「偉大な偉大な悪魔さま。どうか願いを聞きたまえ。私の願いを叶えたまえ」

ぶつぶつと呟きながらペンを滑らす。

アルファベットと0から9までの数字、いくつかの記号が書かれた紙の上を。

これは最近、この高校の女子の間でだけで流行っている遊びだ。

「…どうか願いよ届きたまえ」

目を閉じたまま、紙の上を適当になぞり、上を通った数字などを携帯電話に打ち込む。

そして本文に願い事を書いて送るのだ。

件名は『偉大な偉大な悪魔さま』

「…うーん、やっぱり届かない」

少女は自分の携帯電話に返ってきたエラーメッセージを見て顔をしかめる。

さきほどから何度やっているのだが一通も届かないのだ。

隣でその様子を見ていた友人はおかしそうに笑う。

「そりゃ簡単に届いたら有り難みがないでしょ?」

「そうだけど」

少女は携帯電話から顔を上げる。

「私、やり方は間違ってないよね。プロバイダは自分と同じのを。願い事は人間関係限定。
影響できる回数に限度はないけど、影響できる相手は最初に選んだ相手に限定される」

眉に皺を寄せている少女を見て友人はまた笑った。

「単純にアドレスが違うんでしょう?…って何でそんなに真剣なのよ」

うーん、と少女はひと唸り。

「いや次の英語の時間、当たりたくないなって」

「あはは。くだらなーい」

馬鹿にされてしまった少女は唇を尖らせる。

「ひっどーい。じゃあどういうお願い事ならいいのよ」

「そりゃあ……」

友人は人差し指をぴしりと立てる。

「年頃の乙女としちゃあ色恋でしょ? 好きな人との関係をどうこうできたら最高じゃない」

「そうかなぁ……あいたっ!?」

曖昧に頷いていた少女の後ろ頭に急に痛みが走る。

頭を抑えながら振り返ると、同じクラスの男子が意地の悪い笑みを口元に浮かべていた。

「わりぃわりぃ。肘が当たっちまった」

「もぉー。またなの?」

少女は男子を軽く睨みつける。

この少年、去年から同じクラスになのだが、しょっちゅうこうやって意地悪なことをしてくるのだ。

意味もなく小突いたり、座ろうとした椅子を引かれてこかされたり。

正直苦手な相手だった。

「いやーアンタも大変ね?」

「まったくよ。何で私ばっかりぃ」

にやにや笑いの友人にため息で答える少女。

気を取り直して再びお呪いをすることにする。

現れたアドレスを携帯電話に打ち込み、先ほどと同じ願い事を入れようとしてふと考え直す。

よく考えたら英語教師との人間関係を操れたところで大して特はないのかもしれない。

もっとこの学園生活を快適に過ごせるようなするには……。

「……よし」

少女は少年の名前も打ち込んで。

『偉大な偉大な悪魔さま。彼が私に意地悪しないようにしてください』

送信した。

「また送ったの? アンタも好きねぇ」

「いいじゃないの。……あ、返ってきた」

どれどれと画面を覗き込む少女。

『願いは聞き届けた』

そう本文に書かれたメールが返ってきた。

目を丸くする少女。

「こ、これって……」

返ってきたのだ。とうとう。悪魔からの返事が。

「ん? どうしたの」

「な、何でもない」

少女の態度を不審に思った友人の追求から慌てて逃れる。

悪魔からのメールは他人に見せてはいけないというルールもあるからだ。

やった……やった……!

少女は一人、胸の中で悪魔からの返信が来た喜びを噛み締めるのであった。







悪魔の力は本当に偉大だった。

毎日のように意地悪してきた少年が、一切少女に関らなくなったのだ。

別に無視されているわけでもなく、朝に顔を会わすと「よう」と片手をあげて挨拶してくる。

だが、それだけだ。

それ以上は少女にまったく話し掛けようともしなくなった。

「すごい……本物だわ……!」

少女は感動に打ち震える。

込み上がってくる喜びにうずうずしていたが、思い直して少し自分を落ち着かせる。

今は少年が気まぐれを起こしているだけかもしれない。

もう少し様子を見よう、様子を。

逸る気持ちを抑えて、少女は落ち着かない日々を過ごすのだった。



そして一週間が経ち、二週間過ぎて、一ヶ月の時が流れて。

「ねぇ。アンタ、アイツとケンカでもしたの?」

そんなことを友人に言われた。

声を掛けられた少女は曖昧な笑顔を返す。

「……ううん? そんなことないけど?」

「……ならいいけどさー。アンタら全然会話とかしてないみたいだし。どうしたのかと」

どうもしないよー、と笑って答える。

それでもまだ心配そうな顔をしている友人が去った後、少女は自分の机に突っ伏した。

参った。

一ヶ月ほど、悪魔のおかげで少年に意地悪されなかったわけだが。

まさか淋しくなるとは思わなかった。

「……だいたい。意地悪しないイコール話し掛けてこないって。やりすぎなのです悪魔さま」

小さな小さな声で呟いてみる。

何というか友達が一人減ったような気分だった。

いや、少し違うような気もするが、概ねそのような感情が生まれていた。

「……よし」

少女は一つ大きく頷くと、携帯電話を取り出した。

周りの目を避けるために机の下でこそこそとメールを打つ。

『彼と普通にお話できるようにしてください』

悪魔さま宛てに、彼の名を入れて、送信。

返事はすぐに返ってきた。

『願いは聞き届けた』

前と全く同じ文章だった。

少女は自分が凄く恥ずかしいことをしたような気もして、何だか頬が少し熱かった。

「これでいいのよ、これで」

自分に言い聞かせるように何度も頷く少女であった。









「よー。修学旅行の班、オレらと一緒に組まない?」

次の日のロングホームルームの時間のことであった。

担任が男女均等にうまく班を組めよ、と言って皆が思い思いに動き始めるやいなや。

少年はまっすぐ少女の席にやってきたのだった。

「わ、私?」

「そー。お前。……で、どうかな」

にこにこと話し掛けてくる少年の顔。

何だか久しぶりに彼の顔を見た気がして、思わず見つめてしまった。

「ん? なんだ?」

その視線に対して怪訝そうに首を傾ける少年。

それで我に帰った少女は慌てて両手を顔の前で振った。

「な、何でもない。うん。いいよいいよ」

「そっか。じゃあお前から他の女子にも声掛けといてくれな?」

じゃ、と少年は手を上げると自分の友人たちの輪に入っていった。

その後ろ姿を眺めていた少女の肩を、どこからともなく現れた例の友人が荒っぽく叩いた。

「仲直りできたみたいじゃん?」

「もともとケンカなんかしてないんだって。……えへへ」

言いつつも少女の顔を緩んでいた。

ありがとう、悪魔さま。

心の中で、偉大な偉大な悪魔さまに深く感謝する少女であった。







修学旅行が良いきっかけになった。

旅行中はもちろん、帰ってからも少女は少年に意地悪されることもなく普通に接しられた。

休み時間にも良く話すようになったし、昼食も少女と少年のそれぞれのグループが混ざって食べることになっていた。

最終的には少女と少年のグループは一つになり、休日には連れ立ってよく遊びにでかけた。

楽しかった。

いつまでもこの日々が続けばいいと思っていた。

だが、そんなことも言えなくなる日はやってくる。

卒業の時が近づいていた。

学校を卒業した後、少年と離れ離れになる心配は一応なかった。

悪魔さまに『彼と同じ大学にいけますように』と願っておいたからだ。

その効果は凄まじく、どちらかと言えば成績の低かった少年の学力がぐんぐんと伸びた。

その甲斐あって、公募推薦を一緒に受けに行き、見事二人してさっさと合格を決めていた。

しかし不安は拭いきれない。

大学に入って、新しい環境で、新しい人々と出会って。

そんな環境の変化の中で、いつまでも少年が自分と一緒にいてくれるとは限らない。

……彼女の一人くらい作ってしまうかもしれない。

そう、少女と少年はかなり仲は良かったが、別に付き合っているわけではなかったのだ。

二人で出かけたことだってない。

いつもその他大勢がいた。

そういう関係になろうとすると、今の居心地のいい関係が壊れてしまうと思って怖かった。

それに少年の方も何も言っては来ないし。



……少女が悩んでいるうちに、とうとう卒業の日はやってきた。

式も終わり、一度家に帰って着替えてから打ち上げに行こうという話になった。

ずっと式の間も少年の姿を見つめていた少女は、意を決してこのようなメールを送った。

『彼とずっと一緒にいられますように』

宛先はもちろん悪魔さま。

やはり、返信はすぐに帰ってくる。

『願いは聞き届けた』

その文面を読み、ひとまず胸を撫で下ろす少女。

しかし具体的な内容を書いていないことに気付いた。

願いは、どのような形で叶えられるのだろうか。

疑問に思って考え込んでいると、後ろから肩を叩かれた。

また、例の友人だろうかと思って振り返ってみると。

「よう。何ぼーっとしてんだ?」

少年だった。

恥ずかしい内容のメールを送ったばかりなので、思わず動揺してしまう少女。

「な、何でも。ちょっと感慨に耽ってただけ」

「ふーん」

どうでもよさそうな声を漏らしながら、しげしげと少女の顔を見つめる少年。

そして、ふと思い出したかのように、ぽんと手を打った。

「そうだ。俺さ。お前に言っておきたいことがあるんだよ」

少年は急に真剣な表情になる。

いつにない真面目な顔に思わず姿勢を正してしまう少女。

しばしの沈黙の後、少年は重い重い言葉を吐き出した。

「俺……。俺は……」







あれから数年の時が流れた。

大学を出た二人はしばらくして結婚し、一緒に暮らし始めた。

社会人になってもまだまだ若い元少年の彼には大した甲斐性はなく、小さなアパートの小さな部屋で。

家計はいつも火の車。

だが、それでも少女だった彼女は幸せだった。

昔に願った想いは叶い、ずっと彼と一緒に居られるからだ。

そんなある日のこと。

彼は仕事で出張しており、彼女は部屋で退屈していた。

パートも休みの日なのでやることがない。

一通り家事を済ませて、ごろごろとテレビを見ていると昼メロドラマが始まった。

テーマは三年目の浮気といったところ。

ドラマの中で、旦那は出張するという嘘をつき、愛人と密会していた。

……何だか彼女は落ち着かなくなった。

ドラマの中の夫婦は若くして結婚したために倦怠期も早く来てしまっているが。

自分たちも似たような環境ではないか。

もしかしたら自分も飽きられているのかもしれない、とにわかに不安になった彼女は慌てて携帯電話を取り出す。

高校の卒業式以来、久々に悪魔さまに願い事をすることにする。

『彼が浮気なんかしませんように』

送信。

ひとまずこれで安心か、と一息ついた彼女だったが、どこからともなく電子音が耳に入ってきた。

聞き慣れない音だ。家にこんな音を出す電子機器があっただろうか。

疑問に思った彼女は、音が聞こえてきた辺りを探してみた。

少し探すと、彼が普段通勤用に使っているが、出張には持っていなかった鞄の中から随分と型の古い携帯電話が出てきた。

それにメールが届いている。

首を傾げながら、彼女はそのメールを開いてみた。





「ただいま。……やー疲れた疲れた」

「……おかえりなさい」

帰ってくるなり疲れて鞄を投げ出して座り込む彼を、彼女は神妙な顔で迎えた。

「大事な話があります」

「……はい」

彼女の迫力に思わず居住まいを正す彼。

エプロンのポケットから彼女は例の古い携帯電話を取り出すと、彼に突きつけた。

「これ、どういうこと?」

それを見た彼は顔をぱしりと打つと、困ったような表情を浮かべた。

「見つかってしまったか」

「何で……これってどういうことなの?」

彼女は動揺しているようだった。

「どうしてこのケータイの履歴に、私が今まで送ったお願いメールが入ってるの?」

そう、その古い携帯電話の中には、彼女が高校時代の頃から送り続けた願い事が記録されていたのだ。

「どうもこうもない」

彼は正座したまま不敵に笑う。

「俺が悪魔だったってだけのことさ」

二人の間に沈黙が漂う。

彼は慌てて自分の発言を訂正した。

「いや。まぁ聞いてくれ。お前高校の頃、コックリさんみたいな変な遊びしてたろ?」

無言で頷く彼女。

「その時にたまたま偶然、奇跡的に俺のケータイに届いたんだよ。お前のメールが」

正座を崩し、その場に足を組んで座り直す彼。

届いてからのことを説明し始めた。

遊びの内容は知っていたので、とりあえず返事を返したこと。

願いが自分に関することだったので、頑張って叶えていくことにしたこと。

最初の願いが一番辛かったこと。

一通り説明すると、感慨深く彼は腕を組む。

「意地悪だけやめて普通に話し掛けてくれれば良かったのに」

「……好きな娘には意地悪しちゃうもんなんだよ。嫌われてると思ってたしな」

言いながら少し頬を赤く染めて目を逸らす彼。

それなりに長い付き合いだが、こんな可愛げのある姿は初めて見た。

それに今までずっと自分の願いを叶え続けてくれたとはなんと健気なんだろう、この男は。

彼女は顔がにやけてしまうのを止められなかった。

満面の笑顔を浮かべて彼女は口を開いた。

「愛しの愛しの悪魔さま。私の願いを叶えて下さい」

彼は芝居がかった口調で返す。

「聞き届けよう。願いは何だ?」

子悪魔のような笑みを浮かべる、彼女。

「そろそろ子供が欲しいです」

「……ばーか」



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