テンコさんは真面目が取り柄の、ごく普通の女子高生です。



「また一番後ろ……」

テンコさんは教室の一番後ろの隅の席で、ちょっぴりメランコリーなご様子です。

先ほど席替えのためのクジ引きをした結果、テンコさんはそんな僻地に送られてしまいました。

不真面目な生徒さんならば、まさにグッドなポジションなのですが、真面目なテンコさんのことです。

「ここだと黒板がよく見えないのにー」

少々嘆いておりました。

テンコさんはあまり目が良い方ではないので、出来れば前の席に座りたいらしいです。

しかしながら、テンコさんには後ろの席に居て頂かないとクラスのみんなは困ってしまいます。

「ふぅ」

窓の外を眺めながらテンコさんはため息一つ。

その背中では大きく立派な白い翼がぱたぱたしておりました。

これが問題なのです。

こんな羽を生やしたテンコさんが前に座っておりますと、その後ろの生徒さんたちは黒板がさっぱり見えません。

テンコさんには内緒で、先生がこっそりとクジを操作していらっしゃるのはもはや公然の秘密です。

「私、クジ運悪いなー」

気づいていないのは真面目で素直なテンコさんばかりなのでした。







放課後に、せっせとホウキを動かしているのはテンコさん。

今日は掃除当番なので、がんばって掃除しているご様子ですが、先ほどから拝見しているとなかなか手間取っているようです。

ぱたぱたと羽を動かしながら忙しなく動き回っているテンコさん。

埃を掃いて集めているのですが、そのゴミの山に背中を向けると、羽が風を起こして散らしてしまうのです。

テンコさんがちり取りを用意する頃には、ゴミは床に散らばってしまっているのでした。

「……うう」

ちょっぴりメランコリーなご様子です。

他の掃除当番の方々は、自分の役割を果たすとさっさと帰ってしまったのでテンコさんは一人でやり遂げなければなりません。

作業量としてはテンコさんの割り振りが一番少ないので、他の当番の方が冷たいというわけではないですが。

埃を掃いては散らし、ゴミを集めては飛び散らす。

テンコさんにとって掃き掃除とは賽の河原で石を積むにも似た行為なのでしょう。

だんだん悲壮なお顔になってきたテンコさん。

あんまり不憫なので、声をかけてみることにします。

「テンコさんテンコさん」

「あ、まだ残ってたの?」

こちらに気づき、少し表情を和らげるテンコさん。

「ホウキを使う時は、羽を動かすのを止めてみてはいかがでしょう」

この言葉に、テンコさんは小首を傾げます。

「何を言ってるの?」

どうも自覚がないようでした。

仕方がありません。

テンコさんにとって羽を動かすのが無意識の動きなら、止めたくても止まるものでもないのかもしれません。

「手伝います。ホウキでゴミを集めますので、テンコさんはちり取りを抑えていて下さいな」

彼女はぱぁっと顔を輝かせます。

「本当っ? ありがとー」

なかなか終わらなくて困ってたのー、と微笑みながらちり取りを構えてしゃがみ込むテンコさん。

羽の動きが大きくなり、ますますゴミが散らばりそうなので急いで集めてしまうことにします。

そんなテンコさんの羽を見て、思うことが一つ。

テンコさんは空を飛ぶことができるのでしょうか。







とある休日。

近所をぶらぶらと散策しておりますと、どこかから子供の泣き声が耳に入ってきました。

迷子でもいるのかしらん、と暇だったもので子供を探してみることにします。

声の聞こえてくる場所にたどり着くと、そこは公園。

小さな女の子が、木の上を指差してわんわんと泣きじゃくっておりました。

指を先に視線を向けてみると、木の枝に風船が引っかかっています。

なるほど。うっかり手を離してしまったのでしょう。

納得たところで、女の子のそばに見慣れた人物を見かけました。

テンコさんです。

私服姿を拝見するのは初めてのことですが、何かと個性的な方なので見間違えようがありません。

ぴょんぴょんと跳び跳ねながら、風船に手を伸ばしておりました。

さすが真面目なテンコさん。

休みの日でも困った子供に手を差し伸べるその姿は、まさに模範的優等生と言えるでしょう。

物陰に潜んで、その活躍を拝見させて頂くことにします。

ここから見ていると、テンコさんの身長ではいくら跳ねても風船に手は届かないと思われます。

というわけで、今日は見られるかもしれませんね。テンコさんが宙を舞う姿を。

しかし、期待に胸を躍らせながら見学しておりましたが、一向に空を飛ぶ気配はありません。

羽をぱたぱたさせながら跳んでいらっしゃるのですが、はっきり言って人並み以下のジャンプ力です。

テンコさんがなかなか風船を取れないので、女の子はますます泣き喚きます。

一生懸命に手を伸ばすテンコさんですが、はっきり言って無駄な努力でございましょう。

そんなことをしている暇があるのならば、ご近所で踏み台でも借りれば良いと思うのですが。

「……よいしょ!」

思いつかないご様子です。

掃除の件と言い、テンコさんはもしかしたら少し間が抜けているのかもしれません。

やがて跳ぶことを諦め、悔しそうに風船を見上げるテンコさん。

女の子はまだわんわんと泣いております。

その頭を撫でてやりながら、ちょっぴりメランコリーなご様子です。

仕方がありません。

物陰から出ると、木の幹に足をかけ、するするとよじ登ります。

きょとんとしているテンコさんと女の子を尻目に、さっさと風船をとって木から跳び下りて。

「どうぞ」

女の子に風船を渡してあげました。

泣いている子供をいつまで放置しておくのは良くないことですからね。

「ありがとー!」

たちまち明るい笑顔になった女の子はぶんぶんと手を振りながら去っていきました。

「意外と身軽なのね。びっくりしちゃった。それにいきなり出てきたし」

満面の微笑みをテンコさんから頂きました。

それからしばしその場で会話を楽しんだ後、立ち話もなんだということでお茶をご一緒することに。

普段はあまり入らないようなお店でお茶をしたり、プリクラを撮ったりと。

テンコさんが空を飛ぶところは見ることができませんでしたが、なかなか充実した休日を過ごすことが出来たので良しとします。







ある日のお昼休み。

テンコさんはちょっぴりメランコリーなご様子です。

物憂げに窓にもたれ掛かって、校庭で走り回る元気な男子たちを眺めておりました。

「テンコさんテンコさん」

「……なぁに?」

「何かお悩みでも?」

「うん……」

悩ましげな吐息を漏らしながら、テンコさんは答えて下さりました。

「さっきの体育、マット運動だったじゃない?」

「そうでしたね」

「私、マット運動すごく苦手なの。前転すらできなくて」

イヤになっちゃう、とつま先で床をつつくテンコさん。

物凄く些細なお悩みでした。

確かにテンコさんはマット運動が不得意です。

何しろ背中に大きな羽があるテンコさんのこと、前転どころか逆立ちも難しいでしょう。

一生懸命に回ろうと励んでいたテンコさんですが、見ているこちらが冷や汗ものでした。

その綺麗な白い羽が折れてしまうのでないかと心配だったのです。

同じことを体育の先生も思ったらしく、無理をするなと必死に止めておりました。

「私ってダメね。マットだけじゃなくて鉄棒や陸上も苦手だし。……笑わないでね? その上実はカナヅチなの」

さもあらん。

そんな羽を背中につけて、まともに運動ができるわけがありません。

ましてや泳ぐなんて土台無理なお話です。

体質的な問題なので、気にすることはないと思うのですが。

「あーあ。やんなっちゃう」

テンコさんには大きな悩みらしいですね。

「いいじゃありませんか。テンコさん」

「え?」

「運動なんかできなくても。テンコさんはご立派ですよ」

「……そうかなぁ」

「クラスの誰よりも熱心に授業に取り組み、真面目に掃除もして、泣いている子供に手を差し伸べる……」

黙って聞いているテンコさん。

窓を背にしたその姿は、その白い翼に光が透けて、後光が見える気がしてきます。

「そんなテンコさんは、まるで天使のようだと思いますよ」

かぁっと顔を赤らめるテンコさん。

頬を抑えながら、ばっさばっさと羽を羽ばたかせます。

「や、止めてよー。こんな教室で……恥ずかしいぃ」

さようでございますか。

ほとんど比喩にすらなっていない表現だと思うのですけども。

照れて悶えるテンコさんでしたが、なかなか嬉しかったご様子で。

恥ずかしがりながらも文字通りの意味で、舞い上がっておりました。

羽を羽ばたかせているうちに、だんだんとテンコさんの足が床から離れきたのです。

教室を舞う様子を感心しきって眺めます。

やっぱりあの立派な羽は伊達ではなかったのですね。これで疑問が一つ解消されました。

「でもそんなこと言ってもらえて嬉しい、かな。あ、あはははは」

ばっさばっさと天井すれすれのところで滞空しているテンコさんは、昼休みの間、いつまでもいつまでも悶えているのでした。



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