「はぁ・・・」
白木ヒロミは疲れ果てていた。
とぼとぼと暗い夜道を俯き加減に歩いている。
働き者の彼女だが、今日はさすがに疲れたのだ。
そんな彼女の一日を振り返ってみる。
朝。
カオルの悪戯でドアに挟まれていた黒板消しで粉だらけにされた。
その後、カオルを往復ビンタで顔をアンパンマンにした。
昼。
カオルの悪戯で食べようとしていた弁当に七味唐辛子をぶちまけられた。
その後、カオルの口に筆箱を突っ込んでおいた。
放課後。
カオルの悪戯でバイト先でマキシマバーガー(作るのが大変)を百個も注文された。
その後、カオルが泣いて謝るまでマキシマバーガー(ボリュームたっぷり)を食べさせ続けた。
完璧にカオルのせいで疲れた日だった。
月に一回はこうやってカオルが張り切る日があるのが腹立だしい。
ヒカルの前では大人しいのも気に食わない。
「あと二十個ほどマキシマバーガー食わせとけばよかったわ・・・」
ため息を漏らしながら歩いているうちに家に着いた。
「ただいまー・・・」
ぐったりしながら家に入ると腰にタオルを巻いただけの姿のヒカルが出迎えてくれた。
「おー。おかえり」
その姿を見てヒロミはまたため息を漏らした。
無防備なんだから。これが木下さんだったら大変なことになるのに。
「なんか疲れてるみたいだね」
呑気な様子のヒカル。
本人に自覚はあるのか無いのか。
「まぁね・・・。あ、そういえば義母さんたちって近いうちに帰ってくる予定ある?」
ヒロミは鞄からプリントを取り出し、ヒカルに見せる。
「なになに授業参観?・・・この日は母さんたち帰って来ないなー」
申し訳なさそうに言うヒカル。
「そっか。まぁもう高校生だし別にいいんだけどね。さ、ご飯食べてお風呂入って寝ようっと」
上着を脱ぎながら自分の部屋へ向かうヒロミ。
その後ろ姿が少し寂しそうに見えた。
彼女には授業参観に来てもらったことなどほとんどない。
ヒカルもあまり来てもらったことはなかったが、結構寂しかったものだ。
「・・・よし」
ヒカルはプリントによく目を通すと、一人頷いた。
何を考えているのかは周りから見てバレバレだった。
今日は参観日。
教室の後ろには保護者たちが集まっていた。
普通の高校の参観日なら保護者などほとんど来ないだろうが、この学校は別だ。
生徒がお嬢様、お坊ちゃまということなので金持ちたちの寄り合いのようになっている。
情報交換の場でもあるらしいので、ほぼ生徒全員の保護者が集まっている。
授業が始まる少し前の今の時間は後ろで保護者たちがハイソな会話をしている。
ヒロミにはどうでもいい上に内容の分からない会話だ。
窓の外をぼんやりと眺めていると、カオルがヒロミの机のところまでやってきた。
ばん、と叩きつけるように机に手を置いてこちらを覗き込むように見てきた。
「何よ」
うっとおしいわね、という言葉は飲み込んでカオルのほうを見る。
「やっぱり貴女のご両親は来てないようですわね」
ふふん、と鼻を鳴らすカオルに、ヒロミは少し腹が立った。
「だから何よ」
後ろの保護者からは見えないようにボールペンでカオルの手をぐしぐしと指す。
カオルは脂汗を流しながらヒロミの手を払った。
「いや、ワタクシの母様も来られてないんですのって言おうとしただけですのに・・・」
「それならそうと早く言いなさいよ。また喧嘩売りに来たのかと思ったわ」
「そんなんじゃないですわ。それにしても保護者来てないのがワタクシたちだけなのは
寂しいですわね。母様はお仕事が忙しくて・・・」
ため息を漏らすカオル。
カオルは寂しい時は寂しいと言う結構素直なタイプらしかった。
ヒロミはカオルの肩を軽く叩いてやった。
「私のとこも一緒よ。無理は言いたくないけど、たまにはこういうのも来て欲しいわよね」
「ですわねぇ・・・」
二人がしみじみしていると教師が入ってきた。
保護者たちに緊張しているようで普段より顔が少し強張っている。
「さ、さぁ親御さんたちが来ているからってみんな緊張しないようにね!きょきょきょ・・・!
げふんげふん。今日の授業は・・・」
緊張しまくっている様子の教師が震える手で教科書を捲っていると教室のドアが勢いよく開けられた。
それに驚いた教師は驚いて教科書を取り落としてしまった。
「あら、もう授業始まってました?ちょっと失礼しますねー」
場違いに入ってきたのはカジュアルなスーツに身を包んだヒカルだった。
ヒロミは驚いた様子で兄を見た。
目が合うとウインクしてきた。
まったく今日は大学も休みってわけじゃないのに・・・。
ヒロミは困った兄さんだ、と思いながらも頬が緩んでいるのを自覚していた。
やっぱり兄さんは良いなぁ・・・。
ヒロミは幸せを感じる。
小学生の頃の地獄の日々は悪い夢だったんじゃないかと、こういうときに思う。
もう一度、ヒロミは兄のほうをちらりと見た。
兄は嬉しそうなカオルと手を振り合っていた。
何となく腹が立ったが今日はまぁいいだろう、とヒロミは思う。
ヒロミは背中に兄の視線を感じながら、珍しく居眠りをせずに気分良く授業を受けたのであった。