そこは、とある殺伐としたバーである。
どれくらい殺伐としているかというと、入り口のガラス戸から入店して数歩歩いた所に地雷や落し穴が幾つもあって、一見さんはまず一瞬で命を落としてしまうくらいに殺伐っている。
まあ道に面したガラス戸が血で染まって中が見えないあたり、一般人が入ってくることはないと思われるので、本当にこの店で亡くなった方はまだいない。多分。
その店内では今日も爆音やら拳銃の発射音やら悲鳴やらが鳴り響いている。
しかし、奥の方に固まっている集団がやけに真剣な顔で、戦闘も行わずに静かにグラスを傾けつつ、何かの会議をしていた。
「皆さん…今日は行けるんじゃないですか?」
紅茶に大量の砂糖をぶち込みながら喋る、紺色のダッフルコートを着込んだ高校生くらいの男。彼の名はremuという。この近辺で雑誌拾いをして学費を貯めているとかいないとか。
「ふむ…確かに。今日は最大の障害たるバーテンダーが居ませんからね」
そう言って店内自販機で買ったお○いお茶を啜っているのは、響。
長い前髪を顔の左側に寄せて、鬼○郎のような外見をしてはいるが、声から辛うじて女性だと判別できる。少し前まではアンケート調査員をやっていたらしいが、最近ファーストフードショップに就職が決まったらしい。
このバーの常連にしてはまともな職業につけたものだと周囲の人間には驚かれているところだ。
「この店で未だに一人しか成し遂げていないことですが…」
自称十台後半、しかし子供料金で電車に乗る男、ラインがウォッカの入ったグラスを揺らす。その肩にはデッキブラシが掛けられている。さっきまで彼は店内露天風呂の清掃係をやらされていたらしい。
一見一般人だが、彼もこの店の常連である。なにか特殊な能力を持っているに違いない。
「やってみる価値はあるかも、ですね」
玖亜というヒモ稼業をやっている男が、どこから取り出したのかハルバートと呼ばれる槍の手入れをし始めた。中性的な容姿をした輩が全体的に黒っぽい服を着こんで、人殺しの道具をいじっている様は、なかなか恐ろしいものがある。
「しかしねえ…死人がでますよ?」
そう言いながら拳をぽきぽき鳴らしている20代前半の男、魅季がにやりと笑って言う。
彼は先手必勝が座右の銘の自称平和主義者である。
こそ泥を生業としていたが、このバーに通い始めてからはここで働くのが第一希望らしい。変な奴もいたものだが、ここではちょっとくらい変でないと生き残れないので、誰も気にすることはない。
「そんなこと言って…やる気満々じゃないですか」
そう言ってホットミルクを一気呑みする春光。
その後、喉を火傷したらしくしばらく机の下にもぐった。
彼はいつも妙な超能力で数々の常連客を強烈な下痢にしている。おかげでつい最近まで清掃中だったトイレはいつも血みどろの争いを味わわなくては入れなくなっているのだが、彼はその事についてはいつも涼しい顔をしている。
「ふふん。…皆さん、いいんですね?後悔しませんね?」
そう言って楽しげに笑うremu。彼が今回の発案者である。
「ええ」
「やりますか!」
「今日こそ!」
「必ず!」
「この店からっ!」
――――飲み逃げを、成功させるッ!!―――――
酒場のサイドストーリー
〜飲み逃げろ、生き残れ〜
その1
「まず、状況を整理しましょう」
新たにホットミルクを注ぎながら、喋る春光。
いきなり発案者のremuがこの酒場名物の丸投げを行ったため、一番常連として年季の入った彼がリーダー的なポジションに就くことになったのだ。
「現在われわれの位置は店内最奥、裏口のすぐ前です。まず、飲み逃げとしてはこちらは絶対に使えません」
「何故です?」ラインが尋ねる。
「あっちから行ける世界には飲み逃げ犯の九十九が居るからですよ」響がそれに答えた。
「あ、そうか、バーテンダーはそいつを捕まえに行ったんだったっけ」
「そう。だからあちらから出ては本末転倒。最大の敵、フォードさんの居る方に行っては話になりません」と、春光が続ける。
「となると、店内を通り抜け、正面入り口から脱出するより他に方法はありません。しかし今我々がいるこのテーブルと入り口には…そうですね、ざっと…歩いて30歩、といったところでしょうか、中々の距離があります。そしてその道には…」
と、そこまで春光が言ったのを遮って、
「…アケミさん二世、落し穴、地雷、その他フォードさんが秘密裏に置いたであろう飲み逃げ食い逃げ防止トラップ達がある?」と、玖亜が静かに言った。
「そう。様々なトラップそして怪物。これらをどうにかしない事には飲み逃げどころか、店から出ることもままなりません…はい、remuさん?」
手を上げていたremuが言う。
「マスター…あかかマスターはどうします?」
「ああ…それなら…怨パワー、発動」
さっ、とマスターの方に向かって掌を向けて念を込める春光。
すると、マスターが居るカウンター内部に、大量の香ばしいシイタケが雪崩のように現れた。
マスター、突然の天敵襲来。
悲鳴を上げることすらできずに、マスターはその場に崩れ落ちた。
「ああ…なるほど…」
「しかも焼きシイタケ…」
黙って6人は手を合わせた。
「さて」
そしてすぐに気持ちを切り換えた。
「…行けますか?」
と言う、春光の問いに、
「…いや、どうだろう」
「…やっぱり、ちょっとしんどいですねぇ」
「…大変かも」
と、口々にこたえるメンバー。
しかし、
「…やめます?」
「「「「「やります」」」」」
皆やる気はバッチリだった。
かくして別に金に困っているわけでもない、彼ら6人の飲み逃げ計画は幕を開けたのだった。
すすむ