放課後。
ノボルとマサキは部室に向かっていた。
ノボルは大きな身体をふらふらとさせておりマサキをそれをふらふらになりながら支えて歩いている。
「お、お前なノボルよ。こんな無理してまで学校来るんじゃねぇよ」
「家で寝てるのは性に合わないもんでつい……」
「てか何でそんな腹痛になってんだ? 暴れ鮫とまで呼ばれてるお前が珍しい」
「それがなぁ……」
ノボルは痛む腹を擦りながら憂鬱そうな顔をした。
「こないだバレンタインだっただろ?」
「まぁな。俺は何も貰えなかったが」
「それは知らん。で、その時の話なんだが……」
バレンタイン当日の朝。
俺は今日がバレンタインだということなど全然覚えていなかった。
基本的に水泳に関係ないことはあまり覚えられないのだ。
そんな俺がいつものように朝の早朝練習のために早起きをしていた。
寝惚け眼で顔を洗おうと洗面所に向かうと廊下で兄さんに出くわした。
怠け者の兄さんがこんな時間に起きているとは珍しい。
パジャマから着替えているので便所に起きた訳でもなさそうだ。
ツチノコでも見たような顔で兄さんを見ていると、向こうもこちらに気付いた。
実に爽やかな笑顔で話しかけてきた。
「おっはようノボル」
「おはよう兄さん。今日は何かあるのか? こんな時間に起きたりして」
兄さんはへへっと楽しそうに笑った。
「べっつにー?」
そして鼻歌を歌いながら去っていく。
まぁどうでもいいか。
俺は洗面所に入ると顔を洗い、続いて歯を磨こうと歯磨き粉を歯ブラシに付けて口に含む。
……ぶ!?
口の中に感じた違和感に思わず顔をしかめた。
甘い。
口の中が非常に甘かった。
これはチョコレートか?
チョコ味の歯磨き粉、ではない。
チョコそのものが入っていた。
何でだ。
「引っ掛かったか」
小さな声に振り向くと後ろに嬉しそうな顔をした兄さんが立っていた。
やっぱり兄さんか。
「何すんだよ」
「いや今日はバレンタインじゃない? ぼくからのキ、モ、チ」
兄さんは両手の人差し指を頬に当てて可愛らしいポーズをとる。
「どんな気持ちだ」
わざわざ昨日まで使ってた歯磨き粉のチューブに詰め替えるとは無意味に手の込んだことを。
「あははは」
兄さんは悪びれる様子もなく再び去っていった。
俺はため息を一つ吐くと新しい歯磨き粉を取り出した。
朝練を終えた俺は空いた小腹を満たそうと、家から持ってきたおにぎりを取り出した。
前の晩から作っておいてビニールに巻いて持ってくる。
これが無いと昼間でもたんのだ。
ビニールを剥がして勢いよく齧り付いた俺は次の瞬間、顔が青くなるのを感じた。
……甘い。
手に持っているおにぎりを良く見ると、チョコチップが混ぜられていた。
まったく兄さんやめてくれよ。
気持ち悪くなった口の中を整えようと、水筒に直に口を付けてあおった。
そして俺は次の瞬間胃の中身を吐くところだった。
水筒の中身もチョコだったのだ。
しかもお湯に薄く溶かしたチョコを冷やしたものだろう。
思いっきり飲んでしまった。
死ぬほど気持ち悪い。
俺は授業を少し青ざめた顔で受けつつも何とか昼休みまでは耐えた。
ヒロちゃんが作ってくれたはずの弁当の蓋を開ける。
いつもなら何も考えずにかきこむところだが、今日はそんなことは出来ない。
箸で慎重におかずをつっつく。
まずハンバーグにかけられているソースがチョコだった。
ご飯にかけられているのも海苔ではなくチョコだった。
他にもゴボウ型チョコにレンコン型チョコに……米も良く見たらホワイトチョコだった。
手が込んでいるのは間違いないな。
今度は口にせずに済んだので余裕をもって俺は感心した。
兄さんもたまに無駄な情熱を発揮することがあるなぁ。
それにしても器用だ。
俺はしみじみと結局全部チョコだった弁当箱の蓋をしめると購買にパンを買いに行くことにする。
……まだ残ってるかなぁ。
家に帰ると、まだ他には誰も帰っていなかった。
午後の授業らへんから腹が痛くなってきたので部活にいけなかったで時間もまだ早い。
ヒロちゃんはバイトで兄さんは飲み会なり何なりで遊びほうけているのだろう。
汚れ物を洗濯機に放り込んで、そのまま風呂に入る。
シャンプーなどの中身がチョコでなかったことに安堵しつつ、風呂から上がった俺は晩飯を作ろうと台所に入った。
するとテーブルの上に綺麗に包装されたハート型の物があることに気がついた。
メッセージカードもあったので手にとって読んでみる。
今日も部活お疲れ様。
でも無理して身体壊さないようにね。
これ食べて明日からも頑張って。
ヒロミより。
今日はバレンタインということで後輩たちからチョコは義理チョコをたくさん貰った。
しかし……ヒロちゃんからのチョコは……その……正直少しときめいてしまった。
義理で同じ年とはいえ兄妹相手に俺は何を、と思いつつもラッピングをとく。
さすがヒロちゃんはわかってるな。
俺が甘いものが苦手なのを知ってるから一口サイズだ。
俺は胸に暖かいものを感じながらそれを口に放り込んだ。
「……ぶほっ!?」
そして思いっきり噴き出した。
何だこれは?
塩辛いというか何というか……。
「ていうかこれ味噌か!?」
思わず口に出して驚く。
すると突然台所に兄さんとヒロちゃんが飛び込んできた。
な、何事だ?
『だーいせーいこーう!』
いえーい! とハモりながら手を叩き合う二人に俺は呆然とする。
「実はぼくと」
「私の共犯なのでしたー」
嬉しそうにはしゃぐ二人を見て俺はさすがに腹が立った。
「俺に何の恨みがあるんだってんだ……!」
「あははは」
俺に首根っこを掴まれて持ち上げられながらも陽気に笑う兄さん。
このままタンスと天井の隙間にまた突っ込んでやろうか。
と、俺が兄さんを掴んで部屋を出ようとすると、ヒロちゃんが笑顔で俺の服を掴んだ。
「待って待って」
ヒロちゃんにまで騙されたのかと思うと情けなくなってくる。
無視して兄さんを運ぼうとすると、前に回りこんできたヒロちゃんが俺に何か突き出してきた。
これまた綺麗に包装された何か。
「誕生日おめでとう、ノっくん」
……へ?
目を丸くする俺に掴まれたままの兄さんは苦笑いをした。
「やっぱり忘れてた。今日はノボルの誕生日でしょ? 」
すっかり忘れてた。
俺は兄さんから手を離す。
「あいたっ」
落ちたときに腰を打って涙目になっている兄さんは気にせずにヒロちゃんから包みを受け取る。
「開けてみて?」
「おう」
がさがさと包みを開けると、中には競泳用のゴーグルが入っていた。
しかも俺が前から欲しいと思ってたかなり高いやつだ。
「お金はほとんど兄さんが出してくれたのよ?」
今日の仕込みもね、と付け加えるヒロちゃん。
そうなのか……。
「兄さん、ヒロちゃん。ありがとう……」
「何で目が少し怒ってるんだよー」
いやそれは仕方ない。
「テンション落として落として持ち上げるって作戦だったんだけどなかなか効いたでしょ。兄さんは少しやりすぎだと思うけど」
笑顔の二人を見ながら俺は兄妹っていいなぁ、としみじみ思うのであった。
……腹の痛みに耐えながら。
「と、いうことがあったんだ。それで後遺症で下痢しているのだ」
青い顔で話し終えたノボルにマサトはうんうんと頷いた。
「愛されてるなぁ、お前」
言ってから怪訝そうな顔をして首を傾げるマサキ。
「しかしあまり羨ましくないのは何でだろう」
「無理も無いわな」