35歳のサラリーマン。係長。
彼には恋人がおりました。
26歳の彼女は積極的で、付き合いだす時も彼女のほうからの告白でした。
彼女は才女なキャリアウーマンで、若くして課長の座についていました。
実力至上主義の会社なのです。
ちなみに彼とは同じ課です。
自分より仕事ができ、収入も多い彼女に彼はいつもペースを握られっぱなし。
これではいけない。彼女に相応しい男になろう。
彼は常々思っていました。
そんなある日。
デート中の彼女は何だか落ち着きがありません。
食事をしていても、しきりに座りなおしたりしています。
彼は心配になりました。
彼女は普段はいつも常に落ち着き払っていて、こんな姿は見たことがありません。
何か悩み事があるのではないか。
それなら自分を頼って欲しい。
そう彼女に伝えると、彼女はそわそわするのを止めて彼に微笑みました。
「ありがとう。貴方のそういうところが好きなの」
彼は何だか照れくさくなりました。
店を出て、少し街中を二人で歩きます。
歩きながら彼女は彼に夢を語ってきました。
「私は今みたいに仕事するのも楽しいんだけど」
彼女は一度そこで言葉を切り、恥ずかしそうに続けます。
「子供を産んだりとかの昔ながらの女の幸せにも憧れてるの」
彼は彼女の言葉に神妙に頷きながら考えました。
彼女はそんな考えだったのか……。
プロポーズするなら今かもしれない。
彼は唐突に思いました。
指輪を用意しているわけではありませんが、彼は今がチャンスだと思ったのです。
意を決して口を開こうとすると、彼女はふと立ち止まりました。
小さな花屋の前です。
彼女は店の前に立っていた店員に何ごとかぼそぼそと言いました。
店員は笑って頷くと店の奥に消えました。
どうしたの。
彼が訊いても彼女は顔を赤くして俯くばかりです。
不思議に思っていると、店員が戻ってきました。
手には赤い花束を持っています。
それを彼女に渡すと女性の店員は頑張って、と言って再び店の奥に消えました。
事情が読めない彼に彼女は花束を突きつけます。
「受け取ってください」
何故か敬語になっている彼女から押し付けられるように花束を受け取る彼。
「ゼラニウムっていう花なの。綺麗でしょ」
花の種類にはさっぱりな彼でしたが、綺麗なものは綺麗なのでそうだね、と頷きます。
しげしげと眺めていると、花束の中に小さな箱が紛れ込んでいるのを見つけました。
「ゼラニウムの花言葉は、君ありて幸福」
彼女は箱を手に取った彼に続けて言います。
「……開けてみて?」
おう、と彼は戸惑いながらも箱を開けると中から出てきたのはダイアの指輪。
彼は何だこれは、と思いました。
「給料三ヶ月分もしたわ」
恥ずかしそうに言う彼女は大きく息を吸って、彼に手を差し出しながら吐き出すように言った。
「一生幸せにします!結婚してください!」
プロポーズだった。
……はい。
まるで少女のように顔を赤らめながら彼は頷いてしまった。
「やったぁ!」
嬉し涙を流しながら抱きついてくる彼女を強く抱きしめ返す。
店の奥からは先ほどの店員がはらはらと涙を流してハンカチを握り締めて覗いている。
幸せそうに見える二人だが、彼は心の中で海よりも深いため息を吐いていた。
情けなさすぎる。
男として駄目すぎる。
しかし悔しい、非常に悔しいが幸せだ。
彼は色々な意味で泣きたい気分だったが、彼女の嬉し泣きしている姿を見て腹をくくることにする。
情けなくてもいい。
彼女に幸せにしてもらおう。
いつも自分の前を足早に歩いている彼女の後ろを一歩下がってついて行こう。
そして彼女を支えていくんだ。