満月の夜。
とある民家の屋根の上で、二人の少女が月光浴をしていた。
真夜中だというのに制服姿で屋根の上に腰掛けている少女たち。
そして二人の間には、一振りの煌びやかな日本刀が置かれていた。
なかなか変わった光景だが、誰も見ていないので問題はない。
「良い夜なのにゃあ」
「そうねー……。風が気持ちいいわ」
少女二人がゆったりとしている中、
(ほぁぁぁ……!)
一部の人にしか聞こえない声で、日本刀が気合を入れていた。
聞こえる人にとっては結構な音量なので、片方の少女は耳を抑えて顔をしかめる。
「妖刀先生、うるさいのにゃあ」
(なんだと猫娘ッ。ワシだって人間に化けたいんのじゃ! ほっとけ!)
猫娘と呼ばれた少女のぼやきに妖刀は噛み付くような勢いで言い返した。
どうも気が立っているらしい。
(せっかくツクモガタリに頼み込んで毎晩毎晩召還してもらっているというのに! 一向に化けることが出来ん!)
ばたばたと刀身を震わせながら叫ぶ妖刀。
「先生、落ち着いてよ。焦っても仕方ないわよ、きっと」
(シャーペン、慰めてくれるのは嬉しいがの。ワシはお主らが羨ましくてたまらんのだ……!)
「うーん……」
何とも言えず、渋い表情を浮かべるシャーペン娘。
気持ちはわかる。
妖刀の何分の一も生きていないシャーペンたちがひょっこり化けれるようになった。
なのに、自分はいくら頑張っても化けられないというのは相当悔しいだろう。
「どうしたものかしらねぇ……」
「……うーるーさーいー……」
シャーペン娘が悩んでいるところに、突然別に声が割り込んできた。
一同が声がした方に顔を向けると、そこにはパジャマ姿の少年が宙に浮かんでいた。
不機嫌そうな顔をして腕を組み、ふわふわと浮かんでいる。
「パジャマ、ご苦労さん」
(お安い御用ですよん)
パジャマに一声かけて屋根の上に降り立つと、少女たちと妖刀の前に腰掛ける。
「ダンナもなかなか妖怪じみてたのにゃあ」
「バカ言え。俺が本気だしゃこんなもんじゃねぇっつの」
眠たいのか実に不機嫌そうである。
「それより。毎晩毎晩やかましいぞ、妖刀先生。あんまり騒ぐなら博物館に帰ってもらうよ」
(意地悪を言うでないぞ、ツクモガタリ! ワシだって辛いのじゃ)
情けない声で反論する妖刀だが、寝不足で苛立つ少年は短気だった。
「だいたい化けられないって? そんなのちょっと刺激与えたら一発だっての」
(へ?)
「ちょっと来てみ!」
乱暴な手つきで妖刀を掴むと、強引に鞘から引き抜いた。
(ああ、ご無体な!)
「ダンナ、何をする気なのにゃあ」
「先生だって頑張ってるんだから苛めてあげちゃ可哀想よー」
「うるさい。黙って見てろ」
妖怪二人の意見は聞かず、少年は妖刀の抜き身の刀身を握りこんだ。
日本刀というものは引かなければ斬れないものなので、この時点では大丈夫である。
(ツ、ツクモガタリ。そこを触ると危ないぞ)
「先生。妖刀がさらに力を得たかったら、することは一つだとは思わないか?」
(な、なんじゃ?)
「血を、吸うんだよ」
少年はそう言い切ると、刀身を握りこんだ手を軽く引いた。
掌から血が流れ、妖刀に伝っていく。
「うーわ。痛そうなのにゃ」
「アンタ何やってんのよ! 痛くないの!?」
「痛いよ」
心配そうな二人の声に少年は素直な感想を漏らす。
「さて。どんな感じだ? 妖刀先生」
顔をしかめて切れてしまった掌を見つめながら、少年は妖刀に声をかけた。
(お、おおおお……)
しかし妖刀先生はそれには答えず、かたかたと身を震わせている。
刀身に流れた少年の血は、刃の中に見る見るうちに染み込んでいった。
完全に血を飲み込んでしまうと、刃の煌きがさらに増す。
「おおー。先生からすんごいパゥワーを感じるのにゃあ」
「そういうの感じるの? 私全然わかんないんだけど」
「適当言ってるだけにゃ」
「それより妖刀先生ってば光ってんなー。遮光しないと近所迷惑かも」
緊張感のないギャラリーに囲まれつつも、妖刀はさらに輝いていく。
そして一瞬、強烈な光に包まれ、本体が見えなくなったかと思うと。
「……は、ははは」
先ほどまで妖刀が転がっていた場所に、一人の女性が立っていた。
動きやすそうな着流しを身にまとい、長く艶やかな髪はちょん髷のようなポニーテールのような格好で纏められている。
自分の身体を見下ろして、確認するようにその場でくるりと回ってみると。
「……あは」
一気に表情を崩し。
「やった。……やったぁぁ! 人間に化けられたぁ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ね、大はしゃぎする妖刀先生であった。
近所迷惑になるので、とりあえず少年の部屋に戻った一同。
そこで妖刀は手鏡を覗き込み、うっとりと自分の顔を眺めている。
「はぁ……。良い。実に良いのぉ」
ほぅ、とため息を一つ。
「オナゴの姿なのは少々気に食わんが、見慣れればなかなかのもんだの」
主人公よりやや年上の、18、19程の年齢の女性の姿になった妖刀先生は、先ほどから鏡を見たり柔軟体操をしたりと落ち着きがない。
「良かったなぁ先生」
布団の上に胡座をかき、自分の膝を枕に寝ている猫娘の頭を撫でてやりながら、少年は眠たげに妖刀を眺めている。
そして机に腰掛け、この光景を眺めてシャーペン娘は、
「ここはどこのハーレムよ……」
などと呟いていた。
「さて先生よ。今夜はもう遅いから無理だけど、どこか行きたい場所とかあるか? 連れてってやるぞ」
「悪人狩り!」
即答する妖刀。
「この前、通り魔をやっつけたじゃろ? あの時の快感が忘れられなくての。是非またやりたい」
「駄目とは言わないけど、悪人とそうそう出くわせるわけじゃないからなー」
ばりばりと頭を掻く少年。
「ま、明日は夜の散歩でもしようぜ。今夜はもう寝る」
言いながら少年は猫娘を脇にどかすと、布団の中に潜り込む。
「うむ。おやすみだの」
妖刀も壁に胡座をかいてもたれ掛かり、目を閉じた。
「あれ。先生って眠れるの?」
不思議そうな声を漏らすシャーペンに、妖刀は少し得意げに答える。
「ふふ。長生きしとるからの。経験から眠ることを覚えたのじゃ。……そうじゃないと暇でのぉ」
「先生、苦労してたのね……」
ぐるっと巡って次の日の夜。
夜の帳が訪れて、通りに人気もなくなってきた頃。
妖刀先生は昨夜からずっと人型のまま、窓の外を眺めてそわそわとしていた。
「そろそろかのぅ……まだかのぅ」
「んー。ちょっと待って」
面倒くさそうに部屋着から着替える少年。
簡単な身支度を終えると、ぱんっと軽く顔を叩き。
「うし。行こうか」
「うむ! 待ちかねたぞ!」
顔を綻ばせて、妖刀は少年の手を握り締めた。
きらきらと輝く瞳と、握り締められた手を交互に見つつ、少年は怪訝な顔だ。
「わざわざ手を繋がなくても。もう一人で歩けるだろ?」
「ふふん。何か勘違いしとるようだの」
にやりと口元を歪めると、妖刀は少年の手を引きつつ、押入れの戸を開けた。
中は当然、暗い。
「何だよ。出かけるんじゃないのか」
「出かけるんじゃよ。……ここからな!」
妖刀は少年を力いっぱい引き寄せつつ、押入れの中に飛び込んだ。
「おおお?」
不意を突かれ、一緒に押入れの中に引きずり込まれる少年。
結構な勢いだったので、押入れの中に叩きつけられそうになる。
「……おお!?」
と思いきや。
暗く、影になっている箇所に身体がずぶずぶと沈んでいく。
沼の中に沈みこむような感触に、思わず顔をしかめてしまう。
「何だ。何だコレは」
「ふっふっふ。昼間いろいろと試してみたのだがの。どうやらワシは自分以外のモノも連れて影を渡れるようになったらしい」
くつくつと笑いながら、妖刀はひたすら得意げだ。
「安心しろ。昼間散々シャーペンと猫で練習したからの。どこでもいけるぞい」
「あー……。だから出かけるってのにアイツら静かだったのか」
ぐったりとしていた二人? の姿を思い出し、少々気の毒になる。
そうこうしているうちに胸の辺りまで身が沈んでいる。
「靴を履いていないことだけ不満だが、まぁいいや。じゃあとりあえず駅前のコンビニでも行くか。……出来るか?」
「余裕だの」
完全に闇の中に沈んでしまうと、視界は暗転し、立ちくらみにも似た感覚に襲われた。
「ほい。あっという間に到着だのっと」
「……ここは」
少年が次に目を開けたとき、そこは自分の部屋ではなく、どこかの裏路地だった。
路地から顔を出して、辺りの様子を見る。
「おお、駅前だ」
「ふふん。大したもんじゃろ?」
ふんぞり返る妖刀の肩に手を置きつつ、少年は酷く感心して言った。
「いや凄い。これは凄い。便利すぎるぜ、妖刀先生」
「じゃろじゃろ?」
「うん。是非毎朝の通学時にもお世話になりたいもんだ」
「構わん……と言いたいところだがの。ワシもその時間帯は博物館に居ないと不味いんでのぉ」
「えー」
などと雑談しつつ、表通りに出る。
「この近くのコンビニに最近タチの悪いのがたむろしてるとか何とか学校で聞いたんだ」
「ほぉ」
「俺はあまり人目につきたくないんで、思う存分暴れてくるといいよ」
先生なら警察に捕まる心配もないし、と言いつつ少年は目の前の建物を指した。
目的のコンビニである。
期待通りに、そこには五、六人の若者が群れて騒いでいた。
しかし近所迷惑ではあるだろうが、別に悪さをしているわけではない。
強いて言うなら、明らかに未成年なのに深夜にうろついていることくらいだろうか。
「早速退治してこようかの」
「ちょっと待って。アイツらは別に退治するほどのもんじゃないだろ。悪いのが来るまで少し待とう」
「えー。別に良いではないか」
「人型時にはもっと分別持とうぜ。コンビニの中で立ち読みでもして時間潰そう」
「仕方ないのぉ」
ぶつぶつ言いながらも大人しく従う妖刀。
二人連れ添ってコンビニに向かう。
そして群れている若者たちの前を横切ろうとすると。
「ちょっとそこ姉ちゃん。俺らと遊ぼうぜー」
若者の一人が声をかけてきた。
「そんな男ほっといて俺らと遊ぼうや。今からカラオケでも行こうって話してたんだよ」
「そそそ。姉ちゃんみたいな美人さん居たら盛り上がるしよ。遊んでくんない?」
そうなのである。
妖刀先生は、もともと本体が鑑賞用の刀なせいか、人型時にはえらく容姿の整った女性の姿になっていた。
そこにいるだけで場が華やかになるような美しさを持っている。
「ふふ」
ナンパされた妖刀は若者たちに向かってにっこりと微笑む。
思わず鼻の下を伸ばす彼らを正面に、ぽつりと呟く。
「……やって良いかの?」
「おっけー」
気の毒そうな表情を浮かべつつ、少年は投げやりに許可を出した。
「ではでは」
嬉しげに妖刀は左右の手を大きく振った。
掌が怪しげに輝いたかと思うと、次の瞬間、両手に刀が握られていた。
右手に小太刀、左手に大太刀。
妖刀先生の本体である刀である。
目を剥いて愕然としている若者たちを前に、ゆったりと構えを取る。
「ワシに勝てば、どこへでも付き合ってやるぞ?」
挑発的な笑みを浮かべる妖刀を見て、若者たちは真っ青になりながら顔を見合わせると。
「「ひ、人殺しー!」」
悲鳴を上げて逃げていってしまった。
無理もない話だ。
ナンパした女に刀を突きつけられて、それに立ち向かおうなどと普通考えないであろう。
刀を構えた状態のまま、ぽつんと取り残される妖刀。
少年がため息を吐きながらその肩に手を乗せた。
「とりあえず刀しまって」
呆然とした表情のまま、両手の刀を振る。
刀は一瞬輝くとどこかへと消えてしまった。
「あー。もうこんな時間か。明日も学校あるし、今日はもう帰ろうぜ」
「そんな!?」
あんまりじゃー! と喚き立てる妖刀を少年は無言で裏路地へと引きずり込む。
ガラス越しに見えた店員の顔が、非常に迷惑そうな表情だったからである。
「ううう。楽しみにしてたんだがのぅ。もっと骨のある悪党はおらんのか」
「骨があったらそもそも悪党にならないんじゃないか」
ていうか、としょんぼりしている妖刀を眺めながら、少年。
「もう自分で歩けるし、瞬間移動まで出来るし。博物館から出てきて適当に夜な夜なうろつけば?」
「それがそうもいかなくての……」
その辺の小石を爪先で突付きつつ、妖刀は嘆く。
「昼間、そうしようと思ったんだがの。どうもお主と離れるとあまり力が出ないようなんじゃ」
「へぇ」
「正直に言うと、昼間にもこの辺りまで来たんだがの。刀を出せても重くて構えることも出来んかったわ」
「シャーペンたちはそんなことないみたいだから……。変化する時に俺の血を吸ったせいかな」
「恐らく、そうだの」
だから! とそこで語気を強め、きりりとした表情を少年に向ける。
「悪党と遭遇するまで! ツクモガタリ、付き合ってもらうぞ!」
「断る!」
かっと目を見開き、負けじと強い口調で断言する少年。
「何故断るのじゃ!」
「毎晩こんなことやってたら寝不足になるだろ!」
睨み合う二人。
ばちばちと視線が絡み合い、一種即発といった風である。
少しの間、二人はそうしていたが。
「……うう」
先に目を逸らしたのは妖刀であった。
妖怪のくせにあまり喧嘩慣れしていないので、案外プレッシャーに弱いのである。
「……せめて、せめてだの」
「何だ」
「週末くらいは付き合って欲しいのぅ……」
妖刀としてはかなり譲歩しているつもりなのだが、少年はまだ渋い顔をしている。
月一回とか……もしくは一切付き合わないとか言われたらどうしよう、などと思いながら返事を待つ妖刀。
少年は露骨に嫌そうな顔をしながら答えた。
「週末くらいなら……まぁいいかな。……いいかなぁ?」
まだまだ嫌そうだ。
何で夜中に徘徊しなきゃいけないんだよ、というオーラを全身から振り撒いている。
「ツクモガタリ……後生……後生じゃから」
かなり必死に頼み込む妖刀に、苦りきった表情を浮かべていた少年もさすがに折れた。
「わかった。わかったよ。週に約一回。それくらいなら付き合ってもいいぞ」
「約一回とな」
「付き合わない週もあるかもってことだ」
「ううう……。わかった」
がっくりと肩を落とす妖刀。
「まぁそうがっかりすんなって。自力で歩けるんだからヒマ潰しは出来るんだし」
「戦いたいんだがのー……」
「平和な趣味でも見つけることだな。先生は手入れさえすりゃ死ぬほど長生きなんだから」
「そうかのぉ……」
すっかりやる気のなくなった妖刀。
瞬間移動する気力もないというので、駅前から二人してとぼとぼと歩いて家路に着いた。
結局チンピラ一人倒すことの出来なかった妖刀と。
靴も無しに外を歩かされている少年。
テンションの低い二人は、天上に輝く月を見上げることもなく。
会話もせずに、俯き加減に歩いていくのであった。
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