「ただいまー。ごめんっ、すぐご飯作るね」

ヒロミは慌しく家に入るなり中に向かって呼びかけた。

今夜はヒロミの食事当番の日なのだ。

しかしバイト先でちょっとしたトラブルがあったのですっかり遅くなってしまった。

具体的に説明すると近所の酔っ払った大学生がハンバーガー大食い選手権を始めたせいで。

店としては良い儲けになったが残念ながらヒロミは時給制。

とても損した気分だ。

急いで靴を脱いでいたヒロミは台所から良い匂いが漂ってくることに気が付いた。

何となく甘い香り。

ということは兄さんが代わりに作ってくれたのかな?

ヒロミが思ってありがたいような申し訳ないような気分になっていると奥からヒカルがやってきた。

お気に入りの割烹着を着ている。

やはり代わりに作ってくれていたようだ。

「おかえりヒロミ。ご飯出来てるよん」

「ごめんね兄さん、私が当番のはずだったのに・・・」

ヒカルは笑って手を振った。

「気にしないでよ。どっちみちあと一週間くらいはぼくがご飯作るから」

「え、なんで?」

「とりあえず着替えてきなよ。ご飯よそっとくから」

ヒロミは疑問に思いながらも部屋に戻って荷物を置いて楽な格好に着替える。

何で兄さん急にご飯作る気になったのかしら。

いつもは自分から作るのはお菓子くらいなのにどういう風の吹き合わせ?

まぁ作ってくれるんなら助かるけど。

そんなことを考えながら台所に入ると、テーブルいっぱいに料理が並んでいた。

既にテーブルに着いているノボルがそわそわしながら目の前の料理を眺めている。

「お、ヒロちゃんお帰り」

こちらに気付いたノボルがヒロミに声をかけてきた。

「ただいま。・・・何かすごい料理ね」

ヒロミは料理を見渡しながら呆れたような感心したような声を漏らした。

「だな。美味そうだ。早く食おう早く」

部活帰りで空腹のノボルにはヒカルの突然の行動などどうでもよいらしい。

「早く座りなよヒロミ」

ヒカルが割烹着を外しながら言ってきた。

「うん・・・」

何となく釈然としないものを感じつつヒロミはテーブルに着いた。





ヒカルの料理はとても美味しかった。

普段は手抜き料理ばかりで忘れがちだが、イベントの時などに作る本気料理は非常に美味しい。

ヒロミとノボルが舌鼓をぽんぽこ打ちながら食べている様子をヒカルは満足気に眺めている。

視線に気が付いたヒロミは尋ねてみた。

「そういえば何で急にこんな本気料理作る気になったの?」

普段は面倒くさがってばかりなのに、と付け加える。

「そういやそうだな。しかもしばらく当番やってくれるって言うし」

ノボルも落ち着いてきたのかヒカルに尋ねる。

「ちょっとね。今度誰かさんに手料理を振舞うことになったから。その練習」

ヒロミとノボルはその言葉を聞いてしばし沈黙し、同時に口を開いた。

『誰かさんって木下さん?』

「あれ、何でわかったの?」

不思議そうに聞いてくるヒカルにヒロミとノボルは苦い顔をした。

「兄さんの手料理積極的に食べたさそうなのは木下さん以外思いつかないわよ」

「何で木下さんに手料理食わすんだ?罰ゲーム?」

「そんなんじゃないよ」

ヒカルはひらひら手を振って否定する。

「話の流れでそうなっただけ」

「でも何でそれで練習まで?」

ヒロミの質問にヒカルは一瞬考え込む仕草をした。

そして何故か照れくさそうに言う。

「まぁいいじゃん。せっかくなら美味しいの作りたいってことで」





食後。

食器洗いは作った人以外がする、という白木兄妹ルール。

ノボルが食器を洗ってヒロミがそれを拭いて棚にしまっていく。

黙々と仕事をしていたが、ヒロミのほうがぽつりと口を開いた。

「兄さんと木下さんって仲良いよね」

「なんだ?藪から棒に」

皿を洗う手を止めてノボルはヒロミのほうを向いた。

「兄さんってほとんど女の人だからさ。女の子の格好してたりするのは別にいいんだけど」

「うん」

「兄さんが男の人と付き合うようになったら何か嫌だなぁ」

切なそうに言うヒロミ。

ノボルはその横顔を見て一瞬沈黙し・・・次の瞬間笑い飛ばした。

「そりゃないって。木下さんとはただの友達だろ。大体兄さん凄い女好きじゃないか」

「でも二人でよく遊びにいったりするし」

「・・・ヒロちゃん」

ノボルはやれやれと首を振ったあとヒロミの肩に手を乗せた。もちろんタオルで拭いてから。

「一回兄さんのコレクション見たらそんな疑いなんかすっかり晴れると思うぞ。凄いから」

「・・・そんな凄いの」

「うむ」

力強く頷くノボル。 「ていうかノっくんも見たことあるのね」

固まるノボル。

「いや、見たというか見せられたというか・・・保健体育だとか言われて」

言い繕うノボルにヒロミは上目遣いで軽く睨んだ。

「ノっくんのすけべ」

「うぅ・・・」

ノボルは苦い顔をして唸った。

ヒロミはその様子を可笑しくて笑いながらノボルの胸を軽く叩く。

「冗談よ。そうね、兄さんは兄さんよね。男の人なんかと付き合ったりしないわよね」

「俺はむしろ兄さんは兄さんだから男と付き合おうがどうでもいいんだけどな」

それを聞いてヒロミはノボルを睨みつけた。

「まったくヒロちゃんはブラコンなんだから・・・」

ノボルは大きな肩を竦めながら皿洗いに戻る。

ブラコンだろうが何だろうが私は兄さんには幸せになって欲しいのだ。

それを考えると確かに男の人と付き合ってもいいんだけど木下さんは乱暴だから駄目。

ヒロミはそんなことを考えなら皿拭きの作業を再開しはじめた。





それから一週間。

白木家の食卓にはヒカルの手の込んだ手料理が並ぶ日が続いた。

ノボルは素直に喜んで食べていたが、ヒロミとしては複雑な気持ちの日々だった。





「・・・なぁヒロちゃん」

ノボルは心底疲れた様子で言ってきた。

「なに?」

「この二人ババ抜きいつまで続けるんだ?俺疲れてるんだけど」

「私も疲れてるわよ」

ヒロミは手元のカードを切りながら答える。

「でも何か落ち着かないからやってるだけ」

今日はヒカルがゴンゾウに手料理食わせてくると出かけていった。

何となく帰りが遅いので落ち着かない。

なので嫌がるノボルに無理矢理トランプにつき合わせているのだ。

ノボルは諦めたようにため息を漏らすと渋々また配られてきたカードを手元に集め始める。

「たっだいまー」

第7回戦目が終わる頃、玄関のほうから明るいヒカルの声が聞こえてきた。

「おかえり」

「おかえりなさい」

やっと開放されると思ったノボルは喜んで出迎えに行き、ヒロミもそれに着いていった。

出迎えにきた二人にヒカルは不思議そうに言った。

「お土産ならないよ?どしたの二人とも」

「いや・・・」

「別に?」

出迎えたものの特に言うことがないのに気付いた二人は適当に言葉を濁らす。

「まぁいいや。それにしても聞いてよー」

ヒカルは嬉しそうに靴を脱ぎながら話す。

「今回はぼくの圧勝だったよ。十対零票で余裕のぷーだね」

「圧勝?」

「兄さん今日は木下さんに手料理振る舞いに行ったんじゃないの?」

ヒロミの言葉にヒカルはしばし顎に指を手を当てて考え込み・・・ぽんと手を打った。

「あぁ。そういえば言ってなかったね。今日は木下と料理勝負をしてきたんだよ」

「へー」

「・・・へ?」

目を丸くしているヒロミにヒカルは経緯を説明した。

先週学食で食事をしているときにゴンゾウが実はオレは料理が上手いのだと言ってきた。

一人暮らしが長いので数もこなしている。

前に弁当もらったことあるは、あれより美味いものが作れるぞ、とのこと。

それにかちんときたヒカルはゴンゾウに料理勝負を挑んだのだった。

そして今日は友達を審査員に呼んで投票してもらった。

「ま、結局木下は口ばっかだったね。下手じゃないけどぼくの足元に及ばないよ」

「そうだったんだ・・・」

ヒロミは何となく安心して胸を撫で下ろした。

「何で前に聞いたとき教えてくれなかったの?」

「そんな暇なのかよって思われるのがちょいと恥ずかしかったもんで」

ノボルは今の説明の間に部屋に戻っていってしまった。

「まっ、定期的に勝負することになったから来週も叩き潰してやるゼ」

しゅっしゅっとシャドーボクシングをするヒカル。

ふと気が付いたヒロミはヒカルに言った。

「・・・兄さん多分それ木下さんに騙されてるよ」

「へ、何で?」

「木下さんただ単に兄さんの料理を定期的に食べたいだけじゃないの?」

ヒカルはしばらく黙りこんだ。

先週の会話の流れを思い出しているらしい。

何か思い当たる節があったのか、はっと顔を上げて叫んだ。

「騙されたー!」






back