学校が終わってヒロミはバイト先へ向かっていた。
雨が降っているので今日はお客が少なそうだ。
お店としては損かもしれないけれど、ヒロミは楽そうだと思って気分がよかった。
傘をくるくる回しながら道を歩いていると道の隅から、か細い声がヒロミの耳に入った。
とても切ない声だった。
気になったヒロミは足をとめて辺りを見回してみた。
近くの電信柱の根元にダンボール箱がぽつんと置いてあった。
ヒロミは物凄く嫌な予感がした。
雨の音に紛れて聞こえ難いが、確かにか細い声はあのダンボール箱から聞こえる。
駄目よ・・・関わっちゃ駄目。
そう思いながらも引き寄せられるようにダンボール箱にそろそろ近づいていくヒロミ。
恐る恐る覗き込む。
よりによって蓋されていなかったダンボール箱の中身は予想通りだった。
ぼろぼろの毛布。何を考えて入れたのか開けられていない猫缶。
こちらを見上げて鳴き続ける雨に濡れた子猫。
ヒロミは傘で雨から子猫を守りながら無言でポケットから携帯電話を取り出した。
「うちじゃ無理だよ」
結局ヒロミは子猫を家に連れて帰ってしまった。バイトは休んだ。
そして雨が降っているから、と自主休講で家にいたヒカルに子猫を見せたところ素早く反対されてしまった。
「そんな!雨の中捨てられてたのよ。可哀相じゃない!」
とりあえず身体を乾かしてあげたり、ミルクをあげたりしながらヒロミはヒカルに口を尖らせた。
ヒカルはそれを手伝いながらヒロミに諭すように言った。
「子猫は育てるの大変なんだよ?うちの家族は家開けっ放しで夕方まで誰もいないじゃん」
う、と言葉に詰まるヒロミ。
「ノボルは部活、ヒロミはバイト。父さん母さんはそもそも帰ってこない。ぼくは遊ばなきゃ」
改めて考えると多忙な一家だね、と付け加えるヒカル。
「いや兄さんは暇なんじゃないの・・・?」
「最後のは冗談だよ。確かに暇は多いけど昼間は大学行ってるし。無理無理」
ひらひらと手を振るヒカル。
ヒロミは子猫を見つめながら途方に暮れてしまった。
拾ってきたヒロミが責任を持って育てるべきなのだろうがバイトは辞めるわけにはいかない。
それにバイトを辞めたとしてもどうせ昼間は学校がある。
困ったわ・・・。
子猫を撫でくり回しながら悩んでいるヒロミ。
ヒロミが悩んでいるのを見てヒカルは子猫を撫でくり回しながら言った。
「仕方ないから飼ってくれそうな人探そうよ」
「うん・・・」
ヒロミは出来ればうちで飼いたかったな、と思い小さくため息をもらした。
次の日から子猫の飼い主探しが始まった。
とりあえず知り合いには出来るだけメールで頼んでみた。
マコとマサキは自分は無理だが飼える人いないか探してくれるとのこと。
ゴンゾウは一人暮らしなので論外。
カオルは気に入らないので最初から頼まなかった。だいたいカオルの番号は知らない。
知り合い達にメールを打ち終わった後は自分の足で動くことにする。
今日が休日ならよかったのだけれども、残念ながら水曜日。平日だ。
ヒロミは学校を休んでペットショップ巡りをすることにした。
お店に飼い主募集のポスターを張って貰うのだ。
元々ペットを買いにきた人たちが集まる場所なので効果的だろう、と思ってのことだ。
家に置いていくわけにはいかないので子猫を胸に抱いて街を歩き回る。
街中のペットショップやペット関連店を巡り終わる頃には日がすっかり暮れてしまっていた。
「今日は頑張ったわ・・・。学校休んだ甲斐があったってもんよね?」
子猫に向かって笑いかける。
それに答えるように眠たそうに、にゃあと鳴く子猫。
自分では歩いていないとはいえ疲れてしまったようだ。
ヒロミは子猫を抱えなおし、家路に着くことにした。
「今日も一緒に寝ましょうね」
薄暗い道をてくてく歩いていると、正面から黒塗りの車が近寄ってきた。
乗っている人物には大体想像はつく。というかヒロミの知っている限り一人しかいない。
窓が開いてそこからカオルが顔をだした。
「やっと見つけましたわ。まったくうろうろするんじゃありませんわよっ」
不機嫌そうなカオルにヒロミは少し顔をしかめながら答える。
「何言ってるのよ。私疲れてるからまた今度にしてくれない?ちゃんとビンタしてあげるから」
「な、何で声かけただけでビンタされなきゃいけないんですの!?」
狼狽するカオルにヒロミは面倒くさそうに答えた。
「どうせロクなこと考えてないんでしょ?」
「いくらなんでも失礼にも程がありますわ!」
頬を膨らませて怒るカオルをヒロミは半眼で軽く睨んだ。
「日頃の行いってやつよ」
うぅ、と怯むカオルだったが軽く咳払いをしてから改めて話し出した。
「とにかく今日はそんなんじゃありませんわ。その子猫ちゃんの飼い主を探してるんでしょう?」
「・・・そうだけど」
何で知ってるの、と聞きかけたところでヒカルの顔が脳に浮かんだ。
「兄さんに聞いたってわけね」
「そういうことですわ」
何故か自慢げに胸を反らせるカオル。
そして軽く指を鳴らして運転手に後部座席のドアを開けさせた。
「さ、乗りなさい」
「・・・?」
怪訝そうな顔をしているヒロミにカオルは尋ねる。
「あら、ヒカルさまから何も聞いてませんの?」
無言でこくこくと首を縦に振るヒロミにカオルは言った。
「ワタクシが引き取らせて頂くことになったんですわ」
「・・・えぇー」
「何でそんな嫌そうな顔をするんですの!」
「いや別に」
何となくあんたに渡すのは嫌だから、という言葉はぐっと飲み込んだ。
カオルはまだ少し不満そうだったが車の中からヒロミを招く。
「まぁいいですわ。今からワタクシの自宅に行くから乗りなさい」
ヒロミとしてはカオルの車に乗るのは何となく嫌なのだが、これも子猫の将来のため。
運転手さんにお辞儀をしながら乗り込んだ。
車の中は妙に広くて、何だか良い匂いがした。
車内で遊び回る子猫の見るカオルの目が優しかったのがヒロミには意外だった。
何となく嫌いそうなイメージがあったのに。
しかも子猫のほうも何故かカオルにすぐに懐いてしまった。
これも意外な上に少し気に入らない。
「服にマタタビでもふってるんじゃないでしょうね」
「何でそんなことしなきゃいけないんですのってば」
そんな軽口を叩いているうちに西園寺宅の前に止まった。
西園寺宅の前といってもどこまでも続いていそうな壁とその向こうに広がる庭が見えるばかり。
実にふざけた大豪邸だった。
門を抜けて少しいったところで車を止めると二人は庭に降りた。
子猫を抱いて感心を通り越して呆れているヒロミを尻目に、カオルは大きく息を吸って・・・。
発情期の猫のような・・・いや、発情期の猫そのものの声を辺りに響かせた。
「・・・あんた馬鹿?」
何て恥ずかしい声を出す娘なのかしら、と思いながらカオルに突っ込む。
「う、うるさいですわ!でもこれが一番効果あるんですの!」
カオルも恥ずかしいのは自覚しているようで顔を赤らめて怒鳴る。
「効果って一体・・・」
言いかけてヒロミは硬直した。
辺りの茂みや木の上から大量の猫がうじゃうじゃと出てきたのだ。
101匹どころの騒ぎではない、尋常な数ではなかった。
「自然に近い環境で飼うのがワタクシのポリシーですの」
飄々と言うカオル。
ヒロミは初めてカオルに恐れ入った、と感じた。
しかし、この環境なら確かに幸せになれそうだ。
ヒロミは子猫をカオルに差し出した。
「・・・じゃあ、宜しく頼むわね」
カオルは子猫を受け取りながら少し微笑んだ。
「いつでもこの子に会いに来るといいですわ」
うん・・・と頷くヒロミ。
「もちろんヒカルさまを連れてくるんですわよ?その時は」
それはどうかしら、とヒロミは答えた。