赤銅鏡の下の街

 赤い月に照らされた、闇に沈んだ赤い街。

 過去の戦いの名残を垣間見せながら、静かに止まった時の中でたゆたうだけの街。



 ……だった、はずだった。



 黒い空にもうもうと上る灰色の煙。

 街の一部は瓦礫の山と化し、半壊のみで済んでいたビルもバランスを保ちきれず遅れて崩れ落ちる。

 おそらく、今街に入ろうとした来訪者がいるとしたら、突然街への道が消えた袋小路に入り込み右往左往していることだろう。街その物が崩壊しては入ることなどできないからだ。



 ゆっくりと煙が晴れていく……その中には

 燃え盛る魔法円の中、変わらず無傷で立っている黒髪の青年と

 盾にしていた建物の一部を打ち捨てて、すっと立ち上がった銃火器まみれの男がいた



 青年、九十九が口を三日月に歪めて言う

「あぁ……こんなに暴れられるのは久しぶりだ。」



 男、フォードもその笑みに応じて笑う

「俺もだ。この上、さらに本気を見せてくれるのだろう?」



 壊れた建物からすればビーム砲だろうが複数属性の同時攻撃だろうがこれ以上の本気だろうが、もうどうでもよかった。建物が耐えられない事に変わりは無いのだ。裏路地や十字路に続いていた広場はもはや跡形も無い。

 どうにでもなれ……そんな呟きが、かつて掲示板の掛かっていた白い部屋があった場所から聞こえてきたような気がした。粉砕された掲示板の怨念だろうか。それが二人に聞こえたかどうかはわからないが、さらに笑みを深くしたのは丁度その時だった。



 九十九の右手に燃え盛る炎の剣が収束した。



「全てを抱いて全てを犯せ……全てを愛して全てを恨め……」

 呪文のように呟く九十九の顔が、炎に照らされて白く浮かぶ。

 刀身から柄までが、真っ赤に焼けて焼けすぎて白くさえ見える石炭の色をした剣。



「そう簡単に燃え尽きないでくれよ?」

「こっちの台詞だ。」



 正直なところ、フォードは少しがっかりしていた。それは九十九の『本気』が魔法ではなく剣だったためだ。

 弾丸の飛び交うスピードの中を生き抜いてきたフォードには、剣の起動を避ける事なんて欠伸をしながらできる事。

 ……だが、まぁ文句を言ってもしかたあるまい。こちらは剣を全て避けきれるが、あちらに自分の攻撃がまったく当たらないのもまた事実だ。あの魔法円を攻略しないことにはいつまでも決着をつけられない。

 どうしたものか……その結論が出ない内に九十九が動く。フォードも先程、炎の竜を切り捨てた高圧水流刃を再び起動した。



「いくらこっちが炎って言っても、それは止めておいたほうがいいよ。」

「何?」



 九十九の突進はフォードの予想を遥かに超えて早かった。

 魔術を使っている間はその場に立っているだけだったので、多少見くびっていたところもあったかもしれない。

 しかし何よりも驚いたのは、九十九がフォードの間合いに入った途端、フォードの手にしていた重機から水の刃が消え失せてしまった事だ。



「アンチアクア。赤炎の結晶の前では、青い水は存在できない。」

「ちっ!」



 重機に気をとられてもいられない、かといって別の武器を構えるには九十九は早すぎる。使い物にならなくなった重機を盾にしようと前に出す、が。戦人の感覚が、重機を打ち捨てさせ、フォードはそのまま後ろに跳んだ。

 迷い無く重機を捕らえる炎の刃。鉄の剣ならば重機に負けている、普通の魔法剣ならば重機を二つに切り分けて終わる。だが、横薙ぎにされた刃が通過すると、シュッと言う音の後には重機など影も形も残っていなかった。

 砕けたとか溶けたとかいうレベルではない。

 ――蒸発

 確認したフォードが着地したところへ、九十九はさらに追撃する。

 振り切った炎の刃。背に回ったそれを、そのまま振り被る体勢に変えて。刀身が一気に2倍3倍と延長した。

 嗤いながら剣を振り下ろす九十九。確かに早い上にフォードは姿勢が崩れているが……避けきれないほどではない。

 横っ飛びに回避して、まだ体勢を立て直すだけの余裕はあった。

 炎剣の衝突で裂けた大地を横目に見ながら、瓦礫の上を足で滑りつつ、右手を亜空間へと無造作に入れる。

 中に潜んでいる重機を掴み……しかし引き出さずにそのまま腕を抜いた。変わりに腰から抜く6連発のリボルバー。

 咆哮を上げて喰らいつく弾丸。

 剣に向かった途中で熱気に耐えられず姿を消し、九十九へ向かった銃弾もやはり魔法円に掻き消される。

 再び剣を、今度は横に振り被った九十九が呟いた。

「いいなぁ、銃器。」

「ほざけ!」

 まったく攻撃が通じない以上、それは嫌味にしか聞こえない。

 長すぎる刃が水平に通過していく上を、フォードは余裕で飛び越えた。真下を通過する熱と陽炎が皮膚を炙る。

「本当だよ。」

 振り切って、返す刀で追い討ちをかける。

 フォードは足を着くのと同時に地面に手を着くようにして亜空間へ手を入れたが、やはり何も取り出さずに手を抜いた。既に何度か繰り返している、亜空間の口を開くだけの動作。もう一度飛来する刃をぎりぎりまで伏せてやり過ごす。

「どうも銃火器はしっくりこないんだ。友人も何度か手解きしてくれたんだけどね。」

「それはそれは、ツクツクちゃんにも苦手な事があったとはなっ!」

 言い捨てながら、リボルバーを連射しつつ九十九に肉薄した。

 途端に笑みを深くする九十九。口が笑っているのに目は笑っていない。

 炎の剣が高らかに火柱を吹き上げて……しかし、振り下ろされはしなかった。



「それは何だい?」



 あだ名の怒りよりも、好奇心の方が勝ってしまったらしい。

 魔法円ぎりぎりに接近したフォードの右手付近に真っ黒な穴が開いている。



「本当に疎いんだな。銃口だ。」



 亜空間の向こう側で唸り声を上げる機械。黒い穴の最奥で、青白いエネルギーが凝縮していく。

 間近で向かい合った九十九とフォードが、それはそれは楽しそうに笑う。



「エネルギー反応が複数……いくつ仕掛けたんだい?」



「さっきの三つなんて馬鹿らしくなるくらいだよ!」



 九十九を四方八方から取り囲む黒い穴。

 フォードの手の中にあるのは遠隔操作の装置だろうか。

 発射前に薙ぎ払うつもりは無いらしい。九十九は壮絶な笑みを浮かべて魔法円の輝きを強くした。









「ちょっとちょっと〜、フォードさん攻撃全然あたってないじゃないよ〜」

 剣と銃器の激しいぶつかり合いを、遠い建物の影からこっそり覗いているのは……セーラー服を着込んだ少女、紅香だった。

 彼女はフォードと別れた後、とっとと帰ろうとしたのだが。レーザーと複数属性の衝突による街の崩壊で出口が消えてしまい、戻って来るしかなかったのである。

「入り口から出られなくなったから、もう片方の道から戻ろうと思ったのに……あんなに豪快にドンパチやられちゃ〜通れないじゃないのよ!」

 最初は周りをぐるーっと迂回していこうかと思ったのだが、迂闊に灯の無い暗闇に迷い込むと袋小路になってしまうのだ、この街は。まったく不便である。それに伸縮自在な炎の剣や、フォードの銃弾が見境無く飛んでくるのも結構怖い。

 ついさっきも、自分の真横を剣が通過して、巨大な裂け目が出来たばかりだ。

 だから建物の影から、いつでも避けられるように見ているしか出来ない。

「冗談じゃないわよ。」

 やるだけやって、やり逃げ勝ちしようと思っていたのに。こんなところで足止めされるのは大いに心外だし、頭にくる。

「……しょうがないわ。出口が無いなら、開けるしかないわ!!」

 隠れているという自覚を忘れて紅香は吠えた。

 紅香が見たところ、フォードに勝ち目はまったくなさそうな印象だった。フォードが敗れたら、怒り心頭のツクツクちゃんはきっと自分に襲い掛かるだろう。そんなとばっちりはごめんこうむる。

 紅香はごそそとスカートのポケットを探り、中から怪しいお札を取り出した。白い紙に赤い文字で書かれた『怨』の文字が暗闇で不気味に浮かび上がる。お札はどす黒いオーラに包まれていて、なんともセーラー服姿の少女に似合わなかった。

「春光さんお手製『携帯怨パワー』! これで世界に風穴開けてやるわ!」

 ていっ、と地面にお札を貼る。するとお札を中心にして見る見る内に地面に亀裂が走っていくではないか。一体、何の怨みなのかは分からないがお札からは仄かに『オノレツクツクチャンンン……』と聞こえてくる気がしないでもない。

「春光さん、寝不足そうだったもんな〜。」

 人の怨みとはかくも強きものかな。

 やがて亀裂の一部がぼこりと抜け落ちて、人が通れるだけの穴が開いた。

「おっし!」



 だが崩壊はそれだけでは収まらなかった。



 ボコッ

「あれ?」



 足が沈んだ感覚に驚き地面を見下ろすと、もう一つ開いた穴に足を取られている。



 ガララッ   ベキッ

「ちょっとちょっと?」



 さらに罅の入った地面が、ビルの重さに耐えられなくなったように沈み始めたではないか。ついでに九十九が開けた亀裂から地面がどんどん崩れて消えていく。

 最初に開いた穴は、直径5メートルほどまで広がり、穴の底は何も見えない漆黒だ。

「こら、春光さん!! やりすぎよ、何すんの!!」



 理不尽にも逆切れを始めた紅香を飲み込んで、町の地盤は一気に崩壊した。









「……ん?」

「何だ?」

 まさに九十九を包囲したレーザーを発射しようとした矢先、耳に轟いたのは半端ではない崩壊音だった。

 はっきり言って興冷めだ。せっかくいいところだというのに、一体誰だ。

 二人同時に殺気のこもった顔を向けると、目線の先でビルやら建物やらがどんどん沈みこんでいくではないか。

「あれは銃器のせいかい?」

「んなわけあるか。むしろツクツクちゃんの魔法じゃないのか?」

 無駄話をしている内に地面までもが揺れだした。

 街中を包む轟音。

 崩れ消えていく町並み。



 そして九十九が開けた大地の亀裂を中心に、大地が一気に奈落の底へ崩れ落ちた。



「くそっ!!」

 フォードはコンクリートに掴まるが、そのコンクリートもろとも崩れ落ちていく。

 九十九は……飛んでしまえばいいのだが、せっかく楽しい思いをさせてくれるフォードが落ちていくので、仕方なく後を追うように落ちていった。











 とある世界の、殺伐としすぎている酒場にて。

 中央で激しくぶつかりあう六又狐と槍を手にした男。それを遠巻きに物陰から眺めている、一組の男女。

「まったくトンプソンさんもタイミング悪い時に帰って来ましたね。」

「しかしえんぷてぃ嬢、この酒場はいつからこんな戦場になってしまったのですか?」

 異世界の飲み逃げ犯に便乗するように料金未払いで飛び出していった客達。彼らの置き土産から隠れながら、二人は世にも呑気な会話をしている。

 女の方は飲み逃げ犯初代である九十九がいる世界の管理人。

 そして男のほうは、この酒場の影の支配者と噂されている古参の客である。ここ最近はどこか旅にでていたようなのだが、何を血迷ったかこんなデンジャラスな時に戻ってきたのだ。

 そしてえんぷてぃに進められるがまま、初めてこの店で飲み物を飲んでいるのである。

 三十路間近なスーツ姿の男が、無精髭を撫でながらジンを煽るのはなかなか渋い光景だった。



 ……と、その時。頭上から凄まじい音が徐々に徐々に鳴り響き出すではないか。



「噂のアケミさんですか?」

「違うと思いますけど、何でしょうね?」



 次の瞬間、酒場の天井があらかた抜けて、コンクリートや電柱やら紅香やらが店内へと降り注いだ。



 直撃して動かなくなる、槍使いのヒモ。

 危険を察知して素早く裏口へ非難する六又狐。

 しいたけに包まれたまま埋もれて姿が見えなくなったマスター。

 ミンチと化す他の客。



 そして、やがて瓦礫の中から立ち上がったのは、2人の男。



「やれやれ、なんだってここに繋がったんだか。」

 一人は黒髪の青年、九十九。



「店に戻ったのか……」

 一人は銃火器まみれの男、フォード。



 外壁のみを残して、見事に内部崩壊の憂き目に遭ってしまった悲惨な酒場。ここで新たに、三つ巴の戦いが?、と思われたのだが。

「……死体の数が足りない。」

 ぼそりと呟いたのはリボルバーを抜いたフォード。彼は店の入り口で約一名を押しつぶしたプレス機を一瞥すると、亜空間に手を突っ込んで何やら手首に嵌めるタイプの機械を取り出した。

 装着し、店の敷地をぐるりと囲む形で残っている壁の上部に手を向ける。ぼしゅっとワイヤーが飛び出し、フォードはそれを使ってスルスルと壁を登りだした。

「飲み逃げ客は逃がさん!」

 そしてわざわざ壁を乗り越え、フォードは店の外へと出て行った。やがて聞こえてくるのは悲惨な悲鳴。

 完全に興冷めしてしまったらしい九十九はそれを黙って見送り、突然立ち上がったもう一人の男に目をやった。



 彼は影の支配者とうたわれるトンプソン。



「げほっげほっ」



 あれだけのコンクリートに飲み込まれながら、生きているとは恐ろしい。過去に手榴弾を握りつぶしたというこの男は、相当頑丈にできているようだ。咳き込みながら誇りまみれのスーツをはらう。

 だが、九十九の目線は、トンプソンの右手に掴まれている物体に釘付けだった。

 それは、崩壊の際さりげなくトンプソンに盾にされたが為、ぼろくずのようになったえんぷてぃである。

「これはこれは……しばらく姿が見えないと思っていたら、こんなところにいたのかい。」

 始めて見る彼が誰なのか分からず呆然とするトンプソンの手から、それをむしり取る。

「ほら、とっとと帰るよ。壊したのは僕だけど、今日はキミに街を修復してもらうからね。……まったく、この店はろくな目に遭いやしない。」

 そして、一人とぼろくずはさっさと裏口から出て行った。



 後に残されたトンプソンは、しばしその場に立ち竦んでいたが……やがて、何もかも放置して堂々と店を後にした。



 こうして、ほとんど何もしていないはずのトンプソンが、記念すべき飲み逃げ犯第二号に輝いたのだった。

 



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