「ヒカルに嫌われてからのオレは荒れたもんだったよ・・・。もうヒカルに会いに行けない
鬱憤をその辺のチンピラを意味もなく叩きのめして廻ったり、よその学校に殴り込みに
行ったり・・・そんなことで晴らしていた」
「はた迷惑ですね・・・」
「そんな日々が何ヶ月が続いたんだが・・・。」
「さぞかし治安が悪くなったでしょうね」
「そう、忘れもしない、あの雨の日・・・。あの日の出来事がなければオレは今ごろヤクザにで
なってたかもしれん」
台風の影響で連日の大雨。そのせいで道路はどこもかしこも水浸しで氾濫した川もあると
いうことだった。
今も雨は降っているが、傘をさす気になれないゴンゾウは陰鬱な気分で街を歩いていた。
道の横を流れる川を見ると、だいぶ水かさが増していて危険なほどに流れが速くなっていた。
見るともなしに流れを眺めながら川に沿って歩いていると、川にかかっている橋の辺りに人だかりが
出来ていた。
「子供が川に落ちたぞ!」
「誰かレスキュー呼べ!」
「ロープ持って来いロープ!!」
穏やかでない怒鳴り声が耳に入ってくる。野次馬たちの視線の先を見てみると、確かに
小学生くらいの子供が川に落ちていて、川の真ん中に突き出た岩に必死で掴まっていた。
ま、レスキュー呼んだみたいだしオレには関係ないわな。
ゴンゾウはそう思って黙って通り過ぎようとした。
そのとき。
「お嬢ちゃん無茶だ!やめとけ!」
「レスキュー呼んだからそれまで待つんだ!」
野次馬のどよめきに振り向いてみると、なんとヒカルが橋の手すりの上に立ち、飛び込もうと
していた。
「大丈夫です!泳ぎは苦手じゃないですから!それに待ってる間に流されたらどうするんですか!」
「でもそんな小さい身体じゃ無理そう・・・」
「小さいとか言わない!しょわっち!」
ヒカルは気合一発、川に飛び込んだ。ゴンゾウが慌てて手すりから身を乗り出して
川を覗き込むと、ヒカルはもう子供のところまで泳いだところだった。
「おー、あの嬢ちゃんやるなぁ」
「中学生くらいか?将来が楽しみだな」
ギャラリーはヒカルにやけに感心する。ちなみにヒカルは高校3年生で18歳だ。
ゴンゾウもほっとしていると、ヒカルが手を差し伸べた子供ががむしゃらにしがみ付いてきて、
なかなか苦戦しているようだった。
「嬢ちゃん頑張れー!」
「今ロープ用意するからなー!」
ギャラリーはやんややんやと声援を送るがゴンゾウは気が気でない。
ヒカルは何とか子供を抱いて岸に戻ろうとするが、子供が暴れすぎてなかなか進めないでいた。
少しずつ流されてきてしまっている。前に進んではいるのだが・・・。
「あーもう!見てられるかぁぁ!!」
もう堪らなくなったゴンゾウは上着を脱ぎ捨て、川に飛び込んだ。
あっという間にヒカルのところまで泳ぎ着く。
「大丈夫かヒカル!手を貸すぜ!」
「き、木下!?」
ヒカルはゴンゾウの突然の登場に驚いているが、ゴンゾウは構わずヒカルから子供を引ったくり、
空いたほうの手でヒカルを抱えて泳ぎだした。
「ちょっ、・・・助かるよ木下」
素直に感謝するヒカルに内心感涙しながらもゴンゾウはぐいぐい泳ぎ、岸までたどり着いた。
ギャラリーが用意してくれたロープにまず子供を括りつけ、持ち上げさせる。
「お、お姉ちゃん。お兄ちゃんありがとう・・・」
ぐったりしながらも子供は弱々しくヒカルとゴンゾウに感謝の笑顔を向ける。
「助かってよかったね」
「おう、気にすんな」
二人もそれに笑顔で返す。ゴンゾウはにやにやしながら言った。
「お姉ちゃんだってよ」
言ってからしまった、と思った。オレにはもうヒカルに話し掛ける資格は無いのに・・・。
「もういいよ、別にどうでも・・・」
しかしヒカルは疲れたように返事しただけで、特に不機嫌な様子は見せない。
「それより早く上がろう。いくら夏だからって風邪引いちゃうよ」
「お、おう」
二人が下げられてきたロープを掴もうとしたとき、ヒカルはゴンゾウに向って叫んだ。
「あぁ!ゴンゾウ危ない、伏せて!」
「んん?」
思わずゴンゾウがヒカルの視線の先を振り向くと、目の前にどこからか流されてきたドラム缶が
迫っていた。避けられるはずもなく。
辺りに景気のいい音が鳴り響いた。
「き、木下ぁぁ!」
薄れ行く意識の中、ヒカルの声だけがやけにはっきりと聞こえていた・・・。
気がつくと一面の花畑の中をゴンゾウは彷徨っていた。
「ここはいったい・・・?オレはさっきまで川に浸かっていたはずなのに」
ドラム缶が顔面に直撃したことを思い出すゴンゾウ。
はっ、これはもしや臨死体験ってやつか?
そういえば川が目の前を流れている。さっさと戻らないと危なさそうだ。
川とは逆のほうに走ろうとするゴンゾウに川の向こうから誰かが声をかけてきた。
「ゴンゾウー!」
小学生のときに死んだ祖父のキンゾウだった。
「おー!爺ちゃんじゃないかー!」
思わず川の対岸に向って走ろうとするゴンゾウを祖父は怒鳴りつけた。
「馬鹿もん!こっちに来るでない!」
「いたっ!わ、わかったから石投げんなっ。痛い!死ぬ!」
赤ん坊の頭くらいの石をぶんぶか投げつけてくる祖父にゴンゾウは頭を抱えて距離をとる。
「早く目覚めんと死んでしまうぞ」
「今のでも死ぬかと思ったがな・・・」
「それにな・・・」
祖父は何だか妙に下世話な表情になった。
「今目覚めるといいタイミングだぞ?」
「いいタイミング・・・?」
「まぁいいから。生き返れ」
祖父はそういってゴンゾウにゴリラの頭ほどの大きさの石を投げつける。
「ぐはぁ」
今度は直撃。ゴンゾウは再び意識が薄れゆくのは感じた。
目を開けると、眼前にヒカルの顔が会った。というか唇がヒカルに塞がれている。
「ん、気がついたか」
ゴンゾウが目覚めたのに気付くと、ヒカルはゆっくりと唇を離し、身を起こした。
「まったく運の悪いやつだね。ぼくがノボルに人工呼吸のやり方教えてもらってなかったら
今ごろ死んでたよ」
やれやれ、と肩をすくめるヒカル。ゴンゾウは唇を抑え、わなわなと震えた。
「ひ、ヒカル・・・」
「感謝しろよー?ていうか上に引っ張りあげるのが大変だっ・・・」
「ちゅーしてくれたのかぁぁぁ」
物凄い勢いでヒカルに抱きつくゴンゾウ。
「ちゅ、ちゅーとか言うな!助けに来てくれた借りを返しただけだっ」
「その気持ちが嬉しいんだぁぁぁ」
「じゃあ気持ちだけで満足しろぉぉぉ」
ヒカルはゴンゾウを蹴たぐり倒して立ち上がる。
「・・・まぁ、あんたはいい奴なんだってことはわかったよ」
そういってヒカルはゴンゾウに手を差し出す。
「ヒカル・・・」
「やっぱり恋人にはなってあげられないけど、友達としてならやり直そうか、ゴンゾウ?」
ぼろぼろと涙を流しながらヒカルの手をとるゴンゾウ。
「泣くなよー」
「・・・やっぱり好きだぁぁぁ」
「うわっ」
手をとった勢いでヒカルを再び押し倒すゴンゾウ。
「お、お前のそういうところが嫌いなんだよ!この!」
「ぎゃあぁぁ」
噛み千切らんばかりばかり勢いでゴンゾウの肩に噛み付くヒカル。
そのまま一気にゴンゾウから距離をとると、ヒカルは走り去りながら叫んだ。
「とりあえず!ぼくはバカは嫌いなんだ!もう少し賢くなったら話くらいは聞いてやるよーだ!」
「ヒカルぅ・・・」
置いていかれたゴンゾウだが、その胸には一つの決心が固まっていた。
そして季節は巡り、桜の咲く季節。
とある大学のキャンパスで、うきうきと歩くヒカルの姿をゴンゾウは見つけた。今日は入学式なのだ。
いつもよりオシャレをして、おそらく無意識だろうがスキップしている。
その目の前に立ちふさがるゴンゾウ。
「お、木下じゃ〜ん♪どした?こんなとこで」
ご機嫌なヒカルはにこにことゴンゾウに駆け寄る。ゴンゾウは無言でヒカルに手に持ったものを
突き出した。
「ん、何だこれ・・・って!」
「そう、この大学の合格届けだ。今日からオレもこの大学の学生だぜ」
ヒカルは戦慄しながらゴンゾウに尋ねる。
「い、いくら払ったんだ?裏口とかよくないぞ」
「違う、自力だ。人間やれば出来るもんだな」
「・・・はぁぁぁ」
感心するのを通り越して呆れ果てるヒカル。
「まぁこれでオレも馬鹿ではないわな」
「そだね・・・」
「これで心置きなくヒカルを口説けるわけだ」
「・・・だっしゅ!」
「あ、逃げるなよヒカル!話くらいは聞くって言っただろ!」
キャンパス内で追っ掛けっこを始める二人。この大学名物のコンビが誕生した記念すべき日であった。
「・・・とまぁ、そんな感じで今の日々が始まったわけなんだよ」
「はー。いろいろあったんですね」
「オレがヒカルに惚れるのも分かるだろ?」
「わからないでもないですけどね。兄さんってば見事ないい女っぷりだわ」
「話してたらヒカルに会いたくなってきたぜ。今から行こっかなー」
「今日はもう遅いから勘弁してくださいよ。ほらもうこんな時間」
ゴンゾウに腕時計を見せるヒロミ。
「おぉ、もうこんな時間か。長話して悪かったな」
「いえいえ面白かったです。今度兄さんと私のエピソードでも聞かせてあげますよ」
「そんなもんあるのか?」
「私と兄さんにもいろいろ会ったんですよ・・・」
先ほどのゴンゾウのように遠い目をするヒロミ。しかしすぐに元に戻ると自分のぶんの代金を
テーブルの上に置いて立ち上がった。
「じゃ、兄さんが晩御飯作って待ってますから」
「おう、バイバイ」
「バイバイっ」
店を出て、少し歩いたところでヒロミは口の中で小さく呟いた。
「木下さん本当に兄さんのこと好きなのね・・・。兄さんの体質がバレたら凄いことに
なりそうだわ・・・」
そんなことにならないように月に祈るヒロミであった。
・・・でも時間の問題かも。