最近、木下の様子がおかしい。
白木ヒカルは、彼の近頃の態度を見る度に違和感を感じていた。
何だか妙に優しい。
いや、以前から気のいいヤツではあったのだが……。
椅子に座ろうすれば、座る前に椅子を引いてくれたり。
ベンチに座ろうとすればささっと払ってくれたり。
熱いコーヒーを、ふーふーして冷ましてくれたり。
善意は嬉しいし有難いのだが、こびり付く違和感を拭いきれない。
それに、何が一番おかしいかって抱きついてこないのだ。ここ二週間ほど。
普段だったら朝、出会い頭にとりあえずハグしてきたのに。
背中に手を入れても来ないし、太股を撫でてきたりもしない。
おかしい。絶対おかしい。
「いったい何を企んでると思う? 木下のヤツめぇ。不気味だぞ」
ぼくはコタツで編物をしながら、目の前に座るヒロミに訊ねてみた。
ヒロミも同じくせっせと編物をしながら、生返事を返してくる。
「んー。わからないかな?」
「わからないよぉ」
適当な答えに口を尖らせるぼく。
なんだいなんだい。自分はわかってるとでも言いたいのかい。
毛糸を編む手をふと止め、顔を上げてぼくを見るヒロミ。
「兄さん。私たち、今なにしてる?」
へ?
「手袋編んでるけど」
「そう。そして私はマフラー編んでる。そして兄さんの方が上手だから兄さんが手袋担当なわけね?」
「そだね。ヒロミはまだそんなに複雑なモノ作れないもんね」
「悔しいけど、その通り」
ため息混じりのヒロミ。
最初はそんなもんなんだけどな。今教えてあげてる最中なんだから別に気にしなくても。
「それで。私たちは何で編物してる?」
「ノボルにあげるためだね」
何を今さら。
「何でこの時期にプレゼントなんかするの?」
そりゃあ……。
「バレンタインだからに決まってるじゃん。去年はネタに走りすぎたからね」
今年はストレートに、と付け加えるぼく。
手製のマフラーと手袋、それにちょこっと手作りチョコをつけてあげればノボルも喜んでくれることだろう。
ノボルの喜ぶ顔を思い浮かべて、思わず頬が緩む。
ヒロミはそんなぼくの顔を見て、もっかいため息を漏らす。
「……じゃ、最初の兄さんの質問に訊き返すけど。……何で木下さん、最近兄さんに優しいと思う?」
「へ……?」
言われてしばし考え込む。
優しい。木下。何か不気味。ノボル。喜ぶ。チョコ。バレンタイン。
――はっ!
「……木下、チョコ欲しいのかアイツわ!」
なるほどぉ! と、ぽんと手をつく。
「兄さん鈍いんだから……」
またまたため息をつくヒロミにぼくは手をひらひらと振ってみせる。
「だってぼくは男だよぉ? チョコを求められてるなんて思いつかないってば」
「ナチュラルに弟にチョコをあげようとする兄がどこにいますか」
何故か、じと目を送ってくるヒロミ。
何だよ何だよ。
「家族なんだからチョコくらい当然だろぉ? それに手袋はヒロミのを手伝ってるだけじゃん」
う、とヒロミは息詰まる。
「し、仕方ないじゃない。私一人じゃマフラーしか作れないんだもの」
「じゃあマフラーだけでいいじゃない」
「だってノっくんには暖かくして出かけて欲しいもの! ノっくんたら金がないとか言って自分じゃ手袋も買わないんだから」
言いながら頬を膨らませるヒロミ。
まったく人のこと言っときながら、相変わらずブラコンな娘め。
ぷりぷりしながら編物に戻る義妹を見ながら、ふとあることを思いつく。
……ふふん、木下。
チョコが欲しいんならくれてやろーじゃないか。
そして来たるはバレンタイン当日。
ぼくは木下と喫茶店でお茶していた。
周りの客はカップルが多くて、露骨にチョコのやり取りをしている様子も見られた。
その中で、目の前の木下はかなりそわそわしている。
「いやぁ。恋人の人らは見てて和むねー。胸の辺りがほんわかするよ」
どうでもいい話題を振ってみる。
「そうか? 俺は逆に胸の辺りがムカついてくるんだが。他人の幸せとかマジ興味ねぇ」
「余裕ないお人だこと」
そう言ってお茶を啜ると、木下は何やらブツブツぼやいている。
余裕なんか持てるわけないじゃねぇか、とか聞こえてきた。
ふふふ。飢えとるのぉ、木下よ。
ヒロミのおかげで木下の気持ちがわかったぼくにはかなり余裕がある。
気分は悪女って感じ。
……いや、ぼくはあくまで半端ながらもオトコノコですが。
浮かんでくる笑いを抑えながら席を立つ。
「ん。どこ行くんだヒカル」
「ちと御不浄に……」
「何だソレ?」
「……トイレだよ、トイレ」
デリカシーのないヤツめ。
まぁいいや。これから思いっきり遊んでやるんだから。
「おまたせ」
「何か遅かったなヒカル。……っておお!?」
戻ってきたぼくを見て、ゴンゾウは顎をテーブルに落とさんばかりの勢いで驚いた。
どえらいマヌケ面だ。
……くっくっく。作戦は成功といったトコだぁね。
心の中で含み笑いをしつつも、表情はあくまで微笑みを浮かべる程度に! 出来るだけ清楚な感じで!
「な、なんでセーラー服!?」
ぼくを指差し、まだ驚いている木下。
そう、今のぼくの格好はセーラー服。前のバイトの時に、持って帰っていいよ、と言われたので貰ってきたものだ。
捨てにくいし着ないし、何で貰っちゃったんだろうと後悔してたけど、今日のこの日に役に立つとはね。
普段は後ろでちょろんと縛ってる髪も下ろし、たぶん今のぼくはどこから見ても乙女だらふ。
もじもじと木下を上目遣いに見つめてみる。
「……ゴンゾウ」
戯れに名前で呼んでみちゃったり。
「ひ、ヒカル……。……押し倒していい?」
「ダメ」
いきなりかい。相変わらず己のエロスに忠実なヤツだな。
両手をわきわきさせながら腰を半ば浮かせ、いつでも立ち上がれる状態の木下。
今にも押し倒されてしまいそうなので、ぼくは背中に隠し持っていたモノをさっさと差し出した。
「これ。受け取って」
差し出したモノは我ながらかわゆく包めた小さな小箱。
「これは……! これはまさかぁ!」
周りの客の視線が集まるのも気にせずに、木下はテーブルを蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がる。
わなわなを身を震わせながら、ぼくが差し出した小箱を生卵でも触るみたいに恐る恐る受け取った。
そして受け取った瞬間、怒涛の勢いで涙をぼろぼろと流し始めた。
「お、おおう?」
ちょっとびっくりした。
「ヒカルゥゥゥゥ。俺は、俺は嬉しいぞぉぉぉぉ。こ、こんな日が来るなんて……」
小箱を抱きかかえて、おいおいと男泣きに泣く木下。
そ、そこまで喜ぶかぁ……。
ちょっと罪悪感が沸いてきたけど、計画は続行ですっ。
「……開けてみて?」
促してやると、こくこくと頷きながら木下は包装紙を破らないように丁寧に剥がしていく。
小箱も折れ曲がらないように慎重に開き、中に入っていたモノを手にとった木下は、またまた雄叫びをあげた。
「ってコレ! カレールーじゃねぇか!」
ぼくらの様子を遠目に興味深そうに見ていた周りのお客さんがずっこける。
「はい。ドーン!」
ぼくは満面の笑みを浮かべながらセーラー服のスカートを捲くりあげた。
スカートの裏には、でっかい字で「ドッキリ大成功!」と刺繍してあったり。
ちなみに下にはスパッツを穿いているので何の問題もありません。
「びっくりした? ぼくがこんな格好でチョコあげるわけないじゃーん! ぷっぷくぷーっだ!」
スカートの裏の字を見せつけながら、けたけた笑い転げるぼく。
そんなぼくと手に持ったモノを呆然と交互に見る木下。
やがてキっと視線を鋭くさせる。
あ、あれ? もしかして怒らせちゃった?
と、ちょっとぼくが焦った瞬間。
「ヒカルからのプレゼントなら何の問題もないぜ! 食っちゃる!」
叫びながら手にしたモノに齧り付く!
「な、なんてこったい!」
まさかホントに食べちゃうなんて!
齧りついた木下の動きが固まり……怪訝な様子で顔を上げた。
「……甘いんだが。そして美味いんだが」
「はい。もっかいドーン!」
ぼくはくるりとターン。
木下に背を向けて、今度はスカートの反対側を捲って見せ付ける。
そこには「ドッキリまたまた大成功!」と刺繍しているのだ。
十分に見せ付けたあと、再び木下に向き直る。
「チョコと見せかけてカレールー! ……と見せかけてやっぱりチョコ! 二重のドッキリ!」
本物のルーっぽく見せかけるために、表面のざらつきとか再現するのに苦労したけど。
「……はぁ」
この木下の呆然とした顔を見れただけで何かこう、胸がいっぱいになる感じ。
いやぁイタズラは楽しいなぁっ。
「でも用意しといて何だけど、木下ったらよく齧りついたねぇ。見かけカレールーなのに」
また涙を流しながらチョコを食べている木下はふと顔を上げた。
「ヒカルがくれるモノなら犬のウンコだって食ってみせるさ」
真剣な表情。熱い視線のオマケ付き。
こいつもこういう顔してたら美形なんだよなぁ。
あまりの真摯な態度に思わず動揺しちゃうぼく。
「き、木下……」
でもそれはどうかと思うよ。
……まぁいいか。
ぼくは木下の正面に座り直すと、テーブルに肘をついてチョコをちまちま食べる様子を眺める。
少しずつ食べてちょっとでも長持ちさせようってことなのかな。
可愛いヤツ。
ぼくは自然と浮かんできた笑みを木下に向ける。
「そんなのでよかったら、また作ったげるからさ。バクっといっちゃいなよ」
その言葉に木下は瞳を輝かせた。
「マジか!」
「まーじ」
「ヒカル……。俺は嬉しすぎて死にそうだ」
木下はほろほろ泣きながら残りのチョコを一気に口に放り込んだ。
次の瞬間、顔を真っ赤にさせる。火がついたかのよーな勢いで。
「――くわっー!」
天井に向かって怪獣みたいに雄叫びをあげる木下。
ぼくは立ち上がり、セーラー服のスーフをするっと抜き取って広げる。
そこにはやっぱり「祝! ドッキリ完全大成功!」の刺繍が。
「三段構えの必殺のワナ! ルーと見せかけてチョコ。と、見せかけて中心部に激辛濃縮カレールーが!」
呵呵と笑うぼくに構ってられる余裕はないのか、木下はのたうち回っている。
「み、水を……!」
ケンカ無敵の木下もこういうには弱いか。
こいつを倒す時は毒殺だな、と思いつつ取って置いたお冷やを差し出す。
奪い取るように受け取って、木下は必死の表情で飲み干した。
それでひとまず落ち着いたのか、はあはあ荒い息をしながらも座り直す。
「……死ぬかと思ったぜ」
「てへ。ぼくってばお茶目さんっ」
ぺろっと舌を出してウインクしてやると、木下は疲れ果てた感じで肩を落とす。
「あー……。まぁヒカルからチョコ貰えたのは間違いないからな。それで良しとするぜ」
「おお。前向きじゃん」
「……それよりだ。チョコも凝ってたが、その制服も仕込み多かったな」
言いながらしげしげとぼくの格好を見つめる木下。
ふふん。いいところに気がついた。
「コレの刺繍にも手間取ったからさぁ。ここ最近はずっと夜更かしだったよ。でも良い出来だったでしょ?」
我ながら悪びれなく木下に笑いかける。
「ああ。特にスカートの裏の字……」
お。さらにいいところに気がついたな。
ぼくは立ち上がると、嬉々としてもっかいスカートを捲り上げてみせた。
「気付いた? これって……」
「スカートの裏の字とスカートの裏地をかけた会心のダジャレだろ? 座布団一枚だな」
木下ったら見るトコ見てるじゃーん。
「でしょー?」
いやぁ、気付いてもらえると嬉しいなぁ。
にこにことぼくは木下に微笑みを送る。
木下もにこにこと微笑みを受け止めつつ、視線を少しずつ下ろしていく。
……んん?
「ヒカル……! 女の格好……! スカート……! 俺の前で捲くりあげてる……!」
な、なんか鼻息が荒くなってきたよ?
気が付くと木下の目がぎんぎらぎんにぎらついていた。
今回ばっかりは自業自得だったかも……!
慌ててスカートを下ろすも、もう遅い。
完全に理性を無くした木下は……木下は……!
「――キシャー!!」
「ぎにゃー!?」