「五万でどう?」
「……何が?」
ここは、とあるお嬢様お坊ちゃま高校。
ヒロミの通う学校である。
今は昼休みで、彼女は友人のマコと、友人かどうかは微妙なカオルと一緒に中庭で昼食を取っていた。
そこに二人組の男子生徒が突然話し掛けてきたのだった。
「いやさ」
片割れがにやにやとしながら口を開く。
「白木さんってアルバイトやってるんでしょ?」
「ええ、まあ」
この学び舎の生徒は金持ちばかりなので、バイトに励む彼女はやや浮いた存在として扱われている。
しかし、そのことでちょっかいをかけてくる生徒は今までいなかったので、ヒロミは訝しげな表情を浮かべた。
「だからさ」
もう片方の生徒も下卑た笑みを浮かべ、ぱっと手を広げて見せながら続けて言う。
「一人、五万くらいでどう? 足りなかったらもうちょっと出すけど?」
三人娘の中で、まず反応したのはマコであった。
男子たちの台詞の意味を即座に理解したらしく、目を吊り上げさせると二人組を睨みつけた。
「盛るなら自分の部屋で勝手にやってくれない?」
「何だよ。長谷には関係ないだろ?」
「友達をバカにされて黙ってられるような性格じゃないのよ」
軽い口調で返した男子生徒を、さらに鋭く睨みつけるマコ。
普段は比較的軽い性格の彼女にここまで本気で睨まれて、少々二人組は怯み始める。
そして少し顔を伏せて何やら考え込んでいたカオルだったが、男子たちの言葉の意味がやっと分かったらしい。
火がついたような勢いで顔を真っ赤にさせた。
「ふふふふ……不潔! 不潔ですわ! 何を言ってるんですの! あなたたちは!」
手にしていたお弁当用ミニフォークを逆手に握ると、二人組に向かって振り上げ。
「躾がなってないですわぁぁ!」
ぐしっと頭の天辺に付きたてた。
「いってぇぇぇぇ!?」
喰らった二人の片割れは悲鳴を上げて刺された箇所を抑えた。
「だ、だいじょ……ったぁぁぁ!」
声をかけようとしたもう片方の男子も、続けて悲鳴を上げた。
カオルに倣ってマコが箸を太股に付きたてたのである。
刺さりこそしなかったが、なかなか痛かったらしい。
突かれた場所を抑えて慌てて後退る。
「冗談! 冗談だよ!」
「そ、そうそう」
「いいからもう消えて。今、すぐに」
「ワワワワタクシはまだ怒りが収まりませんわ! あとニ、三回は刺してくれるのですの!」
怒りに震えるマコとカオルに恐れをなして、二人組はそそくさと立ち去っていった。
「まったく……バカには困っちゃうわね! ヒロミ」
「下品極まりないですわー」
ぷんぷんしながら座り直すマコとカオルに、ヒロミはやんわりとした笑みを向ける。
「二人とも怒ってくれてありがとうね」
ヒロミ本人は特に怒ってもいないようである。
「ダメよー? ちゃんと怒らないと。バカは付け上がるからね」
「そうですわ。ていうかワタクシがイタズラした時は容赦無くビンタなのに……」
「だって西園寺のは何だか癇に障るんだもの」
酷いですわ……! と半分演技、半分本気で泣き崩れるカオルを尻目に、マコは心配そうだ。
「どうやら変な噂がたってるみたいね。……何か対策立てた方がいいかも!」
「別に何もしなくていいんじゃない? 私は別に気にしないし」
「ワタクシが気にしちゃいますわー。根も葉もないウワサにしてもあんまりですの」
富豪の割には小市民なところがあるカオルは、自分のことでもないのに不愉快そうである。
本人は認めたがらないであろうが、意外と友達想いなのかもしれない。
しかし、入学した時点から学校で浮いていたヒロミは平気な様子。
「まぁ、なるようになるわよ」
と、気楽に笑顔を浮かべていた。
「対策立てた方がいい思うけどなー」
「ですのー……」
「……ということがあったんだけど。私ってそんなことしてる女に見えるのかしら……」
白木家の食卓にして。
お茶碗片手に、ヒロミは暗く沈んだ表情で今日のことをヒカルとノボルに報告していた。
学校での笑顔はただの強がりだったらしい。
物凄く落ち込んだ様子であった。
俯き加減にちまちまとオカズのポークピカタを突付いている。
「まったく……その男子たちはダメだね。ヒロミのことを何もわかってない!」
その話を聞いて、ヒカルもぷんすかと怒っていた。
親の仇と言わんばかりにポークピカタをもっしゃもっしゃと力強く咀嚼している。
「義兄さん……」
ヒカルが怒ってくれたことがヒロミは素直に嬉しい。
「ヒロミが一回五万だとぅ。……安すぎる!」
がくり、と肩を落としてヒロミは脱力した。
どうもヒカルは別の意味で怒っているようだった。
「月にいくらか払って愛人として囲いたいタイプなんだよ、ヒロミは! まったくそいつらはわかってないなぁ」
「愛人やってたのは義兄さんでしょ! 私はそういうのは嫌なの!」
怒鳴られてヒカルはしょんぼりと黙り込む。
愛人だって愛があればそれなりに楽しいのに、などと呟いている。
そしてノボルは一人我関せずと白米をかっ込んでいた。
「ねぇノボル」
そんな弟に、ヒカルは話をふった。
自分が見当違いなことを言ってしまったことを誤魔化してしまいたいようである。
「何だ、兄さん」
ちゃんと口の中のものを飲み込んでから答えるノボル。
「ヒロミにアレなことしてくれるとしたら、ノボルならいくらまで出せる?」
「義兄さん……。ねぇ、怒っていい? 私怒ってもいいかしら?」
「冗談……冗談だよ……!」
ぎりぎりと箸で耳をつねられ、あうあうと涙目になるヒカル。
「んーむ」
一方ノボルはノボルで、ヒカルに質問されたことを生真面目に考え込んでいた。
「ノっくんも真面目に答えようとしないでいいから……! ていうかもし変な想像とかしてるんならやめて……」
耳をつねり上げながら、ヒロミは余計なこと言わなきゃよかったと後悔し始めていた。
ただ、何時の間にか落ち込んだ気分からは立ち直れていることには気付いていない。
ヒカルはヒカルなりに気を使っていたのだった。
「そうだなー……俺なら」
「まだ考えてたのかノボル」
「もー……」
ヒロミは困った顔をしつつも、少々ノボルの答えが気になった。
そういう仕事の相場は知らないが、安い額を言われたらちょっとショックだし、高ければ嬉しい気もする。
「ヒロちゃんを買うってことは、ヒロちゃんを貰える、とも言えるよな」
「ノボルってばロマンチックな表現をするなー」
「でも買うって表現は改めて口にされるとホント嫌ね……」
それぞれの反応は気にせず、ノボルは続ける。
「ヒロちゃんがヒロちゃんをくれるなら、俺は俺をヒロちゃんにあげないとな」
ずずっとお茶をすするノボル。
「金とか無いし。まぁ俺にそれだけの価値があるかどうかは知らんがな」
きょとんとした顔になヒカルとノボル。
しかしすぐに二人とも我に帰る。
「何それ何それ? ノボルってばもー。おっとこまえなんだからー」
にまりとした笑みを浮かべながら、きゃいきゃいとはしゃぐヒカル。
一方ヒロミは何も言えずに顔を赤くしている。
「ん? 俺なんか変なこと言ったか?」
ノボルは一人不思議そうな顔をしている。
あまり深く考えた上での発言ではなかったらしい。
「いやはや。お兄ちゃんは反対しないし、むしろ応援しますからね」
「何がだよ」
怪訝な顔をしているノボルを見ながら、ヒロミは高鳴る胸を抑えていた。
「……というわけで解決しました」
お騒がせしました、と頭を下げるヒロミ。
昼休み。
昨日に続いて中庭で取っていたヒロミ、マコ、カオル。
昨夜のことを報告し終わったヒロミに、マコとカオルはぶんぶんと首を横に振る。
「いやいやいやいや」
「別に何も解決してませんですの。……というか今の話は何ですの?」
「ノロケ? あたしたちノロケられたの?」
「義理とはいえ兄妹なのに……何だかインモラルですわー……」
やってらんないと脱力するマコとカオルを前に、ヒロミは幸せそうにお弁当を広げるのだった。
その後、しばらくヒロミに絡んでくる男子がいないでもなかったが、彼女がまるで気にした様子を見せないので。
妙な噂はマコたちが何をするでもなく、立ち消えてしまったとのことである。