月曜日。


ヒロミの朝はとくに早くない。

部屋の中で賑やかに鳴り響く目覚し時計の電子音。掛け布団に包まっていたヒロミは、もぞもぞと
手を伸ばし目覚まし時計を叩く。

時間は七時。

ヒロミの通う学校は家から歩いて通える距離なので、今から起きて身支度すれば余裕を持って
登校できる。しかしヒロミは眠かった。休み明けというものはダルイダルイ。

あと五分だけ寝ちゃおう。

そう思ったヒロミが枕に顔を埋めようとしたとき、部屋のドアがノックされた。

「ヒロちゃん、俺もう行くけど遅れないようにな」

ノボルだ。彼は毎日早朝練習があるので、この時間には家を出る。

そのついでに、兄姉たちを起こしていくのが彼の日課だ。

「・・・はーい、いってらっしゃい」

ヒロミは呻くような声でノボルに答えると、諦めて身を起こした。

部屋を出て、顔を洗いに廊下を歩くときにヒカルの部屋の前を通るのだが、月曜日のこの時間帯は
寝ていて部屋から出てくることはない。朝が辛いという理由でヒカルは月曜は午前の授業を
とっていないのだ。

顔を洗って朝食をとる。両親がいつものように出張で留守なので、自分で用意しなければならない。

面倒くさいのでバナナと牛乳で済ます。

適当に髪を整え、家を出る。

朝の空気は新鮮だとか感じることもなく、ぺったらぺったら歩くうちに学校に着いた。

教室に入り、鞄を置こうとしたときに机に落書きされているのに気が付いた。

貧乏人だとか、身の程しらずだとか色々書かれてあった。

この学校は結構なお坊ちゃま、お嬢様学校なので別に名家でも何でもない出身のヒロミに
絡んでくる生徒は多かった。成績が良くて、それに見合う高校に両親が少し無理をして通わせて
くれているだけなのに、この待遇はヒロミは少し悲しかった。

周りを見渡すと、にやにやしながらこちらを伺っている女の子たち三人組がいた。

証拠はないが、彼女たちがやったのは間違いなさそうだ。

ヒロミはため息を一つ吐くと、つかつかと彼女たちに歩み寄った。

リーダーらしき少女がヒロミに突っかかってきた。

「あら白木さん?何の用かしら。ワタクシあまり庶民の方に近寄らないで欲しいのですけど」

絵に描いたようなお嬢様の彼女の名は西園寺。下の名前は忘れたが、まったくベタな苗字だと
ヒロミは常々思っている。ヒロミは西園寺の胸座を掴んだ。

「な、何ですの!?」

「西園寺さんを放しなさいよ!」

「この野蛮人!何するのよ!」

色めき立つ取り巻きは気にせずに、ヒロミは西園寺に平手打ちを食らわせた。

「っつ!よくも・・・あぁっ!」

平手打ちを食らわせた。食らわせた。食らわせた。食らわせた。

「や・・・やめて・・・!」

食らわせた。食らわせた。食らわせた。食らわせた。

「ちょっとちょっと!長い長いってば!」

「西園寺さんの顔が変わっちゃうよ!」

食らわせた。食らわせた。食らわせた。

「すいませんすいません落書きしたのはワタクシです、消すから許してください・・・」

そう言って西園寺が泣いて謝るまで合計27発ほどの平手打ちを必要とした。

「わかればいいのよ。まったく朝から無駄な体力使わせないでよね、
手が痛くなっちゃったじゃない。」

「・・・くっ、覚えてなさいよ」

西園寺が取り巻きに手伝って貰いながら机を拭いているときに、思わずそう呟いた。

「まったく面倒臭いわねー」

ヒロミは再び西園寺に近寄ると平手打ちを・・・。



担任が来て、出席をとり始める。さきほどの喧騒が嘘のように穏やかなHRだった。

「西園寺ー」

「・・・はい」

「何でそんな頬が腫れてるんだ?オタフク風邪か?」

「・・・気にしないでくださいまし」

クラスメイトは何も言わない。というか先ほどのような騒ぎは週に三回は起こるので
今さら誰も気にしないのだ。やられ役の西園寺たちも、ヒロミの報復が早く終わるようにと
落書きなどは水性ペンでやることにしている。

それなら最初からやらなければいいのにとクラスメイトの誰もが思うし、忠告するものも
大勢いるのだが、西園寺はワタクシには意地があると言って聞かないのだ。

現在ヒロミたちは二年生。一年のときからの長い戦いの日々に終わる気配はない。


ヒロミは授業はあまり真面目に聞かない。

文型の授業は寝て過ごし、理系の授業はうとうとと過ごす。

基本的にヒロミにとって学校は寝るところなのだ。

そんなヒロミを先生たちはよく当てる。この難関進学校で呑気に寝ているのは彼女くらいだからだ。

「白木!・・・白木!ここの問題解いてみろ!」

ヒロミを目の仇にしている数学教師が黒板を叩きながら怒鳴る。ヒロミがだるそうに顔を起こして
黒板の問題をしばし読んで、一言。

「わかりません」

さっきまで寝てたのに急に当てられて解るはずがなかった。

「ほら見ろ!ちゃんと聞いとかんか!」

「はい・・・」

「はい!ワタクシ解けましたわ!」

小学生のごとく張り切って手を挙げたのは西園寺。ヒロミをライバル視しているので少しでも
勝りたいのだ。教師に当てられ、すらすらと問題を解く。完璧な解答に教師は絶賛する。

「まぁこれくらい当然ですわ」

得意げにヒロミの席に視線を送るが、ヒロミは再び夢の中にいた。まるで相手にされていない。

こんなヒロミだが本番のテストでは、かなり上位に食い込んでいる。

彼女は一夜漬けが物凄く得意なのであった。数学の複雑な公式ですら前日だけで暗記する彼女に
普段から頑張ってやっと一位の座に着いている西園寺には彼女をいじめたい要素は多いのだった。


昼休みは隣りのクラスのマコと一緒に昼食を食べ、午後の授業も適当に寝て過ごし、一日の授業が
終わるとヒロミはさっさと学校を出た。

まっすぐバイト先に向うヒロミに、いつも途中までついてくるマコは色々と誘いを掛ける。

「帰りにゲームセンター寄ってかない?」

「バイトあるから」

「じゃあ駅前行ってナンパでもされに行こう」

「バイトあるから」

「新しく可愛い小物があるお店が出来たんだって。見に行こうよ」

「バイトあるから」

ヒロミは取り付く島もない。マコは頬を膨らます。

「もぉ!バイトバイトってそればっかり!たまには遊んでよ」

「金曜日まで待ってって言ってるじゃない。金曜だけはバイト入れてないんだから」

「金曜以外にも遊んでよ〜」

ヒロミにしな垂れかかるマコ。彼女はこの学校には友達が少ない。

お嬢様ばかりなこの学校の女生徒たちとはどうも気が合わないのだ。

「ダメだってば」

マコには悪いがヒロミにとってバイトは最優先事項。構ってなどいられない。

そうこうしているうちにバイト先のファーストフード店に着いた。

「それじゃ。仕事してくるね」

「うぅ、まったく金曜が待ち遠しいわ・・・」

店の前でマコと別れ、制服に着替えて同僚たちと軽く挨拶を交わしてレジに立つ。

人通りの多い道にある店なので客の数は結構多い。

次々と来店する客の注文を聞き取りレジを叩く。もうここのバイトも長いので手元など見ずに
淡々と仕事をこなす。接客業だと色々な客が来る。目も合わそうとしない男性客。おつりを
受け取るときにわざわざ手を握ろうとする野郎。やたら態度のデカイおばさん。

最初の頃はいちいち腹を立てていたが、今は気にもならない。

良い意味で機械になるのが仕事の極意ではないかとヒロミは思っている。

そんなことを考えながら仕事をしていると小学五年生くらいの男の子たち4人組みがレジに並んできた。

完璧に極めた営業スマイルで対応する。

「いらっしゃいませ!ご注文は何にいたしますか?」

男の子たちは何故かにやにやしている。

「お客様?」

「スマイルひとつ・・・お持ち帰りで!」

男の子たちの一人が言い放った言葉に店内はどよめいた。誰もが一度は言ってみたいと思ったこと
ぐらいはある言葉を彼らは言ってしまったのだ。

他の店員たちはタチの悪い子供達に顔をしかめている。

しかしヒロミは慌てない。むしろこのような状況を待ち望んでいたくらいである。

一度言われてみたかったのだ。

そしてこういう客に言ってみたかった言葉がある。

「アイスとホット、どちらにいたしますか?」

再びどよめく店内。これには男の子たちも驚いた。変なことを頼まれて困るお姉さん、というものを
みたくて言ってみたのに真顔で返されてしまった。

「え・・・と、じゃホットで」

「サイズのほう、L、M、Sとありますが。どれになさいますか?」

「う・・・。せっかくだからL、で」

いったい彼女はどうするつもりなのか。もう店中の客や店員がこのやり取りに注目していた。

「かしこまりました。少々お待ちください」

ヒロミは店の奥に引っ込んでいった。男の子たちはそわそわしながら待っている。

ほかの客や店員たちは自分の用事をしながらチラチラと様子を伺っていた。

そしてヒロミが店の奥から出てきた。その手にポロライドカメラを持って、店長も呼んできたようだ。

「お待たせいたしました。・・・店長これお願いします」

ヒロミはカメラを店長に渡すと、レジから出て男の子たちの側に周った。

「ささ、お客さま。真ん中に寄ってくださいな」

男の子たちはよくわからないまま寄せられた。その中心にヒロミが入る。

「じゃ店長お願いします」

「よくわからんが任せろ。では撮るぞー」

カメラを構え、ヒロミと男の子たちを撮る。

「ちぇき」

びし、とポースを決め満面の笑顔のヒロミ。男の子たちも戸惑いながらも適当にVサインをした。

「よーし良く取れた。・・・出てきた出てきた。ほらよ、ヒロミちゃん」

「ありがとうございました、店長」

ヒロミは写真を受け取るとそれを男の子たちに手渡す。

「お待たせいたしました。スマイル、ホットのLサイズでございます」

男の子たちが写真を除き込むと、そこには確かに暖かい感じの笑顔をしたヒロミとマヌケ面の
自分たちが映っていた。男の子たちの一人が思わず敗北宣言をしてしまった。

「すいません・・・俺らが悪かったです」

「いえいえ。またの挑戦、いつでもお受けいたします」

すごすごと帰っていく男の子たち。店内の客たちはしきりに感心していた。

「そうか、そういう手があったか」

「でも普通実行しねぇよなぁ」

「度胸のあるお嬢さんだわー」

視線を感じる中、ヒロミは悠然とレジに戻る。

「良く分からんが、良くやったぞヒロミちゃん」

状況をさっぱり把握していない店長もヒロミを褒め称える。


負けない女。彼女を知る者は彼女をそう呼ぶ。




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