「次の日曜、動物園に行かない?」

と、委員長と周りから呼ばれている少女に誘われて、少年は動物園に足を運んだ。

現地集合だったので入り口の前で待っていると、ほどなくして委員長が現れた。

手には弁当が入っているのであろう、バスケットを抱えている。

「ごめんなさい。待たせちゃった?」

「いや。俺も今来たばっかりだしな」

少年は軽く答えると巻いている腕時計を覗き込み、顔をしかめた。

「しかし他の連中、全然来ないな。もう集合時間だってのに俺と委員長だけかよ」

彼は普段から親しくしている文芸部の皆で動物園にでも行かないか、という名目で来たのだ。

それなのに自分と委員長しか来ていないとは何事か、と呆れる少年。

「そ、それがね。他のみんなは急用が出来たから来られなくなっちゃったんですって」

委員長は落ち着かない様子だ。

少年はそんな彼女は目を細めてじっと見つめる。

ますます落ち着きなく視線をさ迷わせる委員長から目を逸らし、軽くため息一つ。

「またか。文芸部の連中はドタキャン率高いな、まったく。何回かこういう事あったよな」

そう、委員長以外全員急用が出来たという事態は今回が初めてのことではない。

皆で遊びに行くよ、と委員長に誘われて少年が出向いた先で、委員長しかいなかったというのはたまにあることなのだ。

「そそ、そうね。……まぁ来ないのは仕方ないとして、そろそろ中に入りましょ」

委員長は何やら狼狽した様子を見せつつも、少年の手を引いて園内へと進んでいった。







少年と委員長が檻に近づくたびに、中に入れられている動物たちは騒がしく吠え立ててくる。

こんな状況を委員長は不思議に思っていた。

のん気な様子で丸くなっていたパンダのような動物でさえ、のそのそと客側に歩いてくるのだ。

そして少年は、その度に檻の前で立ち止まる。

「こんなこと言うのも難だが、檻の中だとヒマそうだな」

まるで世間話でもするかのような口調で、檻の中のライオンに話し掛ける少年。

ライオンはそれに答えているかのようなタイミングで唸り声を上げる。

「ふーん。意外な感想だな。さっきのキリンなんかヒマでヒマでたまんないって言ってたぞ」

少年は少年で唸り声に合わせてまた口を開く。

「なるほどね。安定した生活が一番ってか。野生経験者だと逆にそういう感想も出てくるんだなぁ」

うんうん頷く少年に、ライオンは軽く吼えた。

「わかったわかった。じゃあまたそのうち遊びに来るよ。じゃあな」

軽くライオンに向かって手を振って、少年は委員長の方を振り返る。

「次行こうか」

「うん……」

少年に促されるまま檻の前を後にする委員長。

振り返って見れば、ライオンがこちらを見ながら尾を振っていた。

まるで手を振っているかのような仕草だ。

「動物たちとお話してるみたいね。さっきから」

ただの偶然だとは思う委員長だったが、動物相手に話し掛ける様子が何だか可愛いとも思った。

「お話してるんだよ。ヒマしてる奴らが多いから話し相手になってやらんとな」

否定するでもなく、少年はやれやれと肩を竦める。

「まぁ人間と違って生きることに理由や目的は必要ないみたいだから、別に檻に閉じ込められて辛いという感覚はないらしいけど」

「……へぇ」

「人に見物されるのも慣れたら気にならないらしいし。案外優雅なもんみたいだ」

この人はたまに変なことを言うな、と委員長は思った。

「それはそうと、そろそろお昼にしましょうか。お弁当作ってきたの」

バスケットを掲げてみせると、少年は頷きつつ周りを見渡す。

そして手ごろな場所のベンチを指差した。

「じゃあ、あの辺りで食べるか」







ペンギンたちが囲われている人口の岩場の前に二人は陣取り、弁当を広げていた。

天気も良く、周りからは家族連れの笑い声なども聞こえてきて和やかな雰囲気だ。

「ごちそうさま」

食べ終わり、少年は満腹になった腹を抑えて満足げにしている。

「口に合ったみたいで良かったわ」

完食された弁当箱を包み直しながら委員長も嬉しそうだ。

少年が実に美味しそうに箸を進めるものなので彼女も気分がよくなっている。

「いやいや。美味かったぜ。やっぱメシは誰かと一緒に食べるのが一番だよ」

何しろ逃げられないからな、と続ける。

委員長には彼の後半の発言の意味はわからなかったが、はっきり美味しいと言って貰えてますます気分がよくなる。

二人はしばらくベンチに座ったまま、たわいのない話をしていた。

そろそろ文芸部に入らない?

ていうか文芸部の連中、俺のこと誘いすぎなことないか?

基本的に男の子と話すのが苦手のコたちが多いけど、あなたは話しやすいから。

まぁ別にいいけど。ヒマだし。

などと雑談に花を咲かせていると、二人の前に一羽のハトが舞い降りてきた。

羽を大きく広げながら一声、鳴いた。

「……へぇ。元締めが?」

それに続けて少年は突然、妙なことを口走った。

怪訝な顔で少年の表情を窺う委員長を気にした様子もなく、彼は独り言を続ける。

「ふんふん。大事な話か。ナワバリ紛争調停委員会に関わる話? ……あ、そう違うのか」

どうしたのかしら、と委員長は思ったが、真面目な顔でハトに話し掛ける様子が少し面白いので黙って眺めることにする。

「あとは直接話してくれってか。……仕方ないなぁ」

少年は大きくため息を吐いて立ち上がった。

そして委員長の方に顔を向けて、少し渋い表情を浮かべる。

「委員長。悪いけどペンギンの所に行こう」

「……いや、全然悪くないよ? 見に行きましょ」

彼が何を言いたいのか把握できなくて首を傾げてしまう。

それにペンギンなら目の前の岩場にいるので移動だってすぐだ。

ベンチから少し歩いて二人はペンギンの岩場を囲んでいる柵の前まで近寄る。

よちよちと歩くペンギンは実に可愛らしく、思わず目を細めてしまう委員長。

それに対して少年は柵から身を乗り出すように真下を覗き込んでいた。

釣られて視線を向けると、柵の真下にペンギンが一羽立っていた。

他のペンギンよりも少し身体の大きい、何となく威厳を感じさせる風格を放っている。

そのペンギンは少年と委員長に向かって、挨拶でもしているかのような仕草で羽を片方掲げていた。

「あはは。可愛いね」

同意を求めて少年を方を見ると、彼はペンギンに向かって手を振っていた。

「やぁ元締め。久しぶりだな」

「あのペンギン、元締めってあだ名なの?」

「うん。そんな感じ」

少年はけたたましくペンギンが鳴くたびに相槌を打ちつつ、委員長の言葉にも頷く。

「えー。カンベンですぜ元締め。そんなの飼育員さんにでも任せておけばいいんじゃないのか?」

不満を隠すことなく顔をしかめる少年に、ペンギンは力強く一声。

「……はいはい、わかったよ。まったく……」

何かを諦めた様子の少年は、柵から身を離すと肩を落とした。

やっぱり委員長には何のことだか理解できないが、疲れた様子なので慰めるように肩を叩いてあげた。

「ありがとう。委員長。……で、また悪いんだが次はゾウの所に行こう」

「だから全然悪くないんだけど……。それじゃあ行きましょうか」







「というわけでゾウの所まで来たわけなんだけど。……今度はゾウとお話するの?」

少し冗談めかしてみる委員長。

「うん。そんな感じ」

少年の方は特に反応するでなく、生返事を返されてしまった。

渋い顔をしてゾウたちを見つめている。

何でそんな顔でゾウを見るのかと委員長は不思議でならない。

今、柵の内側では三頭のゾウたちが向かい合って立っているだけだというのに。

あえて気になるといえば、そのうちの二頭が力強く鳴き続けているくらいのこと。

「……痴話喧嘩とか俺にどうしろって言うんだろう」

「ええ? あの三頭って痴話喧嘩してるの?」

えらく生々しい話に委員長は驚く。

「うん。話を訊くにあの三頭は幼馴染でな。二頭の間でおろおろしているオスをめぐって争ってるんだと」

「……はー」

少年が本当に動物と話が出来るにせよ彼の作り話にせよ、どっちにしろ嫌な状況だな、と思う。

深く深呼吸をする少年。

掌で自分の頬を叩いて気合を入れてからゾウたちに声をかける。

「おーい、お前たち。聞き苦しいから大声でそういう話するんじゃないよ」

「どういう話なの……?」

少年の呼びかけに対して、ゾウたちからは腹の底に響くような雄叫びが返って来た。

あまりの音量に他の見物客たちは耳を抑えて逃げていった。

「う、うわぁ」

委員長も正直逃げたかったが、少年が耐えているので我慢しておく。

「だーかーらー。騒ぐなっつの。他の動物たちから苦情来てるんだぞ」

不機嫌そうに腕を組んで、ゾウたちを諭しかかっている少年。

しかしゾウたちは聞く耳持たず。

地面を震わしながら地団駄を踏み、長い鼻を振り回して吼えあっている。

オスらしきゾウはそんな二頭のメスに挟まれて、おろおろと耳をばたつかせている。

その様子を目を半眼に開いてみていた少年は、後ろに手を組み、大きく胸に息を溜め込んだ。

そして大きく目を見開き、叩きつけるように声を放つ。

「喝ッ!」

気合の入った音吐に大気は震え、木々はざわめいた……ような気がした。委員長には。

隣に立っていた彼女は思わず腰を抜かしてへたり込んでしまう。

ゾウたちも同じように衝撃を受けたらしく、三頭とも寄り添い合って身を震わせていた。

やはり基本的には気の弱い動物なのである。

静かになったゾウたちに向かって、少年はあくまで高圧的に接する。

「しょうもないことでガタガタガタガタ騒ぎやがって……」

そこで一旦言葉を区切り、睨みつけるように視線を飛ばす。

「人間じゃないんだから別に三頭で仲良くやってりゃいいだろうが。それで何も問題ないだろ」

少年の言葉にゾウたちは顔を見合わせた。

そして得心がいったような仕草でメスたちは鼻で自分の額をぴしゃり、と叩いている。

「オスが頑張って子種作ればそれでよし。メス同士が揉める話じゃないっ」

そこまで言い切ると、メスたちは落ち着いたようで、少年に向かって頭を下げた。

オスは何やら怯えたような瞳をしていたが。

「そうそう。仲良くするんだぞ。……あとオスは気の毒だけど……まぁ気合だ気合」

穏やかな口調に戻った少年。

メスたちは何度か彼を振り返って頭を下げつつ、オスを寝床の方に押しやり去っていく。

その場にはオスの悲痛な雄叫びの余韻だけが残された。

話が終わったようなので、委員長は少年に恐る恐る声をかける。

「……えっと」

少年は今度はどこからともなく現れたハトと二言三言話していたが、すぐに委員長に向き直る。

「いやぁ悪い悪い。これで話は終わったよ」

「よくわからないけど忙しかったみたいね……」

「忙しいというか面倒だったかなぁ。人間の常識に影響される動物も結構いるからね」

「そうなんだー……」

委員長は返事を返しつつ、今日の少年の様子が面白かったので今度小説のネタにでもしようと考えていた。

「それにしても」

と少年は委員長に申しわけ無さそうな表情を浮かべる。

「今日はごめんよ。一人で動物と話してた上に俺の都合で色々移動させちゃって」

「いいのよ」

それに対して笑顔で返す。

「動物よりもあなたの方が見てて面白かったし。今日は楽しかった」

「そっか。なら良いんだけど」

少しほっとした様子の少年は、日が暮れてきた園内を見渡す。

ゾウの雄叫びのせいで客が逃げたという点を差し引いても、他の客はまばらになっていた。

「そろそろ閉園だな」

「私たちも出ましょうか」

委員長の発言に少年も頷く。

「メシでも食って帰ろうぜ。弁当のお礼に奢るよ」

「本当? 嬉しいなぁ」

「それにしても文芸部の連中のドタキャンっぷりはどうにかならんものかね。今度文句言ってやろう」

「わ、私からよく注意しておくから。あなたは何も言わないであげて? ね?」

夕日に染まる動物園を、二人はほのぼのと去っていくのであった。






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