放課後の図書室。
受験を控えた三年生か、読書好きな生徒しか集まらない静かなこの空間。
そこのカウンターの中で、一人の小柄な少女が穏やかな笑みを浮かべながら本を読んでいた。
内容が面白いのか、時折くすくすと小さな笑い声を立てている。
長めの黒髪を二本の三つ編みして、お下げにしている。
しかも、大きな眼鏡までかけており、まるで絵に描いたような文学少女だった。
「あっ。部長だっ」
「今日は図書委員のお仕事ですか?」
声をかけられたお下げの少女は本から顔を上げる。
そこには、二人組の少女が立っていた。
ショートカットの娘と、長い髪の娘。
その二人とは知り合いらしく、お下げの少女は満面の笑みを浮かべる。
「おや! 早坂さんと桜田さんじゃない! どしたの?」
見た目に反して随分と元気な喋り方だ。
「文芸部の活動の一環ですよっ。ほらっ、本借りに来たんですっ」
早坂と呼ばれた髪の短い少女は、手に持った本を掲げつつ元気に答える。
「私は付いて来ただけですけどね」
髪の長い、桜田と呼ばれた少女はそう言ってゆったりと微笑んだ。
「それにしても部長っ。もう三年生なのに図書委員の仕事なんかして余裕だねっ」
「んー? 私はもう国立の大学に推薦が決まってるからねぇ! 学校でやることないんだよね、あはは!」
「はー……。あやかりたいものですよ」
「黙って授業聞いて適当にテスト受けたら頼まなくても推薦してくれるって!」
当たり前のように強者の意見を言い放つ部長に、二人は苦笑いを浮かべる。
「それより本借りたいんだって?」
「そうそうっ。こないだまで話題になってた本が図書室に入ったと聞いて借りに来たのですっ」
早坂がそう言いながら部長に差し出した本は、ベストセラーにもなった恋愛小説だ。
「あー? これか。これはラストのシーンが笑えるんだよねぇ」
「それ一応、感動の愛の物語なんですけど……」
物言いたげな桜田の意見は封殺し、部長はにっこり微笑んだ。
「これは面白くないよー?」
にっこりと笑みを浮かべたまま、早坂から受け取った本をカウンターの横の窓から投げ捨てた。
あまりにも自然な動作だったので、咄嗟に反応できなかった早坂と桜田。
どさ、と本が地面に落ちた音で二人は我に帰った。
「いやいやいやいやっ!?」
「またですか部長! 面白くないからって窓から本は捨てないでって、あれほど言ってるのに!」
「あっははー。図書室ではお静かに」
きらん、と眼鏡を輝かせながらむしろ胸を張る部長。
彼女は読書家だが、まったく愛書家ではないのでつまらない本はその場で捨ててしまう悪癖があるのだ。
おかげで彼女の教室では、床に叩きつけられた本をよく見かけることが出来る。
ちなみに図書館の窓の下は、打ち捨てられた本の墓場と化している。
「早坂さんにはコレを代わりに貸してあげよーう。面白いよ?」
言いながら部長は先ほどまで読んでいた本を早坂に差し出す。
「部長の選んだ本に間違いが無いのは知ってるけどっ。……さっきのも読みたかったんだけどなっ」
多少ぶつぶつ文句を言いつつも、大人しく本を受け取る。
反論しても無駄なことを、早坂も桜田も良く知っているのだ。
「そーいえばさ。例の彼は元気にしてる?」
彼、というのは桜田のクラスメートにしてよく文芸部に遊びにくる少年のことである。
「ええ。相変わらず、色んなモノの前で立ち止まっては独り言を呟いたりはしてますけど」
「あれは何なんだろうねっ。よく見ないと気にならない程度だけど、変なクセだよねっ」
「んっふふー。それは二人が彼を良く見てるから気になるのよー」
にんまりとした笑みを向けられて、桜田と早坂は顔を赤らめた。
「からかわないで下さいよー」
「そ、そんなんじゃないもんっ」
「はいはい。青春してるねー。私も彼氏とイチャつきたくなってきたなー」
一人盛り上がっている部長は、言いながら携帯電話を取り出すとメールを打ち始めた。
「部長の彼氏って生徒会長ですよね? まだ何か仕事してるんじゃないですか」
今の時間を確認しながら桜田は言った。
確かにまだ五時前で、生徒会がまだ活動中である可能性は高い。
「ふっふふ。そんなの私の知ったこっちゃないわ。私が会いたいって言ったら会いたいのよ」
文学少女の権化のような姿とまるでそぐわないことを言い放つ部長。
「うっわーっ。超ワガママっ」
もう早坂は呆れかえった様子である。
口にこそ出してはいないが、桜田も早坂と同じく呆れた顔をしている。
「『会議は後輩に任せて今すぐ行く』……ね。よしよし、でかした」
「もぅ。そんなワガママばっかり言ってたら会長さん泣いちゃいますよ?」
「尻に引くのもほどほどにしないとっ」
親切にも忠告する桜田と早坂を、部長をひらひらと手を振りながら笑い飛ばした。
「あっはは。これくらい大丈夫大丈夫。それに……」
そこで言葉を一度切り、さらに力を込めて。
「夜は私が彼氏の下で泣かされてるからね!」
「もう部長は黙って下さい!」
「うるさいよっ!」
目を吊り上げて顔を真っ赤にさせる桜田と早坂を、部長は面白そうに眺めている。
「うっふふー。じゃあ私は帰るから」
言いながら部長は、三つ編みにしている髪をするっと解き、眼鏡を外した。
それだけで、印象ががらりと変わる。
肩の辺りまで伸びた、ふわふわとした髪。
垂れ目気味のとろんとした瞳が、小柄な身体と不釣合いなまでの色気を放っていた。
「……くっ。美少女めっ」
「あははっは。そんな事実をわざわざ確認してくれなくてもいいわよ」
口を尖らせる早坂に、部長は流し目を送る。
それを端から見ている桜田は呆れを通り越してむしろ感心していた。
「その自信を少し分けてもらいたいくらいだわ……」
「それじゃあバイバイねー」
自分に向けられる呆れや感心の視線を全て無視した上で、部長は笑顔のまま去っていってしまった。
読みかけの本や、図書委員の仕事を放置して。
「部長は自由人にもほどがあると思うよっ」
「人生楽しそうなのはいいんだけどねぇ……」
取り残された形になった早坂と桜田は、ぶつぶつ言いながら後を片付ける。
二人とも真面目なのである。
しかし彼氏と遊びに行ってしまった人の尻拭いをしているとなると、さすがに憂鬱になってきた。
「小雪ちゃん……」
せっせと図書カードなどを片付けながら、桜田は早坂に声をかける。
「……どしたのっ、委員長っ」
普段元気な早坂も、今はさすがにやる気なさげな様子である。
「……何ていうか……私たちもがんばろうね」
「……うんっ」
絞り出すような桜田の声に、早坂も作業する手は止めずに頷きを返す。
図書委員長にして、文芸部部長。
彼女は周りの元気と活力を奪う女なのであった。
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