気が付くと僕は宙に浮いていた。

天井間際をふよふよと。

視線を落とすとベットにも自分がいた。胸を抑えて顔をしかめてはいるが普通に寝ている。

するとこれは夢なのか、幽体離脱というものなのか。

どちらかは分からないが、なかなか面白い体験だ。

そう思った僕は家の外に出ることにした。別に窓から出なくても壁をすり抜けられた。面白い。

その夜は一晩中、街中を飛び回っていた。

いくら速く飛んでも何かにぶつかる心配もないので実に爽快だった。

夢中になって飛び回っていると朝がきてしまった。

これが夢なのか幽体離脱なのかはともかく、一度家に帰ってみることにした。

部屋で身体に戻ろうと自分を触ろうとしてみても、すり抜けてしまって戻れない。

どうしたものか、と悩んでいると母親が入ってきた。

いつまでも起きて来ないので怒鳴りに来たのだろう。

それで目が覚めるのなら構わない。

そう思って僕の身体に声をかける母を見ていると何やら様子がおかしいことに気付いた。

母が僕の頬を叩いたり、胸に耳を当てたりした後、悲鳴をあげて部屋からとび出した。



心臓発作が心停止に至り死亡。

僕が運ばれた先の病院の医師は重苦しい顔で両親、そしてその上で浮いていた僕に言った。

泣き崩れる母。自分も泣きながら母を抱く父。

僕はその様子を見ながら呆然としていた。

確かに小さい頃から心臓は弱かった。走ったり無茶な運動はするなとは言われていた。

でもまさか自分も気付かないくらい急に死ぬなんて思いもしていなかった。



呆然としている間にも事態は進む。

僕はぼんやりと自分の葬式を眺めていた。

両親はもう涙も枯れたのか黙って俯いている。

クラスの連中はあまり悲しんでいる様子もなく薄情なもので、欠伸までしている奴までいた。

こんなものなのか、と思った。

少し寂しいが普段から仲良くしている友人たちは残念そうな顔をしていてくれたのには救われた。

しかし僕の人生は何だったんだろう。

お坊さんの読むお経を聞き流しながら僕は考えた。

小さい頃から病気がちでやりたいことも思うように出来ず親に迷惑かけるだけかけて死んでしまった。

ろくな人生じゃないな、と思う。

せめて両親には恩を返したかった。

就職したら初めての給料で旅行でも送りたいという夢も叶えられなかった。

親友と呼べるほどに友人も見つからなかったし、初恋だってまだだった。

まったく何をしに僕は生まれてきたのだろうか。

・・・成仏、できるかな。

まるで意味のわからないお経を聞いていても、あの世に逝ける自信がない。

僕は浮遊霊になってしまうのか。空を飛ぶのは楽しいが永遠に迷い続けるのは嫌だ。

憂鬱な気分に浸っていると、葬式の会場の隅に座っている少女が目にとまった。

隣りに座っている彼女の母らしき人物に背中を撫でられながら、ぼろぼろと涙をこぼしている。

誰かは知らないが僕のために泣いてくれているのは嬉しかったので近くに寄ってみた。

彼女の顔を覗き込むと本当に辛そうに泣いていた。

目を奪われていると、周りの人たちが僕の遺影に向って一人ずつ手を合わし始めた。

もうすぐ葬式も終わりということか。

しんみりした顔の近所のおばさん。

真剣に手を合わせてくれている友人。

おざなりな様子のクラスの連中。

いろいろな人たちが居た。

彼女の番がくると彼女は涙を拭うと立ち上がり、僕の遺影の前に立った。

手を合わせて、大きな声で話し始める。

「私は中学に入ってすぐに、いじめを受けて不登校になっていました。
ずっとずっと家に閉じこもっていました。最初のうちはクラスの人や先生が誘いに来てくれましたが、
私が顔を見せないでいるとそのうち誰も来なくなりました」

周りの人たちは何を言っているんだ、といった表情で彼女を見ている。

彼女は構わず話し続ける。

「両親ともまともに話さない日々がしばらく続いたある日。
私のもとにプリントが届くようになりました。私にとっては意味が無いものがほとんどでしたが、
その中に一枚いつも今日の出来事という題名のものがありました。学校であった出来事が
簡単にまとめられているものです。題名以外はいつも手書きで書かれていました」
僕はふと彼女が誰なのか思い出した。

ほとんど顔をあわせたことはないが、一年の頃から同じクラスでいつの間にか来なくなった娘だ。

苛められていたとは知らなかった。

「プリントの内容は短いときもありましたし、主観的すぎて分かりにくいときもありました。
しかし毎日毎日絶対に私の下へやって来ました。しかも届けてくれている生徒はいつも同じ、あなた」

そう、学校に来なくても扱いはただの欠席なのでプリントは届けなくてはならない。

その場合、家が一番近いものが今日の出来事をプリントに書いて届ける。つまり僕だ。

「学校がある日なら、あなたはいつも届けてくれました。そしてプリントの最後には毎回、
気が向いたら学校に顔だしなよ。とりあえず僕は一度顔くらいゆっくり見てみたいから、
と書かれていました」

そんなことも書いていたな、と僕は思った。社交辞令みたいな気持ちだったが。

「私は毎日来てくれているあなたに一度も顔を見せたことはありませんでした。
お礼も言ったこともありませんでした」

再び涙を瞳に溜め始める彼女。確かに顔を会わせた記憶はない。チャイムを鳴らして母親に渡す。

ずっとそれだけだった。でも僕は義務みたいな気持ちでやっていたので何とも思わなかった。

「私はずっとあなたの一言に救われていたのに。あなたが来てくれるのを楽しみにしていたのに。
あなたに会ってお礼を言う勇気が出せなかった。・・・ありがとうって言えなかった」

周りは静かに彼女の話を聞いている。彼女は膝を震わせながら話し続ける。

「だから今がお礼を言う最後の機会です。ずっとずっと、ありがとう・・・ございました・・・!」

絞りだすに言い切ると、彼女はその場に泣き崩れてしまった。

「直接言いたかったのに・・・あなたに会いたかったのに・・・話してみたかったのに!
明日から学校行くから!あなたの分まで頑張るからぁ!」

母親に支えられながら席に戻る彼女。

今の話で会場にいるほとんどの人がもらい泣きをしている。

でもそんなことはどうでもよい。

僕は彼女の話にかなりの衝撃を受けていた。

そんな立派な考えで届けていたわけじゃなかったのに。

先生に言われたから、それだけだったのに。

日記みたいな感覚で書いていただけなのに。

そこまで彼女に影響を与えていたなんて。

こんなに嬉しいことはない。僕の人生には意味が無いというのは撤回だ。

僕はきっと彼女を立ち直らせるために生まれてきたのだろう。

それなら僕は十分に生きたってことだ。

葬式は進み、みんなが僕の遺体の周りに集まり最後の別れというものをする。

僕は両親と彼女の間をゆったりと飛んで回った。

遺体はこのまま火葬場に運ばれて燃やされるだろう。

その煙に乗って、僕はきっとあの世に逝ける。

そう、確信していた。





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