない少年はよし、と膝を叩いて立ち上がる。
「じゃあ街に出るか!」
「おー! なーのにゃー!」
「……悔しいけどちょっと楽しみだわぁ」
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