目には目を歯には歯を。この言葉も好きだけれど……

 やられたら3倍返し。どちらかというと、このほうが……







 その酒場は、今日も喧騒に満ちていた。

 カウンターでお客一人一人に言葉を返しながら、マスターはゆっくりとグラスを磨く。

 なにかしら主張したかと思えばその場に倒れる客。語り続けながら怪しげな料理を作る客。

 賑わっているのは好ましい事だが、いったいいつから爆弾なんぞが飛び交う酒場になってしまったものか……。

過激なウェイトレスが突然マシンガンを乱射したのが開戦の合図だったような気もするが、今となっては定かではない。

 あぁ、今もカウンターの真上を得体のしれない何かが飛来し、客の一人がうめき声を上げてその場に倒れた。

 だくだくと床に血が広がっていくのを横目にしながら、マスターは磨き終えたグラスを棚に戻した。

そして爆煙で煤けてしまったグラスを取り出し、再び磨き始める。

流血沙汰などもはや日常茶飯事。気にするほどのことでもないのだろう。

 苛立ちながらマンホール下の戦況を叫ぶ金貸しを適当にあしらいつつ、マスターは二個目のグラスを磨き終えた。





 ……見覚えの無い客が入ってきたのはその時だ。





 カランと乾いたドアベルの音。

 無数の爆弾や弾丸が飛び交ったにも関わらず無事だったドアベルに敬意を覚えながら、マスターは新たな客に目をやった。

 新顔であるその客は真っ黒なマントと帽子を身につけていた。

 大抵の客は入ってくるなり雄たけびを上げたり、他の客の話を遮ったりするものだが。

この客は一言も喋らず、まっすぐにマスターが三つ目のグラスを磨き始めたカウンターに腰を降ろした。



「何か飲み物もらえるかな」



 マスターの顔に驚愕が浮かぶ。

 まともに飲み物を注文した客は始めてだったからだ。

 入ってくるなりマスターに断りも無くいつの間にか飲んでいたり、話があまりにも長すぎるのでマスターが飲み物を与えて口を閉じさせたりするのが日常である。

 飲まない客は語り続けるのが常なこの酒場で、第一声から飲み物を注文する客などいただろうか、いやいない。

 驚きの余り震える手で、とりあえず適当な酒を出した。

 代金のつもりなのか新顔は妙に赤い銅貨を一枚カウンターに置き、それを一息で全て飲み干す。酒には強いらしい。



 しかし……浮いている。



 黒マントは薄手で風に靡くほどで、マントの下は見る限り夜色のシャツが一枚だ。

 重厚な防弾チョッキを着込んでいる客が多い中(かつて闇市の防弾チョッキを売りさばく客もいたほどだ)で、この軽装は命取りだろう。

とはいえ、防弾チョッキを着ていれば安全かと言われればそうでもない。

今まさに、彼の後ろで地雷を踏んだ客の四肢が飛び散ったところだ。よくアルコール類に引火しないものである。

 デンジャラスレベルがべらぼうに高いこの酒場で、それこそ西部劇にでも出てきそうな衣装の新顔は明らかに浮いていた。

 いや本来、酒場にマスターとくれば彼のような姿が似合うのだろうが……背後でのっそり死んだはずの人物がゆっくりと肉体を再生させて立ち上がるゾンビ映画のような様などを見れば、やはりこの場にそぐうのはマントよりもパワードスーツだ。

 その浮いている新顔のグラスにもう一杯酒を注いでいると、また別の場所で地雷が暴発した。

 マスターはとっさに伏せた。

 地雷で吹っ飛んだ床やその他もろもろの破片がカウンターめがけて飛んできたのだ。

 こんな酒場のマスターをやっていれば回避は達者になる。

 ……だが新顔はそうもいくまい。

 伏せたままマスターは思案に耽る。

カウンター内に破片が来なかったところをみると、新顔の客が盾になってしまったのだろう。

嘆かわしいことだが、過ぎたものは仕方あるまい。

 だが……



「伏せて無くても、大丈夫だよ。」



 平然とした声が聞こえたのでまた仰天する。

 そーっと顔を出してみると、先ほどと微動だにしないポーズのまま、新顔は頬杖を付いていた。

 そういえば、この客は出入口付近に仕掛けられていた地雷を素通りして入ってきているのだ。

「……タフですね。」

 つい口を付いた言葉に客が笑う。

「この程度ならかすりもしないよ。」

 えらく自信に満ち溢れた言葉だ。どこかで聞いたような覚えがあるような無いような……

「そういえばお客様……お名前は?」

 率直に聞いてみたが、新顔はクスクスと笑っているばかり。

「マスター……気づかないかい?」

「へ?」

「いや、気づかないなら……思い出させてさしあげよう。」



 直後、背後で盛大に炎をあげる爆弾。

 同時に黒マントの右手が翻り



 カウンター付近は真っ赤な魔法円に包まれて爆風を全て防止した。



「ここは随分騒がしいところだね」

 炎で描かれた魔法円。マスターの記憶を刺激する。どこかで、どこかで見たような……

「マスター、これに見覚えは無いかな?」

 呆然とするマスターに差し出されたのは、一度握り潰されたかのようなくしゃくしゃの紙切れ。

 開いて読んでみると、そこには数日前にマスターが別の場所で発した言葉があった。

「……まったく、余計な事を言ってくれたものだよ。」

 そうか……そうか、思い出した。マスターの脳裏に蘇ったのはとある街にいる危険人物。

「今日はそのお礼に来たんだ……」

 新顔がカタンと席を立ち、黒い帽子を脱ぐと

「もちろん、3倍返しでね。」

 真っ黒な髪をした、見たことのある顔がそこにあり



 彼の口が三日月を象ると同時に意識が飛んで……







 ……





 ……我に返った瞬間、マスターが最初にしたのは荒い呼吸を繰り返す事だった。

 悪夢を見ていた。それもとんでもない悪夢。

 八つ裂きにされるよりもたちの悪い夢。

 二度と見たくないと切実に願う夢。

 気を抜くと夢に逆戻りしそうな意識を必死につなぎとめて、店を見回した。

 黒いマントの男の姿は無い。カウンターの向こうでは清掃が終わった直後のトイレをめぐって、熾烈すぎる争いが続いている。

 ……ひょっとして、彼が来た事自体が夢?

 だが、マスターはカウンターをふと見下ろして気が遠くなり、そのままその場に倒れた。







 カウンターの上には酒の代金の……血色にも似た赤銅色の銅貨が残っていた。







 カウンター奥という隠れた場所に倒れてしまったマスターは、全身を針に刺された無残な客がそこに倒れてくるまで発見してもらえなかったとかなんとか。







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